前回の記事より、初めての試みとして
二部制をとり
第一部『スペイン本編』
第二部『地中海紀行つづき』を
お送りしていましたが、
作業中、前記事をどういうわけか間違えて
削除してしまいました。
保存に残っていましたのは、
第一部『レコンキスタとは』全部と
第二部の地中海紀行サントリーニの一部写真のみ
早速修復を始めましたが、
時間を要してしまうのと
やはり、二部制は、
字数も写真の数から考えても
内容が中途半端になることを痛感いたしました。
そこで、この流れに逆らわずに
地中海紀行のつづきは、
スペイン本編の後に世に出させていただくことに
しました。
そのかわり、しっかり気を入れて
スペイン本編も
地中海紀行のつづきも
どちらも丁寧に
全力投球させていただく所存です。
では、スペイン本編始めさせていただきます!
『レコンキスタの中で生きた人々』
今日も桂米朝もどきがお話させてもらいます😊
レコンキスタ中は、単純に
西洋人のキリスト教徒
vs
アラブ人やベルベル人のイスラム教徒
の戦いだけが全てでは、
ありまへんでした😉
イベリア半島は、
どんな人々で構成されてたんでっしゃろか?
大きく分けて、5つのグループに
分けられたそうですわ!
👱アルバロ(カスティーリャ人)
キリスト教徒
👱→👳モリスコまたはムワッラド
元々はキリスト教からイスラムに改宗した人
![おねがい](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/005.png)
→イスラム侵入後も、キリスト教徒であり続けた人。言語・文化的にはアラブ化したスペイン人。
ローマ教皇からは、異端とされていたが、
カスティーリャ王国のアルフォンソ6世は、見逃してましたそうで。
👳ムデーハル(イスラム教徒)
キリスト教徒に再征服された後のイベリア半島で、
イスラム教徒として残留した人。
1492年
グラナダ陥落以後は、元々キリスト教からイスラムに改宗したスペイン人の呼称を使いモリスコと呼ばれるようになったそうで。
彼らのおかげでイスラム文化と中世スペイン・キリスト教文化の融合されたムデーハル文化が栄えますのやで。
![ニヤニヤ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/037.png)
ラテン語とアラビア語を巧に使い
アンダルス世界(イスラムの支配地域)をよく知るので
イスラム教の国でも、キリスト教の国でも
重要な職についたり、物流の中継ぎで商売もしていたそうでっせ。以外に農業に従事するものも結構いたそうな。
イベリア半島に住んでいた人々は、
例えばキリスト教国の
後継者争いには、
どちらかにイスラムから、援助したり
また、最後のグラナダ王国の世継ぎ争いには、
カスティーリャ王国が、片方に肩入れして
火に油をそそいで、グラナダ王国を弱体化されたりもありまして。
もっとすごいのは、
キリスト教国がイスラム教徒の兵士を
お金で雇ったり、
またその反対もあり
お互い利害が合えば、持ちつ持たれつの関係を
築くのが当たり前でした。
ムデハルの結婚式にモサラベが出席したりして、
ご近所さん同士では、宗教を別にして
人と人が付き合いしてたんですと。
そのうち、レコンキスタが進むと、キリスト教徒がイスラム教徒の結婚式に行くのは、禁止されたそうで。
スペインは、だからヨーロッパの他の国とは
ちょっと違う感覚でしたんやなあ!
ローマ教皇は、遠~くで、ずっとずっと
怒りまくったはったらしいけど😆
現在のローマ法王や前の前のヨハネパウロ2世も、
スペイン感覚ですね。
今日は、スペインの人々の
したたかやけど、
おおらかなお話でございました😃
そしてですな!
レコンキスタ中
大事な二つの出来事とは!
コルドバとトレドが
キリスト教徒か?
イスラム教徒か?
どちらの手に入るか?
これが、スペインの歴史を、塗り替えてゆきますねん!
ということで
次回は、コルドバを
写真も入れてご紹介いたします
参考資料
・レコンキスタの歴史~フィリップ・コンラ著
・スペインレコンキスタ時代の王たち
~中世800年の国盗り物語~西川和子著
・スペイン・ポルトガルを知る事典
・古都トレド異教徒・異民族共存の街~芝修身
・アラブとしてのスペイン
~アンダルシアの古都めぐり~余部福三
最後まで
ちゃんと読んで下さって
ありがとさんでございました😉