なんば花月 昭和63年3月下席 その4 | 続アメマのおとしもの

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では大トリの吉本新喜劇は・・・。
博多淡海劇団「プッツン婆さんナイスローラー」 作・演出 檀上茂。
 
開演前に劇場前の看板を見てビックリ あの~コレって3月上席のうめだ花月でやったヤツやねぇ?しかも「花月爆笑劇場」で放送した後。だからストーリーも全部知っての観劇ですわしょぼん
 
開演アナウンス後のオープニング曲は「Somebody Stole My Gal」ではなく、「花月爆笑劇場」の淡海劇団の初期の頃のテーマ曲でした。後期はABCの「日曜お笑い花月劇場」で一時期使用されてたものに変わってましたね。
 
 
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左から 博多淡海、中川一美。カメラを向けるとおしん婆さんVサイン(笑)
舞台は遊園地のローラースケート場にある売店前。掃除婦のおしん婆さんは今日も仕事をサボってローラースケートに夢中になり、支配人の中川一美に怒られている。
 
 
 
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左から 中川一美、博多淡海
 
 
 
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左から 島木譲二、やなぎ浩二、原哲男風間舞子。 原は昔に生き別れた息子を探偵のやなぎ・島木を使って探している。  風間舞子は元こまつ座の女優で、日活ロマンポルノにも出ていました。前年に博多淡海と結婚しましたが、淡海が病に伏してからは離婚。けっこう悪女だったようですね・・・。
 
 
 
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左から 中川一美、アンルーズ、博多淡海。 このスケート場からアイドル誕生?!  ジュン&ダン絡みの若手が新喜劇に登場。右は少年隊の東山に似てましたね。いつの間にか消えましたけど・・・。
 
 
 
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左から 中川一美、博多淡海、浅香秋恵、原哲男。 原の探している息子はおしん婆さんが息子として育てた子供(岡貴敏)だった・・・。
 
 
淡海劇団のお芝居はやはり吉本新喜劇とは雰囲気が違っていましたね。座員も作品ごとに微妙な変動はありますが、ベテラン座員が少なく若手を多用し、母親の博多淡子(2011年4月30日に死去)や娘の木村優、当時妻だった風間舞子も座員でした。作・演出もほとんど檀上茂が担当。暗転がないのも特徴でしたね。
 
三代目博多淡海襲名当初は勢いがありましたが、段々と作品的にも淡海自身もモチベーションが低下し、尻すぼみな状態になり、「淡海劇団」として花月で上演されたのは昭和62年9月~昭和63年7月のわずか11ヶ月で、倒れる前の8月と9月は博多淡海が出演していても「吉本新喜劇」になっていました。
 
吉本側とすれば吉本新喜劇低迷の打破、木村進の再起を図っての三代目博多淡海襲名だったと思いますが、やはりファンにとっては長年に渡っての「進ちゃん」というイメージが強くて、「三代目博多淡海」は違和感がありすぎました。
おしん婆さんも面白いですが、二枚目や三枚目の素の姿をもっと見たかったですね。
やはり父親譲りの酒好きが何もかもを台無しにしてしまいました。
 
病に伏して復帰してからは「三代目」を返上し、木村進に戻しています。
 
 
 
オ・マ・ケ。
夜の部では昼の部で休演していた人たちが出演。
 
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トミーズ。一番漫才に熱心になってた頃ではないでしょうか。今の雅は好感が持てません。
 
 
 
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阿吾寿朗今日規汰代。  新喜劇元座長と大看板夫婦漫才の妻とのコンビ。いわゆる再結成コンビですが、往年のスターも扱いが低いと見ていて寂しいものがありました。
 
 
 
以上で「なんば花月 昭和63年3月下席」は終わりです。