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さて「雨宮萌果 物語」

今回は、19歳の私をご紹介いたします。 


悔いのない高校生活を謳歌した私は
浪人生活を始めます。


私の家は、けして裕福ではありませんでした。


予備校に通う経済的な余裕はなかったので、
豊島区にあった小さな私塾に
アルバイトをしながら通うことになったのです。


アルバイトは、週2回入り
それだけで賄えないときは
派遣のアルバイトをしながら、
日々生活していました。

高校生活とは打って変わって

人と話したり
コミュニケーションを取る時間が
極端に少なくなり、


一気に、自分に向くことになったのです。


そうなると、どうなるか…

不思議と、今までの自分が薄らいでいき
だんだん、このままでいいのだろうかと
内省する自分が現れてきました。

今までの家族に対する態度、やりとり、
思い通りにいかない自己欲求。

勉強する傍ら、こうした内面の葛藤が
寄せては返す波のように押し寄せました。


モヤモヤして、苦しくて、ジリジリ痛むのです。



浪人時代、
母と話す時間が増えたのですが

母に「どうして、こんなに辛くなるんだ」
と泣きながら話したら、

「人の心は、器(うつわ)よ。器が小さいと、
受け止めきれなくて溢れちゃう。

でも、器が大きいと、すっぽり入るのよ。
だから、器は大きい方が
豊かに生きることができる。

でもね、自分の器を大きくするには、
痛みが伴うのよ。

引っ張って、引っ張って、
大きくするときは痛いものなの。

でも、一度大きくすると、
元には戻らないから、今はその時ね。」


(時々私の母は、ただ者じゃないなと思うのですが)

私は、その言葉で、ちょっとづつ

今までの態度を振り返りました。



ようやく、長い、長い、
とてつもなく長かった、反抗期の終焉です。



私が17歳の頃、母が再婚したのですが
反抗期中の私は、今の父を
なかなか受け入れることができませんでした。

2005年 9月

ある日、父、母、私の3人で
ドライブに行きました。


運転する父に向かって、背越しに
こう言いました。

「あのさ、今までずっと呼べなかったけど、
これからはお父さんって呼ぶね。お父さん。」




「……うん、ありがとね。」



父の顔は見えませんでしたが
父の背中は、嬉しそうでした。

「良かったね、お父さん」と母。



少し器が大きくなった気がした
10代最後の私でした。




(今の父と娘の私)

                      雨宮萌果