Amebaニュースに掲載されましたおかげで
本当に多くの人にご覧頂けていること、
あらためて感謝申し上げます。


「雨宮萌果 物語」

不定期ではありますが
どうぞ、これからもご覧頂けると幸いですニコニコ



さて、今日は

17才の私をご紹介します。







2003年 春





私の母が、再婚しました。




相手は
私が中学生の頃から
お付き合いしていた、雨宮正欣さん。


当時は埼玉県警の科学捜査研究所に
勤めていました。


今は、
心から尊敬し、大好きな父です。



しかし、当時、17歳の私は

絶賛、反抗期中。笑


素直に喜べませんでした。

学校から帰ってきたら、
無言で自分の部屋に行き
食事を共にしない日が続きました。

敬語で、よそよそしく、
もちろんまだ「お父さん」とは呼べず

とにかく、居心地が悪いなーと
ずっと思っていました。


きっと父は、そんな反抗期の娘を持って
もっと居心地が悪かったはずです。笑




そんな、私達を「家族」として
地道に作り上げたのが、母でした。


家族旅行、誕生日、クリスマス、正月

これだけは、

何がなんでも、家族を最優先!
友達や恋人よりも、まずは家族!!



そりゃもう、

当時の私は、口がへの字になるほど
文句をブーたれてました。

高校生活が楽しかっただけに、

やってられっかよ!と母に何度も何度も
盾つきました。



しかし

母は負けじと、こう言うのです。



「家族は運命共同体。血がつながってないからこそ、一層の努力が必要。一緒にいることが、まずは大切になるの。」


当時の私は、すぐには理解できませんでした。


それでも、その母の言葉で
しぶしぶ参加していました。




ある日、私の家に、
ネイティブ・アメリカンの
母の友人が泊まりに来たことがありました。

母が再婚して
新しい家族になったことを知り

私の顔を見て、知ってか知らずか

穏やかな顔で、こう話してくれました。

「新しい家族になるってことはね、
時間が解決してくれることもあるのよ。
ゆっくり、ゆっくり
解決してくれることがある。焦らないでね。」

普段は、英語なんてまるで分からないのに

この言葉は、すぅーっと理解できたのです。



当時の私は、
自分の範疇で物事を判断していました。


しかし、こうした言葉が、あとで
薬のように効いてきたのです。

 
正直、再婚して、苗字が変わることは
(しかも、高校生活の途中で!)

恥ずかしいし、辛かったです。


でもそれは、振り返れば一瞬のこと。



今は、この「雨宮 萌果」に誇りと愛しさを
持っています。




(17歳の体育祭にて)

                                        雨宮萌果