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ブログ企画「雨宮萌果 物語」

今回は、
20歳の私をご紹介いたします。

私はどうやら、7年に一度のペースで
それなりに大きな挫折がやってくるようです。


ついに、20歳で
その挫折がやってきました。


2006年、春。


私は、
浪人をもう1年することになりました。


一年目の浪人で
志望する大学を絞りすぎて、
不合格になってしまいました。




自分が甘かった



それに尽きるのですが
それでも、自分がもう1年浪人するとは
考えていませんでした。


失意のドン底とは、このことか…というくらい
1週間ぐらい、泣き続けました。


苦しかったです。

働くことも考えました。
いっそのこと、
海外に行こうかとも考えました。

でも、ここで自分の目指したい世界に
行くことを断念していいのか…

本当に、後悔しない選択か…

考えて考えて、私は親に謝り

もう1年浪人することを決意しました。




それからは、ほとんど家と図書館の毎日。


ときどき、アルバイトで稼いだお金で
予備校の講習を受けていました。

周りの友達に久しぶりに会うと、
言語が通じないくらい
キラキラした大学生活を送っていて、
悔しくて、また泣きました。


行動範囲も狭くなり、体重も今より
5〜6キロ太りました。

そんなコンプレックスまみれだったので
成人式も行きたくありませんでした笑


(成人式をあげた根津神社)



あんなに、人と話すのが大好きだった私が
臆病になり、自分を卑下し、
会話するのが怖くてたまりませんでした。


悔しくて、情けなくて


でも、
己のことは、で救わなきゃいけなくて。


そうした意識に苛まれ
常に苦しかったです。



そんな、私の唯一の楽しみは
昼のテレビでした。

家でご飯を食べる時間帯は

各局で
トークバラエティ番組が放送されていました。


ゲストがエピソードを語るとき、

人間って面白いな、
人生って様々だなと思うのと同時に

司会、インタビュアーをしている

「徹子の部屋」の
黒柳徹子さんの人間性

「ごきげんよう」の
小堺一機さんのゲストへの配慮力

「スタジオパークからこんにちは!」の
当時担当だった
武内アナウンサーの質問の仕方

に、とても魅力を感じたのです。

今思えば、私のアナウンサーを志望する
具体的なきっかけは、
ここからだと思うのですが

当時の私は、アナウンサーという夢は
子供の時に見たビジョン。

私には、到底、叶わない夢だと、
自分の未来を封印させようとしていました。


挫折は、人を大きくさせるといいますが
渦中にいると、やはり辛いもの。

暗い闇の中にいた1年でした。

でも、今だから、やはり思うのです。

人の経験は、何にも代え難いもの。

私は、どんな人生であれ
その人の尊い経験だと思っています。

今、辛い時間を過ごしていても
いつか、必要な時間だったと言えるタイミングが訪れると、私は信じています。


その時間に向き合うことが大事だと
気づかされた20歳でした。



              雨宮萌果