いつもブログをご覧頂きありがとうございます。
しっかりと梅雨ですねー☂️


そんな今日は、
22歳の私をご紹介させて下さい。



2007年の春、浪人時代を経て
法政大学 人間環境学部に入った私ですが


正直なところ、人よりもちょっと
年を食って入学したものですから、
キラキラしたキャンパスライフというものに
胸を弾ませることは期待していませんでした。

そもそも、サークルに入ろうかどうかも
迷っていました。


サークル勧誘のチラシを沢山もらったり
呼び止められたりするものの、
全然気乗りしません。笑


ある日、ふと、窓に貼り付けられた
殴り書きのような字で書いてあるチラシに
目が留まりました。


そこには、こう書いてありました。



『 話すことが上手になります。

    ということは、 就職活動に有利です。

    そんでもって、日本各地に行けます。

    もしかしたら、お小遣いがもらえるかも。


                               by 法政 落語研究会  』



これが、私と 落語 研究会
通称、落研(おちけん)との最初の出会いでした。



当時、落語なんて、見たことも、聞いたことも、
興味もなかった私が、打算的な考え満載のチラシに惹かれ、ついうっかり落研の門を叩いてしまったのです。


当時の落研は、不思議なメンバーが多かった。

二浪の私よりも、さらに浪人して年齢不詳な人、
夏でも革ジャンを羽織る人、そこそこアウトローな人。

ちゃんと落語してる人は、部長ぐらいでした。

当時の落研は、かなり残念な空気が
漂っていて、入るかどうか正直、迷いました。


それでも、
私は、お笑いが好きで、
一度、舞台でやってみたいと思ったことと、
結局、落語は1人で行うから気楽でいいなということで、落研の世界に入っていったのです。


落研に入ると、高座名といって
屋号で呼び合うのですが、当時は
"百花繚乱"という言葉が好きで、

富士見亭 百花  (ふじみてい ひゃっか)
※(2年生までは、田町家 たまちや 百花)
と、自分で考え、名乗ることにしました。

ちなみに、自分で考えないと、先輩から強制的に
「キ亭ハロー」(ハローキティーに由来)
にすると言われ、そそくさと自分で考えました。


そこからは、ほぼ、落語研究会に入り浸ります。

まずは、いろんな噺家さんの落語を
CDで聴きました。

私は関西に長く住んでいたものですから
上方落語もよく聴きました。


一番はじめに、高座にかけたのは
桂 米朝師匠の音源をもとにした
「桃太郎」でした。


一つの噺を覚えるために、
家から学校までの通学は、徒歩。

小一時間かけて、ブツブツ言いながら
練習していました。



これまで、披露した落語は、15演目ぐらい。

学校や、老人ホーム、イベントなどに出向き
夏休みは、地方で巡演し、全国あちこちに
行かせてもらいました。



おかげさまで、落語大会では
何度か賞を頂くようになり、
すっかり、落語の魅力に
ハマってしまったのです。



また、落語だけでなく
24時間ぶっ通しで大喜利をやる
24時間 大喜利」というくだらない企画も大好きでした。他大学の落研さんと競演するのですが、
特に、東大落研の皆さんはハイクオリティーで、 
圧倒的に、面白かったです。


 (お題を出して、つっこみをする私)


とにかく、就活が始まるまでは、
目の前の面白いことや、くだらないバカバカしいことに果敢に、チャレンジしていきました。

懐かしいです。

実は、私の落研の同期3人が
落語家になり、現在、二ツ目として
頑張っているようで

仕事場で、彼らの活躍を聞くと嬉しくなります。


NHK時代、落語番組や演芸番組を
させていただくようになったのも、
間違いなく落語研究会に所属していたから。

本当に、ご縁というものは面白いものです。


今後も、どうか
落語の神さまとご縁がありますように🙏
              
               雨宮萌果