勘違いで天守を解体された城・伊勢亀山城 | 心にうつりゆくよしなし事を

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別荘体験を終えた朝

近くの亀山市歴史資料館に立ち寄りました

入館料/一般 200円

 

展示室に入ってすぐこんな言葉がありました

 

<歴史を知るということ>

むかしの人々は「大」「吾妻」といったように歴史書に「鏡」の名を付けました。

 

これは、

むかしの人々の足跡を知る事は、今生きている私たちに照らし合わせて、この先どのように生きるべきかの指針となるものである

という意味をもたせています。

 

その通りですね~

自称「歴熟女」たる私も歴史から色んな事を学ばせてもらってます(^O^)

 

この資料館、小さいですが、

なかなか良かったですよグッ

 

古代から現代までの亀山の歴史が

小さな子どもでもわかりやすいように展示してありました。

 

これは戦国時代頃の

亀山の街のジオラマです下矢印

昔はこ~んな感じやったんですね

 

せっかく歴史をお勉強したので

資料館から徒歩10分のところにある

亀山城址にも行ってきました

 

資料館に車を停めて歩いて行こうか

とも思ったんだけど、お天気が良すぎて

暑かったので車で移動(^▽^;)アセアセ

 

市役所に車を停めさせてもらい

市役所入口のラックにあった亀山と関宿のマップをゲット

 

それを持って城址に向かいました。

伊勢亀山城は、鎌倉時代に伊勢平氏の流れをくむ「関」氏によって築城されました。

 

織田信長が伊勢進攻をして以降は

たびたび戦場となりました。

 

豊臣秀吉が天下統一を成し遂げた年に

織田信長の側室の叔父で、秀吉に従った

岡本良勝さんが入城

 

天守、本丸、二の丸、三の丸など、

現在に残る亀山城の基本形が作られました

 

!!

 

実はこの伊勢亀山城

江戸時代初めに、勘違いで

天守が解体されてしまったんですアセアセ

 

亀山城という名前の城は全国に数か所あるんです。たとえば・・・


●三河国(現:愛知県新城市)亀山城

 通称 作手城
 

●備前国(現:岡山県岡山氏)亀山城

 別称 沼城
「黒い風雲児」宇喜多直家の壮年時代に活躍の拠点となった城です

●丹波国 亀山城
京都・亀岡市にある亀山城

(現在一般的には亀岡城と呼ばれてます)

<2009年11月撮影>

織田信長に丹波平定を命じられた明智光秀が、丹波攻めの拠点として築城したお城です。

光秀はこの城を拠点に"丹波の光秀"の名を馳せました。

 

幕府は堀尾忠晴という家臣に、この

丹波亀山城の天守を解体せよ

と命じたんですけど・・・

 

何をどう勘違いしたのか、堀尾さんは

伊勢亀山城の天守を解体してしまったんですよーっ!!(゚ロ゚屮)屮

 

そのあと城主となった本多俊次さんは

伊勢亀山城を大改修し、天守を失った天守台に多聞櫓を築造しました。

今の伊勢亀山城は、

ほとんど史跡は残っておらず、

その多聞櫓を復元したものがあるだけでした

 

市役所と西小学校が立ってる場所が当時

二の丸だったことを思えば、大きなお城だったんだなぁ~ってわかります

 

一応小学校はお城を連想させる仕様になっていました。

 

それにしても、江戸時代の伊勢亀山城は

幕府の宿所としての役割があって

 

上洛する徳川家康、秀忠、家光などが

本丸で休憩をとったり泊まったりしていたんです

 

そんな重要なお城の天守を

解体しちゃ~アカンでしょ(笑)