昭和37年5月上席、うめだ花月のポスター。今でいうゴールデンウィーク興行。
東京からゲストを二組呼んでますが、夢月亭歌麿は後の五代目柳家つばめという人で、歌麿の名前は3年間ほどしか使っていなかったようです。
吉本の看板はワカナ・一郎で、ワカナは四代目で後に吉本新喜劇に出てた河村節子(施つ子)です。余談ですが三代目ワカナは三崎希於子、二代目はミヤコ蝶々。
他にも田鶴子・寿郎、花蝶・勝美など戦前からの芸人さんがまだまだ活躍していた時代でした。
ポケット・ミュージカルスは白木みのるで「緑のエコー」。ちょうどこの5月6日に「てなもんや三度笠」が放送開始されます。
ステレオコントは「よくできました」で、白羽大介、ルーキイ新一・清二、花紀京、奥津雄三が出演。花紀京なんてまだ若手で当時25歳。
吉本ヴァラエティは竹本浩三作・演出の「運転日誌」。白羽大介と平参平の二枚看板で、副座長格に秋山たか志と花紀京。市岡輝夫は後の岡八郎、小島あきらは後の青芝フック。桑原和男も入団1年目。女優はマドンナの藤井信子。
当時は翌月に京都花月がオープン予定で、まだうめだ一館体制。吉本ヴァラエティと名乗っていたものの、吉本新喜劇という名称もぼちぼち使い始めていた頃。
6月の京都のオープンで、新喜劇は2チーム制になり、平・秋山組、白羽・花紀組に分かれます。