今日は冬至
一年のうちで夜が最も長い日です
我が家でもお風呂に柚子を浮かべて
身体を温めようと思います
さて、夫の勉強会に便乗しての
紫式部史跡巡り記の続きです
まずは9時半頃 ホテルに荷物を預けて
地下鉄四条へ
そこで地下鉄・バス1日券を買って
京都駅へ向かいました
まず最初に目指すのは石山寺
約10分ほどで到着しました
10:15発のバスで5駅
石山寺山門前に10時30分頃到着
バスの料金は230円でした
ほぼ待ち時間なくスムーズに来られたので
石山寺に受け入れてもらえた気がして
なんだか嬉しかったです
石山寺は聖武天皇の願いで
良弁僧正によって創建された
西国三十三所巡礼の第13番札所
そして、世界最古の長編小説
源氏物語が起筆された寺院として
知られています
紫式部は1004年に中宮から
「新しい物語が読みたい」と言われ
この石山寺に7日間参籠しました
参籠とはお堂に籠もり夜通し祈願すること
石山寺から琵琶湖に映る
十五夜の名月を眺めていた時に
失意のうちに都を離れた貴公子が
宮中での遊びを恋しく思う場面が
思い浮かんだんだそうです
そして「今宵は十五夜なりけり」と
須磨の巻を書き始めたのが
源氏物語の始まりだと言われています
こちらが入口になる東大門
源頼朝の寄進により建てられた門
だと伝えられています
焼失を繰り返したあと
豊臣の時代に淀殿によって
大規模な修理が行われたそうです
門の両脇の仁王像は鎌倉時代の
仏師 運慶・湛慶の作
近くで見ると迫力があって
その古さに歴史を感じました
山道脇にある公風園の奥に牛車が見えました
お〜
気分を盛り上げてくれますね〜
この公風園は石山寺の庭園で
“公風”の横にそれぞれ木(きへん)を
つけてみると…
“松楓”と割り字になっているとのこと
風流です
石山寺の境内案内図
ここで入山料を支払って中へ入ります
大人 600円
子ども 250円
このような境内図や花暦が書かれた
パンフをいただきました
くぐり岩
この穴をくぐると願いが叶うと言う
パワースポットです
中はこんなふうになっていて
かなり狭かったです
天然の胎内くぐりの状態になっていて
自然の大理石でできているそうです
この出口から出てきます
くぐり岩を出てすぐのところにある
急な石段を上がると
たくさんのお社がありました
観音堂
西国三十三所観音霊場すべての
観音様がお祀りされています
…ということは
ここにお参りしたら33ヶ所の観音様に
お参りしたことになる
しっかり手を合わせてきました
その右手には石山寺の御神木
天平時代 石山寺創建当時からの
老杉がそびえ立っていました
この杉の木は当時の紫式部の姿を
見たことあるんですよね〜
ん〜感慨深いなぁ
毘沙門堂
源頼朝の側近・中原親能(ちかよし)が
和束で起こった反乱の討伐に向かう際
石山寺に詣で、勝利を祈願したところ
石山寺の門を出発した時
親能の前に毘沙門天が現れ
無事に反乱を鎮めることができたと
伝わります
蓮如堂
淀殿による大修理の時に拝殿として
建築されたもので
神事のほか、仏事にも使用されていた
非常に珍しい建物です
明治以降、蓮如上人の御影や遺品を
祀っていることから蓮如堂と呼ばれています
天然記念物に指定される
巨大な珪灰石(けいかいせき)
上から見ると
石灰岩が地中から突出した花崗岩と
接触し、その熱作用で変質したのが
この珪灰石ですが
このように雄大なものは
大変珍しいそうで、
これが石山の名前の由縁になってます
本堂
下方から見あげた本堂です
崖の上に長い柱で建物を支える
懸造り(かけづくり)という建築様式で
滋賀県最古の木造建築物
1078年の大火で焼失しましたが
正堂は平安時代に再建され
礼堂は慶長の大修理の際、
淀殿の寄進により増築されました
本堂の一角には源氏の間があります
紫式部が源氏物語を執筆していた
と伝わるお部屋です
本来ならここには等身大の
紫式部人形が座っているハズですが…
修復中ということで残念でした
お人形は2024年3月18日に
戻ってくるそうです
経蔵
文字通り経典を収めるための高床の校倉で
滋賀県最古の校倉造の建造物です
経蔵の床下にある安産の腰掛け石
この建物の束の一部は
珪灰石の岩盤に直接建てられています
その束を抱くようにこの岩に座ると
安産になるという言い伝えが
あるそうです
紫式部供養塔
横にある円柱は
松尾芭蕉の句碑です
石山寺は広くて見所が多く
この先もまだまだ続きますので
2回に分けて綴ります
<石山寺後編に続く>