類型論及び心理学、哲学に関心がある全ての人々にこの記事を捧げる
目次
上巻
序文
第一部 時空間における信念と意識
第二部 時空間における欲求と恐怖
下巻
第三部 時空間における時間変化
あとがき
序文
これまで心理機能、エニアグラム及び本能のサブタイプに関する記事をなんだかんだと書いてきたが、この記事及びこの題目に関してはなかなか執筆に手をつけられなかったし、またつけたくなかった。心理機能やエニアグラムに関しても、僕の中での解釈は日々アップデートされていっているが、目指すべき最終像があってもそこに辿り着く気配は全然していなかった。ましてやそれらの理論を統合するという発想は、確かに浮かんではいたしまたそれが僕にとっての哲学および心理学における持論の集大成であることは僕の中ではとっくの前から自明であった。よってこの統合理論の構想は具体的な案が見えてきたのはここ数ヶ月であったが、僕にとっては僕が持つ知識を体系化しまとめあげることは常に目指していたものであり、それはこれまでに発表してきた「心理機能の哲学解釈の全て」や「エニアグラムの哲学的解釈の全て」というタイトルの「全て」という言葉選びからも分かるかもしれない。つまり僕にとって様々な知識を体系化し、統合して理論化したものであるいわば統合理論と僕がそう呼ぶものは、名前にせずともこれまでにも当然のように行い目指してきたものであり、これはやはり僕のビジョン及び信念が、真理はひとつであり世に流布するあらゆる知は表面的なものでそれらは最終的には、特定の超革新的および超核心的な基準によってまとめあげることができるというものだからだ。
とは言うものの、掘り抜かれた核心がいかに濃厚なものであるかは、その果実がいかに大きなものであるかにかかっていると思う。膨大な知見、情報から掘り抜かれた核心というのは、微量の情報から得られる核心とは大いに味気が異なるものだ。
本理論をベースに作った統合類型診断は非常に多くの方々にお試し頂いた。今回の試しみによって得た膨大なデータは、個人情報に触れる可能性のない、公開できる範囲で今後公開していこうと思う。
このような試しや日々の情報インプットにより、僕が持つ情報量というのは増え続ける一方であるからして、先程の話で言うところの果実が拡大し続けている状態である。よって日々僕の中にある「統合理論」は更新され続けており、今後も変化していくと思われる。よって僕が記事を書くということは、今後も成長し続けると分かっている果実を木から切り落として出荷するということだ。しかも今回の果実はかなり大きいものだから余計に切り落としたくない、という気持ちが大きい。という葛藤が、僕が本記事及び本理論を書きたくないという気持ちの正体である。
今後もこの理論は僕の中で進化し続ける。しかしだからと言って、僕はやはり読者をはじめ、類型論に関心のある皆様にできるだけ多くの情報やヒントをお届けしたいという気持ちがある。よって果実を切り落として出荷することは僕の望むことだ。果実は収穫された時点のものが流通する。しかし都合のいいことに、この果実は切り落としても残っているのだ。僕は今後、この果実がさらに大きくなれば、また収穫して出荷すれば良いだけなのである。ということで気持ちの整理がついたため、本論に入っていこう。
本論では心理機能とエニアグラムの解釈を改めて説明する。つまりそれぞれの記事を発表した当時から、またこれらの果実が成長したのでここで一旦収穫したものをお見せするというわけである。つまり本記事における心理機能およびエニアグラムの解釈は「改訂版」である。よって過去の記事を読んだことがある読者の皆様も、統合理論を読むに当たってはこれらにも当然目を通して頂きたい。
第一部 時空間における信念と意識
初めに断っておかなければならないのは、本記事で紹介する理論はMBTIやソシオニクスとは異なるものであるということだ。僕はソシオニクスはまだしも、MBTIには統一的基準がないと考えている。統一的基準がない理論ははっきり言えば印象論にしかならず、タイプ判定をする際に明確な統一的基準がないため、誰が判定しても完全に統一的なタイプを断定することなど不可能ではないかと思った。僕はこれを問題と見なし、これを解決するために明確な統一的基準を各心理機能や格エニアグラムタイプに設け、それをベースに明確な哲学的理論を打ち立てたいわけだ。それが本理論が作られた経緯である。
ここではこの理論における心理機能の基礎的解釈を説明する。大前提として、この理論は各タイプは第1から第4機能までの4つの心理機能のみによって成り立つ。つまりISFJであれば、第1から第4機能までのSiFeTiNeのみによって成り立ち、第5から第8機能と呼ばれたり、ソシオニクスでいう無意識と呼ばれるSeFiTeNiはこの理論におけるISFJにおいてはないものと見なされる。この理論は心理機能を信念と解釈するため、第1から第4機能までの心理機能のみで成り立つようにできている。またこの理論においてはタイプは時間とともに変化するものと考えられるため、信念が大幅に変化すればそれはタイプが変化すると考える。ISFJにはSiFeTiNeしかなく、MBTIやソシオニクスでいうFiはこの場合Feになり、TeはTiになる。なぜこれが成り立つか、それは各心理機能の信念を明確にすることで、TiとFi、そしてSiとNiを対照的に解釈し、いわば白黒はっきり付けることで「あなたはTiかFiならばTiだ。」と断定することができるからである。先程も述べたがこの信念は変わり得るので、タイプも変わり得る。
1.信念が生む心理作用
心理機能の哲学的解釈の全てでは、内向心理機能は譲れない信念であるとして、特にTiとFiに注目して各クワドラント及び各タイプを紹介した。しかし当時の僕の認識は現在のものに比べればまだ表層的であった。
当時はTiを「自身の思考の正当性を信じ、譲らないという信念」、Fiを「自身の存在の優位性を信じ、譲らないという信念」と定義して、それぞれのタイプに当てはめて説明したりこれをもとに相性論を打ち立てたりした。しかしNiやSiに関してはNiSeとSiNeの世界観を簡単に説明しただけでNi及びSi単体での本質には至れていなかった。そして現段階から振り返ると、Ti及びFiの本質の定義にしてもまだ高次元であり、本質に至れているとは言い難いものだ。
心理機能はそれぞれ信念であり、それらの信念が世界観を生む。また、内向機能が世界観の基軸であり、外向機能は内向機能に根ざすものであるというこの見解は今回も同じだ。しかし今回は各心理機能の本質を低次元におけるものとして統一して定義する。これにより、さらに抽象度は増すが果実は大きくなっただろう。それでは果実の種子を食べていこう。
まずは内向判断機能の本質的信念から見ていこう。
Fiの信念は、世界の最小単位は「物体」である、というものだ。
Tiの信念は、世界の最小単位は「概念」である、というものだ。
これらは本質的信念であるから、時空間が存在しない、つまり我々が意識する三次元及び四次元の世界でない、低次元においても成立する。
Fiは世界は物体でできているという信念だ。つまり世界は物理的であると信ずる。
世界が高次元化し時空間が生まれると、物体は複数存在することができるようになる。しかし異なる物体は同じ時間と同じ場所には同時に存在することができない。今我々が陣取っている時間と場所に別の物体を置こうとすれば、我々もしくはその物体はその場所から押し退けられる。
つまり世界が物体でできているのなら、同じ時間と同じ場所に置けるものは限られている。そこで、物理世界に住む者は限られた場所にどの物体を優先的に置くか決める。これが価値付けと呼ばれる行為であり、これには価値がある、あれには価値がないとして、価値の高いものが優先的に扱われる。つまり価値付けとは優劣付けでもある。
「感情」という言葉を調べると、「主体が状況や対象に対する態度あるいは価値づけをする心的過程(広辞苑より一部引用)」とある。
以上より、Fiつまり内向感情は、世界が物体でできていると信じることから生じる、状況や対象に対する価値付けをする心的過程、と言えるだろう。
世界が物体でできているという信念から、「感情」が生じることは納得して頂けただろうか。次はこれとは対照的なTiを説明する。
Tiは世界は概念でできているという信念だ。つまり世界は非物理的であると信ずる。
世界が高次元化して時空間が生まれると、概念は複数存在することができるようになる。異なる概念はそれらが持つ意味が持つ共通点によって結び付き、論理を成す。しかし異なる論理、つまり矛盾する論理は非物理世界において同時に成り立ち得ない。A=BとA≠Bは同時に成り立ち得ず、どちらかが「真」であるならもう片方は「偽」である。つまり世界が非物理によって成り立つなら、異なる論理があるとき、「真」として成り立つ論理は限られている。そこで、非物理世界に住む者は「真」として成り立つ論理がどれであるかを検討する。これが思考と呼ばれる行為であり、自身の信じる論理および概念との矛盾点から、これは正しい、これは間違っていると判断し、正しいものを定める。つまり思考とは真偽の見極め、正誤判断、善悪決めである。
「思考」という言葉を調べると、「ある課題の解決に関与する心的操作(広辞苑より一部引用)」とある。
以上より、Tiつまり内向思考は、世界が概念でできていると信じることから生じる、正誤判断に関する心的操作、と言えるだろう。
以前の「心理機能の哲学解釈の全て」では、Tiを「自身の思考の正当性に対する信念」、Fiを「自身の存在の優位性に対する信念」としたが、これは上記の説明によってもさらに確固に成立が裏付けられた。
物理世界において、自身という物体は価値の高いものであると信じたい。
非物理世界において、自身が信じる概念及びそこから成立する論理は正しいと信じたい。
これらは生存本能により生じる信念であろう。
これでTiとFiの信念及び世界観、そしてそこから生じる心理作用は説明した。次は内向知覚機能だ。
Siの信念は、世界は「変化する」、というものだ。
Niの信念は、世界は「不変である」、というものだ。
これらは本質的信念であるから、時空間が存在しない、つまり我々が意識する三次元及び四次元の世界でない、低次元においても成立する。
Siは世界は変化するという信念である。
世界が高次元化し時空間が生まれる。「変化」が高次元化により「時間変化、時間経過」となる。つまり世界は変化すると信じる者は「時間」を強く意識する。
絶えず変化し続ける世界に住む者にとって、どこにいようが今この瞬間を自分にとってより良い時間にすることはとても重要になるだろう。時空間において、世界が変化すると信じる彼らは時間の過ごし方を強く意識し、今をより良い時間にするためにあらゆる空間を探索し、繁栄期を迎えている地に移り住んだりするだろう。
Niは世界は不変であるという信念である。
世界が高次元化し時空間が生まれる。「不変」が高次元化により「時間不変、時間経過なし」となる。つまり世界は不変であると信じる者にとって、「時間」という存在は実感し難いものである。つまり時空間において、時間を意識しない彼らが強く意識するのは「空間」である。
不変である世界に住む者は、周囲の不変である人々や物品、情報を自分にとって居心地の良いレイアウトに配置しようとするだろう。時間を使って不動である家具を好きな場所に配置し、心地よい部屋を作ろうとするだろう。
Siユーザーが時間を意識するのも、Niユーザーが空間を意識するのも、やはり生存本能に基づいていると言えるだろう。変化する世界で生き抜くべく、より良い時間の過ごし方を求める。不変の世界で生き抜くべく、より良い空間作りを求める。
2.もうひとつの世界
物理世界に住むFiユーザーも、非物理世界に住むTiユーザーも、同じ時空間を共有しているため、両者それぞれの物理的観点、非物理的観点の存在を知っているはずだ。
とは言ってもFiユーザーはこの世界は物体でできていると信じており、非物理的な概念、論理や数学なんかは、根底的にはこの世界では実在しない空想じみたおまけでしかないと思っている。彼らにとって非物理世界は空想上の世界であり、Tiユーザーが話す言語は根本的には外国語だ。
Tiユーザーはこの世界は概念でできていると信じており、物理的なものの価値や物理学なんかは、根底的にはこの世界では実在しない空想じみたおまけでしかないと思っている。彼らにとって物理世界は空想上の世界であり、Fiユーザーが話す言語は根底的には外国語だ。
上記の話には驚き、疑いを隠せない読者も多いと思うが統合類型診断を多くの方にやって頂いて、「この世界はどちらでできているか」と問うと、「物体でしょ」と当然のように即答する方もいれば、「概念でしょ」と当然のように即答する方もいる。我々は同じ時空間を共有していながら、世界に対する信念はここまで食い違うのだ。これには僕も非常に驚いたし、また面白いと思った。
Fiユーザーにとってこの世は物理世界だが、どうやら非物理的観点も普及しているようなので、擬似Tiを持つ必要性を感じてくるわけだ。こうして生まれるのがTeである。TeはFiユーザーが持つ擬似Tiである。擬似であるのは、Fiユーザーはあくまで世界は物体でできていると信じており、Tiユーザーのように世界が概念でできていると信じているわけではないからだ。よってこの擬似Tiにはもちろん本来Tiが持つ本当の根っこ、つまり世界は概念でできているという信念はなく、本当の根っこはFiなのだ。よってFiに根ざしているTeというのは、どこまで非物理的観点に立って概念や論理を用いようと実態はTiのまねごとでしかないということだ。FiユーザーがTeによって概念や論理を用いるのはあくまで自身の感情つまり価値付けを有利に進めるためであろう。この感情は大抵、自身に最も価値を付けようとする。つまり自身の存在の優位性を保持しようとする。
Tiユーザーにとってこの世は非物理世界だが、どうやら物理的観点も普及しているようなので、擬似Fiを持つ必要性を感じてくるわけだ。こうして生まれるのがFeである。
FeはTiユーザーが持つ擬似Fiである。擬似であるのは、Tiユーザーはあくまで世界は概念でできていると信じており、Fiユーザーのように世界が物体でできていると信じているわけではないからだ。よってこの擬似Fiにはもちろん本能Fiが持つ本当の根っこ、つまり世界は物体でできているという信念はなく、本当の根っこはTiなのだ。よってTiに根ざしているFeというのは、どこまで物理的観点に立って価値付け行為に当たる感情を用いようと実態はFiのまねごとでしかないということだ。注意が必要なのはここにおける「感情」は価値付け行為を指す心理学用語であり、一般的な情緒を指すものとは異なる意味で用いていることだ。TiユーザーがFeによって感情じみたものを用いるのはあくまで自身の思考つまり正誤判断を有利に進めるためであろう。この思考は大抵、自身の論理を最も正しいものとする。つまり自身の思考の正当性を保持しようとする。
この世界は概念でできていると強く信じ、自身の論理を確信し、価値付けを行う擬似Fiなど不要だと考えるTiユーザーはTi強Fe弱というパターンだ。つまりこれはIxTPの傾向だろう。
この世界は概念でできていると信じる一方で、やはりどこかでそれを疑い、社会生活においては擬似Fiつまり世界が物体でできているという観点が必要だと考えるTiユーザーはFe強Ti弱というパターンだ。つまりこれはExFJの傾向だろう。
この世界は物体でできていると強く信じ、自身の価値基準を確信し、非物理的な概念や論理を用いる擬似Tiなど不要だと考えるFiユーザーはFi強Te弱というパターンだ。つまりこれはIxFPの傾向だろう。
この世界は物体でできていると信じる一方で、やはりどこかでそれを疑い、社会生活においては擬似Tiつまり世界が概念でできているという観点が必要だと考えるFiユーザーはTe強Fi弱というパターンだ。つまりこれはExTJの傾向だろう。
3.資源の利用
Siユーザーはこの世界が変化すると信じるので、どこであろうとより良い時間を過ごすことを意識する。Niユーザーはこの世界が不変であると信じるので、いつであろうとより良い空間作りを行うことを意識する。
しかし時空間においては時間も空間も、両者がその存在を意識せずともやはり存在する。
Siユーザーはより良い時間を過ごすため、空間を探索することでより良い時間の過ごし方を模索することがあるだろう。これは空間を意識しているため擬似Niと言えるだろう。擬似であるのはあくまで根っこはより良い時間を過ごすことを望んでいるからだ。Niユーザーのように空間作りを意識しているわけではない。このようにSiに根ざした擬似NiがNeである。
世界は変化すると信じるSiユーザーは、最も重要な自分の時間という資源をより良く使うために、空間という最重要でない資源を使う。あらゆる空間を探索することでより良い時間を過ごそうとする。これがSiに根ざしたNeである。
一方Niユーザーはより良い空間を作るため、時間を使って空間を整える。これは時間を意識しているため擬似Siと言えるだろう。擬似であるのはあくまで根っこはより良い空間作りを望んでいるからだ。Siユーザーのようにより良い時間作りを意識しているわけではない。このようにNiに根ざした擬似SiがSeである。
世界は不変であると信じるNiユーザーは、最も重要な自分の空間という資源をより良く使うために、時間という最重要でない資源を使う。時間をフルに使うことでより良い空間を作ろうとする。これがNiに根ざしたSeである。
この世界は変化すると信じ、変化し続ける世界において自身が生存するためにどこであっても通用し、必要と確信するルーチンワークを行い続け、空間及び他の分野探索をあまり必要と感じないSiユーザーはSi強Ne弱というパターンだ。つまりこれはISxJの傾向だろう。ルーチンワークというのはどこであっても必要な最低限の時間と空間と道具があれば行える、遊牧民の日課のようなものに相当するだろう。
この世界は変化すると信じる一方で、やはりどこかでそれを疑い、一定のルーチンワークに確信を持てず、常に空間及び他の分野を探索しようとするSiユーザーはNe強Si弱というパターンだ。つまりこれはENxPの傾向だろう。
この世界は不変であると信じ、不変である世界における自分のビジョンを確信し、時間をフルに使って即行的に空間作りを行う必要性を感じないNiユーザーはNi強Se弱というパターンだ。つまりこれはINxJの傾向だろう。ビジョンはいつであっても持ち続けることにより自分がいる場や環境を長期的に作りかえていくことができる部屋の完成像に相当するだろう。
この世界は不変であると信じる一方で、やはりどこかでそれを疑い、一定のビジョンの実現に確信を持てず、常に自分から即行的に時間をフル活用して空間作りを行おうとするNiユーザーはSe強Ni弱というパターンだ。つまりこれはESxPの傾向だろう。
4.根底的信念と表面的意識
ここまでの説明により、世界の最小単位は物体であるか概念であるか、そして世界は変化するか不変であるか、という2×2の4パターンの世界観が成立することになる。これが世界観のクワドラントである。
αクワドラント(Ti×Si)
世界は概念で出来ており、そして変化すると信ずるのがαクワドラントの人々である。
βクワドラント(Ti×Ni)
世界は概念で出来ており、そして不変であると信ずるのがβクワドラントの人々である。
γクワドラント(Fi×Ni)
世界は物体で出来ており、そして不変であると信ずるのがγクワドラントの人々である。
δクワドラント(Fi×Si)
世界は物体で出来ており、そして変化すると信ずるのがδクワドラントの人々である。
上記で述べたものが各クワドラントにおける根底的信念である。
しかし根底的信念は根底的信念であり、表面的な意識とは異なることもある。ここでは、第1機能と第2機能を「表面的意識」とする。表面的意識はまさしく、表面上意識する観念である。根底的信念が表面的意識でない場合は、根底的には信じつつも懐疑的であるということだ。
具体例を出して説明しよう。
INTPは根底的信念はTiとSiであり、表面的意識はTiとNeとなる。つまり根底的には世界は概念でできており、また世界は変化すると信ずる。表面的意識の第1機能がTiのため、世界は概念でできていると強く意識する。つまりTiにおいては根底的信念がそのまま筆頭の表面的意識となり、Tiつまり世界は概念でできているという信念は決定的強固なものとなる。相対的にFeつまり世界は物体でできているという観念は弱くなる。
表面的意識の第2機能はNeのため、世界は不変であるという観念を意識する。しかし根底的信念はSiつまり世界は変化するというものであるため、根底的信念と表面的意識の間で葛藤が生じる。よって世界は変化すると根底的には信じつつもそれを疑い、表面的には不変であると意識している状態だ。
以上のようにTとF、NとSという信念は、片方が強くなればもう片方は弱くなるという具合に反比例する。つまりTiもしくはTeが第1機能であれば、相対的にFiもしくはFeは弱くなるので第4機能となる。第2がNiもしくはNeであれば、相対的にSiもしくはSeは少し弱くなるので第3機能となる。
これはこの理論においては最もな理屈で、それぞれ世界は概念でできているか物体でできているかの二択、世界は変化するか不変であるかの二択であるから、片方を強く信ずればもう片方に対する信念は弱くなる。
INTPは世界は概念でできていると根底的に信じまた表面的にも強く意識するため、世界は物体でできているという観念は不要であると考える。「この世界は絶対に概念でできているから物体でできているなどという余計な観念はいらない。」というのが主機能TiかつFe劣等というわけだ。
INTPをはじめとした、ISTP、ISFP、INFPと言ったIP型は、筆頭の表面的意識の判断機能と根底的信念の判断機能が一致しているので、TiもしくはFiが強い。彼らにとって、この世界は〜でできているという信念は疑いようのないものであり、この世界に対する彼らの判断は絶対的なものである。彼らはこの世界の構造を確信しているため、自身が下す判断には疑いようがない。
次にENTPの例を出す。ENTPも根底的信念はTiとSiだ。表面的意識はNeとTiである。
筆頭の表面的意識がNeであるため、相対的にSiは弱くなる。根底的信念であるSiが第4機能であるということは、根底的信念とは言えどSiつまりこの世は変化するという信念は弱い。そんなSiの微弱さから、Neつまりこの世は不変であるという観念を強く持ち、世界は変化すると信じつつも不変性も大いに考慮しようとする。
表面的意識の第2機能はTiであり、これは表面的意識と一致するので世界は概念でできているという信念は安定的だろう。第3機能Feは、そこまで強くもない第2機能Tiの裏側として必要性を感じる観念であるだろう。
ENTPをはじめとした、ESTP、ESFP、ENFPと言ったEP型は、筆頭の表面的意識の知覚機能と根底的信念の知覚機能が矛盾しているので、彼らはこの世界は混沌(カオス)だと知覚する。この表面的意識と根底的信念の葛藤が、彼らの不安定な衝動性を生んでいると言えるだろう。根底的信念と表面的意識が食い違う彼らにとってこの世は不確定要素だらけ、つまりまさしくカオスなのである。
次はESFJの例だ。根底的信念はTiとSiであり、表面的意識はFeとSiである。
筆頭の表面的意識がFeであるから、相対的に根底的信念Tiは弱くなる。つまり彼らはこの世界は概念でできていると根底的には信じながらも物体でできているという観念を強く意識する。
表面的意識の第2機能はSiであり、これは根底的信念と一致するため安定的だろう。彼らは世界は変化すると信じ、また意識した上で変化する世界のどこにおいても通用するルーチンワークを重視する。第2がSiなので、第3はNeとなる。
ESFJをはじめとしたENFJ、ENTJ、ESTJといったEJ型は、筆頭の表面的意識の判断機能と根底的信念の判断機能が矛盾しているので、彼らはこの世界はカオスだと判断する。この表面的意識と根底的信念の葛藤が、しばしば見られる彼らの不安定な衝動性を生んでいると言えるだろう。
ISFJの例。根底的信念はTiとSiであり、表面的意識はSiとFeである。
筆頭表面的意識と根底的信念がSiで一致しているので、この世界は変化するという知覚は確信的なものになる。
ISFJをはじめとするINFJ、INTJ、ISTJといったIJ型は筆頭表面的意識の知覚機能と根底的信念の知覚機能が一致しているため自身のこの世界に対する知覚は確信的なものになる。結果、もう片方の知覚機能は必要性を感じず劣等となる。
以上の説明から、IP型は判断(この世界が物体か概念のどちらでできているか、つまりこの世界の構造)に対して確信的であり、IJ型は知覚(この世界が変化するか不変か、つまりこの世界の状態)に対して確信的である。
よって内向型は確信を持てているため、衝動性は低くなり大人しく、「やらなくてもわかる」という感覚となる。
EP型は表面的意識と根底的信念の知覚機能が矛盾しており、この世界の状態に対して確信を持てない。
EJ型は表面的意識と根底的信念の判断機能が矛盾しており、この世界の構造に対して確信を持てない。
よって外向型は確信を持てないため、衝動性が高くなり、行動的で、「やってみないとわからない」という感覚となる。
僕の解釈では、外向機能とは根底的信念が母国語であれば外国語であり、また根底的信念が弱いがゆえに強くなるものである。
ENTPの根底的信念はTiとSiだ。Tiはそこそこ強く、Siはかなり弱い。よってTiの裏側であるFeはそこそこ弱くなり、Siの裏側であるNeがかなり強くなる。これがNeTiFeSiの並びとなるわけだ。僕はこう書きたいくらいだ。-Si Ti -Ti Si
Siつまり「この世界が変化する」という信念が弱いからこそ、Neつまり「この世は不変である」という観念を強く意識する。Tiつまり「この世界が概念でできている」という信念がそこそこ強いからこそ、Feつまり「この世界が物体でできている」という観念をそこそこ弱く意識する。
表面的意識に外向機能が登ってくるのは、内向機能つまり根底的信念が弱いからだ。この世界は変化するという信念が弱ければ、この世界は不変であるという観点は持たざるを得ないというわけだ。
以上の説明を読んでも、皆自分自身の世界観や感覚しか知らないだろうから、比較対象がないためまず完全に納得いくことはないだろう。しかし本理論はやはり各心理機能の本質を明らかにし、それをもとにあらゆる現象を、理論の抽象像を具体化することにより説明したものである。
以上の根底的信念を見分けることによってクワドラントは判別可能だ。しかし、各クワドラント内のIP、EP、EJ、IJはどう判別するか、というのが次の課題だ。
IP、EP、EJ、IJがそれぞれ判断に確信的であることや表面的意識と根底的が矛盾していることなどは定義したが、これらを判別する指標が欲しかった。
そこで僕はエニアグラムをこのクワドラント内のタイプ判別に用いることができるのではないかと考えた。これこそが統合理論である。
第二部 時空間における欲求と恐怖
エニアグラムの解釈についてはエニアグラムの哲学的解釈の全てで解説した。しかしここでもう一度定義しておこう。
まずエニアグラムと本能のサブタイプが統合された。各界における制圧機能、保持機能、受容機能は、sx、sp、soにあたる。
sxは他者の不可侵領域を侵したい。攻め。
spは他者に不可侵領域を侵されたくない。逃げ。
soは他者に不可侵領域を侵されたい。守り。
soは不可侵領域を侵されることで社会における自身の立場を確保できると考える。つまり社会において立場を確保し、守りを固めるというわけである。
1.現実界
生まれたばかりの赤子が見るような、各対象物を認識できない区切り目のない連続性の世界。人間界における虚構がまだ構築されておらず、まさしく現実世界である。
現実界制圧(sx) タイプ5
連続性の現実界に区切り目をつけ、対象物を定義し、意味付けすることで制圧することが根源的欲求であり、またできないことが根底的恐怖。つまり現実界を攻めたい。
現実界保持(sp) タイプ4
連続性の現実界つまり意味を持たないものに、自己という意味のある個性を潰されることが根底的恐怖であるから、自己の個性を保つことが根底的欲求。つまり現実界から逃げたい。
現実界受容(so) タイプ9
まだ意味を持たない連続性の現実界において納得のいく意味付け、定義をされること、つまり構造化され想像界に移行することが根底的欲求であり、納得のいかない意味を持たないように見えるものに現実界を潰され無理やり構造化されること、つまり象徴界への移行が根源的恐怖である。つまり現実界を守りたい。
2.想像界
自己と他者の認識を通して、自己像およびナルシズムを意識する世界観。人間界における虚構の構築が進み、勝ち負けや優劣を意識し、それらが自己像に刻まれると感じる。
想像界制圧(sx) タイプ8
自己と他者を意識する想像界において、闘争することなどで勝者敗者などと自他の自己像を刻むことが根底的欲求であり、できないことが根底的恐怖。つまり想像界を攻めたい。
想像界保持(sp) タイプ7
自己と他者を意識する想像界において、勝敗などの結果を自己像として刻まれることが根源的恐怖であるから、自己像を未確定のまま保つことが根底的欲求。つまり想像界から逃げたい。
想像界受容(so) タイプ3
自己と他者を意識する想像界において、自己像に勝敗などの結果を刻まれることで自身がより何らかの象徴として構造化されること、つまり象徴界への移行が根源的欲求であり、自己像という既得の構造すら破壊されること、つまり現実界への移行が根底的恐怖である。つまり想像界を守りたい。
3.象徴界
人間社会を意識し、文化や規範を意識する世界観。虚構の構築がさらに進み、完成に近づく。虚構に対する信頼度が強い。
象徴界制圧(sx) タイプ2
人間社会を意識する象徴界において、文化や規範を教示することで秩序を構築することが根底的欲求であり、できないことが根底的恐怖。つまり象徴界を攻めたい。
象徴界保持(sp) タイプ1
人間社会を意識する象徴界において、自身が納得できない文化や規範を押し付けられることが根底的恐怖であるから、自身の倫理観を保つことが根源的欲求。つまり象徴界から逃げたい。
象徴界受容(so) タイプ6
人間社会を意識する象徴界において、規則や文化的秩序が崩壊し、場当たり的な闘争の場となること、つまり想像界への移行が根源的恐怖であり、規則や文化を教示されることで確固たる秩序のもとで庇護され、闘争もまだない構造を持たない世界を意識すること、つまり現実界への移行が根底的欲求。つまり象徴界を守りたい。
4.虚構の構築
現実界、想像界、象徴界と進むにつれて、我々の頭の中に築かれる虚構は確固たるものになる。当然これは現実界からすれば単なる思い込みでしかなく、この思い込みが進んでいき、行き着く先が象徴界、そしてこの思い込みが思い込みでしかないことに気付き、虚構への信頼が崩壊した時が象徴界から現実界への移行である。
ーーーでは、このラカンが提唱した3つの界を、それぞれフロイトが提唱した発達段階に当てはめた。
現実界は口唇期、想像界は肛門期、象徴界は男根期の世界観に当たるだろうという仮説。統合理論を構想する際、これらとクワドラント内のIP、EP、EJ、IJが合致するのではないかと思いつき、これを確かめずにはいられなかった。
口唇性格の特徴である受動性や依存性は、IP型の性格と似通っている。また現実界を意識するのは、IPが判断機能に対して確信的であること、つまり世界が何でできているかを確信できていることとも合致する。
肛門性格の特徴である規則的行動や過度な倹約等は、この世はカオスであると知覚し、また第2機能が根底的信念の判断機能であるEP型に合致する。この世はカオスであると知覚し、かつこの世に対する判断にはそこそこの確信があるため規則的行動が目立ちそうだ。
自己と他者の認識から、自己像を意識する想像界は外向型と合致するだろう。
想像界から象徴界への移行途中の段階は、EJ型に合致しそうだ。
秩序が完成している象徴界は、つまり虚構に対する信頼が高いということだ。これはこの世界に対する知覚に確信的であるIJ型に合致するだろう。
まとめると以下のようになる。
IP型つまり現実界はまだ虚構が構築されておらず、世界に対して手探り状態である。連続性の世界においては何を何とも認識できず、人間社会において蔓延る数々の虚構に対しては不信感に満ちている。虚構に対する信頼が薄く、一寸先は闇であるため、行動的にならず留まることが安全だと考える。
EP型つまり想像界は虚構が少し構築され、自己と他者の認識を通して自己像を意識するため、他者との関わりを通して自己を意識しようとする。人間社会に対する信頼が少しあるため、行動的にはなれる。よって外向的になるが、虚構がまだ完全には構築されていないため、行き当たりばったりなところがあり、また自身に対しても確信が持てず、カオスなこの世界に対して虚無感を覚えることもあるだろう。
EJ型つまり想像界から象徴界への移行途中は、虚構がおおよそ構築され、自己と他者の認識を通して自己像を意識し、なおかつ人間社会の虚構をおおよそ信じ、これに従うことが最も安全だと考える。しかし虚構が完全には構築されていないため、自身の知覚に確信を持てず、まだ衝動性と行き当たりばったりなところが見られる。
IJ型つまり象徴界は、虚構が完全に構築され、自身の知覚に対して確信を持てる。このため「やってみないとわからない」とは思わず「やらなくてもわかる」になる。よって自身で即行的に行動する外向性からは引退し、世界や社会の虚構への信頼を通してしたたかに着実に行動していく。しかし虚構に対する高い信頼が揺らいだ時、象徴界から現実界への移行がはじまる。
以上を読んでピンと来ただろうか。
IP→EP→EJ→IJと、移行するにつれて世界や社会に対する虚構への信頼が強くなっていく。虚構への信頼が強ければ、それを前提に計画を立て、行動することが可能になる。計画というのは揺らぎない前提がなければ立たないものだ。よってIJ型に近づくほど長期的計画が立てられるようになる。
IP型は虚構に対する信頼がないため一寸先は闇の世界において計画を立てることも行動を起こすことも難しい。彼らにとってはこの世が物体でできていることもしくは概念でできていることは揺らぎないことであっても、この世において何が起こるかは不確定要素だ。
EP型、EJ型は虚構に対する信頼がそこそこついたため、多少は短期計画に基づいて行動を起こすことが可能になるが、まだこの世は不確定要素が多い。
IJ型は虚構に対する信頼が強いため、それをもとに長期的計画を立て行動することができる。知覚に対して確信的なIJ型は即行的に行動する必要性も感じないだろう。つまりIJ型はその虚構に対する多大な確信によって、行動的な外向性からも引退したのだ。焦る必要はない。全ては確定要素なのだから、ゆっくり着実に行動することが最も安全であると考える。
5.統合理論のデータ的裏付け
クワドラント内のIP、EP、EJ、IJの違いは現実界、想像界、象徴界の違い、つまり虚構の完成度の違いだ、というのがこの理論における僕の主張なのだが、そうは言われてもやはりデータ的裏付けがないとこれは説得力がないかもしれない。そこで16タイプとエニアグラムの関係についての統計データをお見せしよう。
上の画像は各16タイプにおいて各エニアグラムタイプが占める割合である。
各16タイプにおける最も割合の高いエニアグラムタイプが、現実界、想像界、象徴界のどの界であるか、そしてそれが何タイプであるかをまず調べ、その次に残りの2つの界において最も強いタイプが何かを調べ、最後に残りの界において最も強いタイプを調べたものである。
調査結果のまとめが以下である。
アルファ(Ti Si)
INTP 5>7>6つまり現>想>象
ENTP 746 想現象
ESFJ 234 象想現
ISFJ 693 象現想
ベータ(Ti Ni)
ISTP 567 現象想
ESTP 765 想象現
ENFJ 234 象想現
INFJ 423 現象想
ガンマ(Fi Ni)
ISFP 427 現象想
ESFP 724 想象現
ENTJ 865 想象現
INTJ 568 現象想
デルタ(Fi Si)
INFP 427 現象想
ENFP 742 想現象
ESTJ 369 想象現
ISTJ 653 象現想
以上のデータを見ると、以下のような法則性が見られる。
IP(TiSi) 現想象
IP(Fi/TiNi) 現象想
EP(Si) 想現象
EP(Ni) 想象現
EJ(Ti) 象想現
EJ(Fi) 想象現
IJ(Si) 象現想
IJ(Ni) 現象想
そしてさらに以上のデータより、これらの法則性を抽出できる。
IP 現実界優位
EP 想像界優位
EJ 現実界劣等
IJ 想像界劣等
また、改めて心理機能の並びが何を意味するかも見てみよう。
アルファクワドラントの例を出そう。
Ti>-Si>Si>-Ti (INTP)
-Si>Ti>-Ti>Si (ENTP)
-Ti>Si>-Si>Ti (ESFJ)
Si>-Ti>Ti>-Si (ISFJ)
世界や社会に対する信頼が薄いIPは、現実界優位のため世界が概念でできているという判断機能の確信はある(Ti第1機能=-Ti第4機能)ものの、この世が変化するという知覚の根底的信念はやはり薄い(Si第3機能=-Si第2機能)。
世界や社会に対する信頼が少しついたEPは、現実界寄りの想像界優位のため、世界が概念でできているという判断機能の信念はそれなりには強い(Ti第2機能=-Ti第3機能)、また行動的になるとこの世は変化するという根底的信念が揺らぎ(Si第4機能)、この世は不変であるという観念の必要性を感じる(-Si第1機能)。
世界や社会に対する信頼がそこそこついたEJは、象徴界寄りの想像界のため、世界が変化するという知覚機能の信念はそれなりには強い(Si第2機能=-Si第3機能)、また行動的になるとこの世は概念でできているという信念が揺らぎ(Ti第4機能)、この世は物体でできているという観念の必要性を感じる(-Ti第1機能)。
世界や社会に対する信頼が強いIJは、象徴界もしくは現実界寄りの象徴界のため、世界が変化するという知覚機能の信念は確信的である(Si第1機能=-Si第4機能)、しかし地味な行動を通して、この世は概念でできているという信念は弱くなり(Ti第3機能)、この世は物体でできているという観念の必要性を多少感じる(-Ti第2機能)。
外向型の第1機能がマイナスとなるのは、行動的になることによって盲信が盲信であることに気付き、外国語を使う必要性を感じるからともとれるだろう。内向型が主機能を確信できるのはどこまでいっても科学的に述べればやはり盲信と言わざるを得ず、これは行動的な体勢となれば外国語を使うほうが効率が良いと思えるものと思う。
まぁ、今述べたものは結果に至るまでの過程を仮定したものに過ぎず、なぜIPやEJ、EPになるのかは諸説あると思っている。
(下巻に続く)

