今日の朝、
本当に、
なんてことない朝でした。
いつも通りの、
平穏な朝です。
起きて、
顔を洗って、
朝ご飯の準備をしました。
メニューは、
『卵かけご飯』です。
日本人の誰もが一度は食べたことがある、
あの、
究極の時短メニューです。
炊きたてのご飯に、
生卵をポンと割って、
お醤油をひと回し。
それだけの、
非常にシンプルな料理です。
これは、
料理と言っていいのか分からないほどの、
手抜きご飯です。
でも、
今朝の卵かけご飯は、
何かが違いました。
一口食べた瞬間、
わたしは思わず、
固まってしまいました。
「なんだ、これ……!!」
声に出てしまいました。
いつもの卵かけご飯なのに、
なぜか、
ものすごく美味しいのです。
ただの生卵が、
高級料亭の逸品のように、
化けていたのです。
では、いったい、
何が起きたのでしょうか?
卵が高級だったわけではありません。
近所のスーパーで買った、
一番安いやつです。
お醤油も、
特別なしょっつうではありません。
冷蔵庫のドアポケットにいつもいる、
普通の濃口醤油です。
米も、
特別にブランド米にしたわけではありません。
それなのに、
なぜ、
あんなに美味しかったのでしょうか?
ここで、
少し考えてみます。
私たちは普段、
食事をするとき、
何を見ているでしょうか。
目の前にある、
食べ物そのものだけを見ています。
「あ、美味しいな」とか、
「ちょっと塩辛いな」とか、
そんなふうに、
味覚だけの情報で、
判断しています。
でも、
本当にそれだけなのでしょうか?
実は、
美味しさというのは、
食べ物の成分だけで決まるものではない、
ということなのです。
人間の心、
その日の気分、
もっと言えば、
そのときの『生命状態(せいめいじょうたい)』が、
味を変えているのではないでしょうか。
そう、
『心』が味を作っているのです。
少し、
話は変わりますが、
私たちは日々の生活の中で、
たくさんの『作業』をこなしています。
朝起きて、
仕事に行って、
帰ってきて、
寝る。
その繰り返しです。
同じ毎日の繰り返しの中で、
心は、
少しずつ疲弊(ひへい)していきます。
「今日も仕事か……」
そんなふうに、
なんとなく、
灰色がかった気持ちで、
朝を迎えることもあります。
そんな状態で食べるご飯は、
どんなに美味しい高級食材であっても、
味気なく感じてしまうものです。
まるで、
砂を噛んでいるかのように、
味を感じられないこともあります。
では、いったい、
どうしてなのでしょうか?
それは、
心が『閉じて』いるからです。
美味しいものを受け入れるだけの、
心の余白が、
なくなっているのです。
ここで、
今朝の自分の状態を振り返ってみます。
今朝のわたしは、
なぜか、
すごく機嫌が良かったのです。
理由はよく分かりません。
よく眠れたからかもしれません。
夢見が良かったからかもしれません。
理由はなんであれ、
今朝のわたしの心は、
完全に『オープン』な状態でした。
すべてを素直に受け入れられる、
そんな、
柔らかな心になっていました。
その柔らかな心で、
卵かけご飯を食べたのです。
だからこそ、
普段とは違う、
爆発的な美味しさを感じたのです。
これは、
スゴイことです!!
卵かけご飯という、
ただの日常のワンシーンが、
心一つで、
最高のエンターテインメントに変わったのです。
そう考えると、
私たちの人生そのものも、
これと同じなのではないでしょうか。
目の前に広がっている現実は、
いつだって同じです。
同じ会社、
同じ人間関係、
同じような景色。
ドラマチックな事件なんて、
そうそう起きません。
でも、
自分の『見方』が変わっただけで、
いつもの景色が、
まったく違って見えることがあります。
「あ、今日の空、きれいだな」
そう思える瞬間があります。
「このコーヒー、やけに美味しいな」
そう感動することがあります。
世界が変わったわけではありません。
変わったのは、
自分の『内側』だけです。
自分の内側が変わるだけで、
世界の色が、
一気に鮮やかになるのです。
では、
どうすれば、
その鮮やかな世界を見ることができるのでしょうか?
問題は、ここからです。
私たちはいつも、
外側の世界を変えようと必死になります。
「もっと給料が上がればいいのに」
「もっといい家に住めばいいのに」
「もっと優しい人と出会えればいいのに」
そうやって、
外側にばかり目を向けてしまいます。
でも、
いくら外側を変えても、
自分の心がすさんでいれば、
結局は同じことの繰り返しになってしまいます。
億万長者になっても、
心が満たされなければ、
美味しいご飯を美味しいと感じることはできません。
逆に、
今朝のわたしのように、
たとえ卵かけご飯一杯であっても、
心が満たされていれば、
世界一の贅沢(ぜいたく)を味わうことができます。
つまり、
本当の豊かさとは、
物質的な豊かさではなく、
『心を味わう力』そのものなのだと思います。
自分の心を磨くこと。
自分の感度を高めること。
日常のささやかな奇跡に気づくこと。
それこそが、
私たちが本当に求めていることなのかもしれません。
たかが卵かけご飯。
されど卵かけご飯。
あの一杯の卵かけご飯は、
わたしに、
そんな壮大な宇宙の真理を教えてくれたような気がします。
大げさだと思うかもしれません。
「ただの朝ご飯だろ!」と、
ツッコミを入れたくなるかもしれません。
でも、
わたしにとっては、
本当に大事件だったのです。
日常の中に潜む、
小さな感動。
それを見逃さない人間でありたいと、
心からそう思います。
明日も、
同じ卵かけご飯を食べるかもしれません。
もしかしたら、
明日は普通に「美味しいね」で終わるかもしれません。
それでもいいのです。
あの感動を一度知ってしまったからには、
もう二度と、
日常をただの退屈な時間だとは思えません。
すべての瞬間が、
輝く可能性を秘めている。
すべての食事が、
ドラマになる可能性がある。
そう思うだけで、
明日を迎えるのが、
少しだけ楽しみになりませんか?
だからこそ、
目の前にある小さな幸せを、
全力で味わい尽くしたい。
自分の心を、
いつでもピカピカに磨いておきたい。
今朝の卵かけご飯は、
わたしに、
そんな生きる姿勢を思い出させてくれました。
ありがとう、
卵かけご飯。
ありがとう、
わたしの胃袋。
明日も、
素晴らしい朝ご飯に出会えますように。
そんなことを考えながら、
今日も一日、
元気に頑張っていきたいと思います・・
ふと、
そんなふうに思っていたら、
なんだか、
不思議な気持ちになってきました。
朝の、
あの静かな時間。
卵を割る、
あの小さな音。
醤油の、
香ばしい匂い。
それらはすべて、
地球の裏側の人には関係のない、
ちっぽけな出来事です。
宇宙から見たら、
砂粒ほどの、
いや、
砂粒よりも小さな、
ほんの一瞬の出来事です。
でも、
その一瞬の中に、
確実にわたしの人生がありました。
歓びがあり、
感動があり、
感謝がありました。
ここで、
少し、
話しは変わりますが、
みなさんは、
『宇宙(うちゅう)』について、
考えたことはあるでしょうか。
夜空を見上げると、
満天の星が広がっています。
遠い星の光が、
何億年もかけて、
今、
わたしたちの目に届いています。
気の遠くなるような時間。
果てしない空間。
そう考えると、
自分の悩みなんて、
本当にちっぽけなものだと思えたりします。
人間関係の悩みも、
将来の不安も、
宇宙のスケールから見れば、
一瞬のまばたきのようなものです。
では、
いったい、
宇宙と、
今朝の卵かけご飯には、
どんな関係があるのでしょうか?
まったく、
関係がないように思えるかもしれません。
空の星と、
目の前の茶碗の中の米。
ぜんぜん、
結びつかないですよね。
でも、
少しだけ、
視点を変えてみてください。
実は、
どちらも、
同じものからできているのです。
科学的な話を少しだけすると、
わたしたちの体を構成している原子も、
星の欠片(かけら)だと言われています。
はるか昔、
宇宙のどこかで起きた大爆発。
そこで生まれた物質が、
めぐりめぐって、
地球になり、
お米になり、
鶏になり、
そして、
今のわたしを作っている。
そう。
わたしの中に、
宇宙があるのです。
いや、
もっと正確に言うなら、
宇宙の歴史のすべてが、
今のこの瞬間の、
卵かけご飯に詰まっている。
大げさに聞こえるでしょうか。
でも、
それは紛れもない事実なのだと思います。
あの茶碗の中の白米は、
太陽の光を浴び、
大地の養分を吸って、
育ちました。
農家の方が、
毎日、
泥まみれになりながら、
育ててくれたのです。
鶏もそうです。
命を繋ぎ、
卵を生み出してくれた。
醤油だって、
何ヶ月も、
いや何年もかけて、
発酵のプロたちが作り上げたものです。
たくさんの命と、
たくさんの時間と、
たくさんの愛が、
奇跡のように重なり合って、
あの朝、
わたしの目の前に、
ぽつんと置かれていた。
そう考えると、
朝ご飯を食べるということは、
宇宙を丸ごと、
体に取り込んでいるようなものなのです。
スゴイことだと思いませんか!!
私たちは、
毎日、
宇宙を食べている。
毎日、
奇跡を飲み込んでいる。
それに気づかずに、
ただスマホを見ながら、
流し込むようにご飯を食べてしまうのは、
あまりにも、
もったいないことだと思いませんか。
目の前にあるものは、
ただの「物」ではありません。
宇宙の結晶(けっしょう)であり、
愛の塊(かたまり)なのです。
では、
なぜ、
私たちは普段、
そのことに気づけないのでしょうか。
それは、
あまりにも、
それが当たり前になってしまっているからです。
毎日、
ご飯が食べられる。
スーパーに行けば、
いつでも卵が買える。
蛇をひねれば、
きれいな水が出る。
そんな「当たり前」のなかに埋もれて、
私たちは、
いつの間にか、
感動する心を忘れてしまっているのかもしれません。
日常という名の、
分厚いベールに包まれて、
目の前の奇跡が見えなくなっている。
もったいないことです。
本当に、
もったいないことだと思います。
だからこそ、
時には立ち止まる必要があるのです。
あさの、
ほんの数分間でいい。
スマホを置いて、
画面から目を離して、
目の前にあるものと、
真正面から向き合ってみる。
湯気を感じる。
匂いを嗅ぐ。
音を聞く。
五感をすべて開いて、
今、
ここに自分が生きているという事実を、
全身で感じてみる。
それだけで、
世界の見え方が、
ガラリと変わります。
灰色だった景色が、
一瞬で、
鮮やかな色彩を取り戻す。
退屈だった毎日が、
ワクワクする冒険の舞台に変わる。
外側の世界が変わったわけではありません。
変わったのは、
自分の「心」のほうです。
心のレンズを、
ちょっとだけ、
ピントを合わせ直しただけなのです。
そう考えると、
人間の心というのは、
本当に面白いものだと思います。
いくらでも世界を美しくすることもできるし、
逆に、
退屈なものにすることもできる。
すべては、
自分次第なのです。
自分の心の持ちよう一つで、
地獄のような日常も、
天国のような歓びに満ちた時間に変わる。
これこそが、
最大の魔法なのではないでしょうか。
特別な呪文はいりません。
お金もかかりません。
ただ、
目の前のことに心を配る。
ただ、
「ありがとう」と感じる。
それだけで、
魔法はかかるのです。
そういえば、
子どもの頃は、
もっと世界が輝いて見えませんでしたか?
道端の石ころ一つで、
何時間も遊べた。
蟻の行列を、
飽きずにずっと眺めていられた。
夕焼け空の色に、
心を奪われた。
あの頃の私たちは、
誰もが、
感動の天才だったのです。
大人になるにつれて、
私たちは、
「知る」ことを覚えました。
効率よく生きる方法を覚えました。
余計なものを切り捨てることを覚えました。
その結果として、
失ってしまったものも、
たくさんあるのではないでしょうか。
効率の良さと引き換えに、
私たちは、
感動の感度を落としてしまったのかもしれません。
でも、
大丈夫です。
失ったわけではありません。
ただ、
眠っているだけなのです。
いつでも、
あの頃の心には戻れる。
あの、
純粋な目で世界を見ることは、
何歳になっても、
できるのです。
今朝の卵かけご飯が、
わたしに教えてくれたのは、
まさにそのことでした。
「忘れていませんか?」
「ちゃんと、
感じていますか?」
茶碗の中から、
そんな声が聞こえたような気がしました。
幻聴かもしれません。
でも、
それでいいのです。
心が動いたという事実だけが、
何よりも大切なのですから。
明日も、
明後日も、
きっと同じような朝がやってきます。
忙しさに追われて、
また、
感動を忘れてしまう日もあるでしょう。
サクサクと食事を済ませて、
スマホを見ながら、
「早くしなきゃ」と焦る朝もあるはずです。
人間だもの、
ずっとピカピカの心でいるのは、
難しいことです。
疲れる日もあります。
イライラする日もあります。
心がすさんで、
何もかもが嫌になる日だって、
きっとある。
それでも、
いいのです。
そんな自分を、
責める必要はありません。
「あ、
今、
忘れていたな」と気づけたら、
それだけで十分です。
気づいた瞬間に、
また、
心のレンズはピントを取り戻します。
深呼吸を一つして、
あたたかいお茶でも飲んで、
「今日も、
生きているなあ」
そう思えたら、
もうそれだけで、
今日の勝ちです。
大きな成功をしなくてもいい。
誰かに褒められなくてもいい。
ただ、
自分の命の尊さを味わい尽くす。
目の前にある小さな奇跡に、
そっと手を合わせる。
そんな生き方ができたら、
人生は、
それだけで十分すぎるほど、
豊かなものになるのだと思います。
宇宙の果てから見れば、
ちっぽけな私。
でも、
そのちっぽけな私の中に、
無限の宇宙が広がっている。
矛盾しているようですが、
それが真実なのです。
私たちは、
ただの人間でありながら、
宇宙そのものなのだから。
そう思うと、
明日を迎えるのが、
少し、
誇らしく思えてきませんか。
自分の足で立ち、
自分の目で世界を見て、
自分の心で感動する。
これほど、
贅沢なことが他にあるでしょうか。
お金持ちになれなくても、
有名になれなくても、
今、
この瞬間の感動を味わえるなら、
私たちは、
すでに世界で一番の、
豊かな存在なのです。
さあ、
そろそろ、
今日の夜がやってきます。
夜が来れば、
また朝が来る。
地球は回り続け、
星は瞬き続け、
世界は、
静かに、
美しく、
動き続けています。
明日の朝、
目が覚めたとき、
私はどんな気分で布団から出るでしょうか。
もしかしたら、
また眠い目をこすりながら、
ぼんやりと台所に向かうかもしれません。
でも、
心のどこかで、
ひそかに期待しているのです。
また、
あの感動に出会えるかもしれない。
新しいドラマが、
待っているかもしれない。
そう思うと、
夜の闇さえも、
優しく包み込んでくれるように感じられます。
すべてのものに、
ありがとう。
今日も一日、
よく頑張りました。
明日も、
きっと、
素晴らしい一日になります。
そう、
心から信じながら、
ゆっくりと、
眠りにつきたいと思います・・