スチール写真 その6 | 続アメマのおとしもの

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鉄道・吉本・宝塚のことなど・・・。

今回は吉本新喜劇マドンナ編パート2です。
 
 
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山田スミ子、中山美保の次世代マドンナです。
しかし先輩女優ほど大看板扱いはされませんでしたね。
プログラムやポスターでやや別格扱い程度でした。
 
左から
園みち子・・・宝塚に憧れていたらしいが、人生幸朗の紹介で昭和53年1月に新喜劇入団。
        個人的な意見ですが、私は新喜劇マドンナでは一番美人だと思います。
        うめだ花月でサインもらったときに、間近で見るとマジで綺麗でした。
        やめよッカナ以降は母親役などもしていましたが、平成2年12月結婚退団。
        その後は全く出てきませんね。
 
浅香秋恵・・・昭和51年6月入団。今ではブサイクと言われてますが、昔はマドンナだったんです。
        でも今でも私はブサイクだなんて思いません。
        平成3年に島田一の介と漫才コンビを結成するが、翌年解散。マジで面白くない漫才でした。
        小田真理に改名し新喜劇に復帰。平成5年に浅香あき恵に再び改名。
        今では新喜劇最多出演じゃないでしょうか。夫はWヤングの佐藤武司。
 
高橋和子・・・昭和54年5月新喜劇入団。園みち子や浅香秋恵ほどプログラムやポスターでは扱いはよくなかったですね。しかし新喜劇のチーム制が崩壊してまだ花月が三館体制だったころには、園・浅香・          高橋と分かれていました。 昭和62年7月に前田国男と結婚のために退団。
 
未知やすえ・・・高校生の頃から同級生と漫才コンビを組み「笑ってる場合ですよ」などに出演。
         昭和57年4月上席なんば花月で「やすえ・やすよ」デビュー。
         その後、月刊誌「マンスリーよしもと」で屋号の「未知」が決定。
         昭和59年12月解散。昭和60年1月新喜劇入団。
         やめよッカナ以降、新喜劇で若手とベテランとのパイプ役。
         平成4年内場勝則と結婚。  今では新喜劇以外にもTVで大活躍。
         稲垣早希ちゃんが大尊敬する方なのです。