(帝国書院 地歴高等地図 「古代の行政区分と交通」を横目で見て手で書き写してますので、だいたいで見てね)
関東から関西に戻ってきて、この地に住んで10年が経ちますが、生活圏は、実家のある大阪市内の梅田か天王寺ばかり。
そこで、週末に和泉の国の史跡巡りをしようと思いたちました。
というわけで、今日のアトラクションは『和泉式部』です。
地域の地図をコンビニなどで入手して、なるべくGoogleマップを使わないで、昔ながらのアナログでプチ旅をしようと思います。
では、出発しま~す🚩
家から阪和線鳳駅まで歩いて歩いて歩いて歩いて…そして歩いて…歩いて…歩いて…
見つけました!
お宮さんも出来ていて、綺麗にお祭りされていました。文章上達出来ますようにちょっとご挨拶いたしました🙏
和泉式部は、百人一首の
『あらざらむ この世のほかの思い出に 今ひとたびの あふこともがな』の読み手です。
結婚した相手が和泉の国守だったので、その中で皇子の恋人になったり、離婚したり(この時期は不明)、またその弟皇子の恋人になったりした後、再婚して丹後に行っても、和泉式部のままなんですね。
ちなみに、和泉の国守との間に生まれた娘の小式部内侍の
『大江山 生野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立』
は母式部が夫の赴任地丹後にあったころの歌だそうです。
ジュニアも才媛ですが、若くして産後に亡くなったので、母の式部はその死を悲しむ歌をたくさん読んでいます。
『とどめおきて誰をあはれと思ひけん子はまさるらん子はまさりけり』
さて、和泉式部は、この屋敷にどれくらい居たのか?どうもいたこともあったらしいのですが、多くは京都にいる父のもとにとどまっていたようです。
後に紫式部が仕える一条彰子の女房となったそうで、きっと宮廷サロンを盛り上げたことでしょうね💐
最後に和泉式部日記について
この日記は、深い愛情を捧げた師の宮(冷泉天皇の皇子)との恋愛生活を贈答歌を中心に叙述したものです。
堅苦しくなくて、おしゃべりするような流れるような古文で綴られているのに、脚注を見ると、教養があふれんばかりのこの日記📙
源氏物語や枕草子とは、また違う路線をゆく魅力的な才媛の一生の一番輝ける時を伝えています🐒
🌼参考資料
「和泉式部日記」~岩波文庫
清水文雄注