父島の港は歓迎の人々で賑わっていた。

手作りのプレートを持って手を振っているのは
乗船客たちが宿泊する宿の人たちで
自分の宿泊先のプレートを持つ人を大急ぎで探す。

その当時の宿は一般的な民宿が主で、
今日のようなおしゃれなペンション風のものは
少なかったように思う。
わたしが泊まる宿も同様で
民宿のおばちゃんに宿帳を差し出され
氏名、年齢、住所などを記入する。

荷物を部屋に置いて港へ向かう。
まずはホエール・ウォッチングに関する情報を
仕入れなければならない。
小笠原に行くにはどうすればいいんだろう?

今のようにインターネットが発達する前だったので
雑誌の中の記事しかない。
しかし、いまいちよくわからない。

それで、とにかく旅行会社に行けば何とかなるだろうと
出かけてみた。

わたしがたずねた旅行会社では
名古屋から小笠原に行く客はそれまでいなかったようで
担当者もはじめての試みだったらしい。
多少不安な気持ちはあったが何とか小笠原丸の乗船券と
現地の宿泊先の確保はできた。

小笠原丸の乗船手続きをして無事乗船できたが
雑魚寝の二等室だったので、
約一畳分のスペースに毛布と枕があるだけの
初めて目にするその光景に少し不安になる。

28時間後、寝不足の目の前に現れた父島の島影。
近づくにつれその荒々しい姿に緊張する自分がいた。
幻のホエール・ウォッチングの後、
ダイビング関係の雑誌などから
国内でのホエール・ウォッチングのことを知る。

場所は二ヶ所。
沖縄の座間味と小笠原。
どちらもその当時はその2ヶ所に関しての知識は
皆無に等しかった。

3~4月の祝日を使って行こうと思った。
小笠原に行くためには大型フェリー小笠原丸しかない。
しかし、行って戻ってくるまでに最低5日間は必要。
それまでそんな長い休暇を盆休みや正月休み以外に
取った事が無かったのであるが
なんとなく「行くなら小笠原しかない!」という
気持ちに固まっていた。