小学2年生 3学期 始業式の朝


1995年 1月7日 午前5時46分

私は二階建てベッドの下の段で寝ていました。


それは、突然のこと。

グラ…グラグラグラグラ!!

ゴゴゴゴゴゴォォという地響きに近い
重低音で目が覚めました。

方々から聞こえる悲鳴や大声に
今までになかった「恐怖」という感覚に
すっぽり自分が覆われました。

床は、水浸し。
食器やガラスの破片が飛び散り

とにかくどうすればいいか分からず
ただただ、親について行くのが精一杯でした。

幸い、家族は無事でした。

比較的新しいマンションだったため
ほぼ損壊することはなく

とりあえず毛布にくるまって、
一階のエントランスに避難しました。


外を見渡すと、
夜明けらしい薄い紺色に
霞みがかった炎の橙色が混じり
独特な鈍色の空になっていました。

一時避難所に移動し、知らない人達と
過ごし、余震でさらに恐怖が植え付けられ

この時は、明日のことなんて
考える余地がありませんでした。

子供は子供なりその状況に向き合い

大人は大人で、生きるために必死に
ライフラインを求める。

未曾有の震災を経験すると、
そこから価値観が変わるとよく聞きますが

私達家族も、少しずつその変化を
受け入れようとしていました。

阪神淡路大震災は
忘れられない私の人生の1ページですが

日本は、数々の震災で多くの犠牲者が出て、
今なお被害に向き合う方たちが
いらっしゃいます。

同じ境遇
それ以上の経験をされた方を偲び、

共に今を大切に生きていきたいと
強く願い、祈っています。
雨宮萌果