今日は何を読むのやら?(雨彦の読み散らかしの記) -6ページ目

今日は何を読むのやら?(雨彦の読み散らかしの記)

<<<<<< 本のレビューや、ちょっと気になった言葉への思いを書いてみたいと思います >>>>>>

なんと言うのだろうか。

とても良い作品だと思う。

 

小説への愛、そして、小説家だった父と、妻として寄り添い続けた母への思慕に満ちている。

そして、父の元愛人だった女性への深い理解にも。

 

筆者は、井上荒野。

父である井上光晴、父の愛人だった瀬戸内晴美(瀬戸内寂聴)、そして筆者自身もこの作品には登場する。

(瀬戸内晴美は、作中では「長内みはる」として登場し、出家して「寂光」となる)

 

瀬戸内寂聴という人のことは、これまではほとんど知らなかった。

映画にもなっている「花芯」で描かれた半生のように、世間から不道徳と言われようと、自分の欲求に忠実な生き方を貫いた人。

岡本かの子(岡本太郎の母であり、「金魚繚乱」などの作品を残した作家)の評伝である「かの子繚乱」を書いた人。

そして、出家した後も性愛小説を書いていた人、といった程度の知識しかなく、出家した経緯も知らなかった。

 

もちろん小説だからフィクションとして読まなければいけないというルールはあるが、登場人物(作家の妻と愛人)が一人称で語る形なので、実際の寂聴自身がこう考えたのだろうか、こう感じたのだろうかと、どうしても思えてくる。

まして、筆者は、モデルとなった人たちと実際に生きてきた人なのだ。

この作品を読んで、これまでは自分にとっては謎だった、寂聴という人の実像に少し近づけたように思う。

 

多くの女性たちと不倫関係を持った、作家の父(作中では、白木 篤郎)。

白木を「生来の嘘つき」、「どうしようもない男」と軽蔑しながらも、自分たちを強く引きつけてしまう、この「離れがたい」男に対して、妻・笙子と愛人・長内みはるは、どのように向き合おうとしたのか・・・

それが、この作品を貫いているテーマだと思える。

 

少し引用してみたい:

「ここに連れてきたのは、嫁さんのほかにはあんたがはじめてだよ」

白木は言った。嘘じゃないよ、と続けたからわたしは少し笑った。どうして彼はわたしをここに連れてきたのだろう。

行こうか。白木は腰を上げながら、わたしの手を取った・・・

 

わたしの体の奥底から込み上げてくるものがあった。この男がいとしい、とわたしは思った。どうしようもない男だけれど、いとしい。いとしくてたまらない。

白木との関係を終わりにしたいと、これまでにない熱量で思ったのも、同時だった・・・

 

 

登場人物たちの複雑な感情が絡み合う様子を描き切ったこの作品は、彼らの心理への深い洞察を持った筆者にしか書けない小説であることは間違いないだろう。

 

そして、これもまったくの蛇足だが、女性というものを理解していない男性が、心得として読んでおくべき一冊でもあるだろう。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

今日もお読み頂き、ありがとうございました。

 


人気ブログランキング

先日世を去った加賀乙彦氏による自伝(2013年3月発行)。

作家本人の生の声を聞くことができる貴重な本ですが、興味深い言葉が多く残されています。

 

作家のライフワークとなった「永遠の都」は、完結するまで12年かかっています。

原稿用紙で4,900枚。執筆の途中で、米川正夫訳の「戦争と平和」(ロシアの長編作家トルストイの代表作)が3,500枚だったということに気づき、それを超えることにスリルを感じたとか。

(実際には、続編となる「雲の都」が4,100枚で、合計9,000枚の大長編となるのですが)

 

それでも、一般的に「自伝的小説」として紹介される「永遠の都」「雲の都」を読んだ読者から

「加賀乙彦は、あんなに奇妙な男だったのかという質問が絶えなかったので、小説と自伝とは全く違った態度と方法で書かれたものだと、はっきり言明しておきたい」(「あとがき」より)

ということで、小説の方にはフィクション的な要素ももちろん多く織り交ぜられています。

(私自身は、主人公の小暮悠太を「奇妙な男」とは思いませんでしたが(笑))

実際、フィクションと思われる部分が、小説のドラマティックな面白さを盛り上げていることもまた事実です。

いずれにしても、1985年12月から2011年7月まで足かけ27年の歳月をかけて、この大河作品が世に出たされたことは大変な偉業であり、読者にとっては本当に幸いなことだったと思います。

 

この自伝は、作家の処女作である「フランドルの冬」が世に出た時のエピソードや、死刑囚の最後の日々を描いた「宣告」が書かれるまでの背景、また、どのような経緯を経て58才でキリスト教の洗礼を受けるに至ったかなど、読みどころはたくさんあります。

ただ、今回もう一度この本を読み返してあらためて気づいたことは、筆者が中国の思想家・荘子に深い共感を覚えていたということ。

 

著者による「わたしの芭蕉」(2020年発刊)でも、荘子の思想の影響が芭蕉の俳句に色濃く表れていることが書かれていますが、2011年1月に心臓の病気で入院された時に、病院のベッドで芭蕉と荘子をじっくり読んだということで、次のような言葉を残されています:

私は若い時から死刑囚に接するなど、死というものに非常に関心をもってきたし、この1月の発作で大きな力で死が迫ってくるのをまざまざと感じました。

しかし、死を避けるために頑張ろうとは思いません。この大震災(2011年3月)が起きて以来、世の中では急に「頑張れ、頑張れ」といい出しているけれど、いくら頑張ったところで死は避けられない。死は確実にやってくるのです。

 

それでは、死は恐るべきものなのか。私はそうは思いません。

荘子が言っているように、

「この世に生を受けたものは生まれるべき時にめぐりあっただけだし、生を失って死んでゆくのも死すべき道理に従うまでのことだ」(大宗師篇)

というのが、ほんとうでしょう。

 

生を受ける前に無があり、死後にも無があるだけだ。人間の生とはそういう無に生まれたわずかな時間のことだというのです。

つまり

「生まれる前はどこにいたんだ?死というのは生まれる前の状態に帰るだけで、そんなことを怖れてどうするんだ」

というわけです。いわゆる死生一如ですね。

 

人間というものは一所懸命働いて、あるいは自然のなかに悠然と暮らし、楽しみ、そして歳をとるに従っていろいろな病気が出てきて苦しむ。やがて死というものに慰められてどこも痛いところがなくなる。そうした生き方はあらゆる人間に共通しているのだから、何も怖れることはない・・・(「死生一如」より)

 

  

 

少し長くなってしまいましたが、作家が残された大切な言葉と思い、引用させて頂きました。

 

荘子の思想や名言については、「わたしの芭蕉」でも紹介されています。

ご興味のある方には、こちらもおすすめしたい一冊です。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

今日もお読み頂き、ありがとうございました。

 


人気ブログランキング

私の敬愛する作家である加賀乙彦氏が、先日93才で世を去った。

 

著者の代表作である「永遠の都」(計7巻)・「雲の都」(計5巻)は、太平洋戦争を挟んだ東京の変遷を描いた、まさに大河ドラマといっていい。

様々な事件が丹念に描かれているが、その中でも、大空襲で焦土と化した東京の描写には、戦争の恐しさをまざまざと感じずにはいられない。

 

そうしたリアリズムとともに、登場人物たちの心理のこまやかな描写にも惹きつけられる。

「永遠の都」などの長編小説は、その世界に一度入り込み、登場人物に愛着を覚えると、いつまでも読んでいたくなり、読み終わるのが寂しく感じられたほどだった。


2019年の夏、著者がこよなく愛した軽井沢の高原文庫で開かれた作品朗読会にお邪魔したときに

「新しくペーパーバックが出た「フランドルの冬」を今読んでいますが、大変面白いです」と、まだ読み終えていない本の感想をぶしつけにも伝えたことがある。

「あれは、ブノワがいいよね」と、寛容な微笑みを見せながら、お気に入りの登場人物の名前を教えていただいた。

 

 

「フランドルの冬」には、若き日の著者のように異国の病院で働くコバヤシという日本人青年が登場する。彼の心理の放浪にも引き込まれるが、同僚のブノワをはじめ、主人公の周りに登場するフランス人たち(精神病院の医師、看護婦、患者たち)の個性豊かな人物像が魅力的で、予想もしない物語の終わり方とともに、いつまでも強い印象が残る作品である。

ちなみに、ブノワ医師はいわゆる「俗物」で、同僚への嫉妬や劣等感も隠さない、欲深い人物である。著者は敬虔なキリスト教徒だが、過ちを犯す弱い人間への理解や愛情を忘れない人でもあった。

 

東京拘置所での医務部技官や、医師としての人間観察の経験を経て、おそらく他のどの作品とも似ていない、独自の小説世界を切り開いた作家。

また、小説だけでなく、「不幸な国の幸福論」、「悪魔のささやき」のような評論、エッセイも残されている。

精力的に仕事をされていて作品数も多く、読めていない本もまだ多い。

遺された著作を通じて、これからもその心の世界に少しでも触れ続けていきたいと思う。

 

私の心には、永遠に生き続ける作家である。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

  

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

故人の安らかな眠りをお祈り申し上げます。

 

(2019/8/3 軽井沢高原文庫にて)

 


人気ブログランキング

少し大きめの本屋に行くと、「コンテナ物語」という、一見味気なさそうな名前の本の背表紙がビジネス書コーナーにあるのを見かける。日本語訳の初版は2007年で、もう15年以上のロングセラーである。

 

マイクロソフトの創業者で、無類の読書家でもあるビル・ゲイツ氏が激賞している:

「20世紀後半、あるイノベーションが誕生し、全世界でビジネスのやり方を変えた。ソフトウェア産業の話ではない。それが起きたのは、海運業だ。おそらく大方の人があまり考えたことのないようなそのイノベーションは、あの輸送用のコンテナである。コンテナは、この夏私が読んだ最高におもしろい本『コンテナ物語』の主役を務めている。コンテナが世界を変えていく物語はじつに魅力的で、それだけでもこの本を読む十分な理由になる・・・」

しばらく前から「読みたい本」のリストに入っていながら、いかにも無機質で「固そうな」タイトルにひるんで、なかなか手を出せずにいたら、同じ著者の新しい本が昨年2月に発売されていた。

タイトルは「物流の世界史」

 

「コンテナ物語」の原題が "The BOX" なのに対して、こちらは、"Outside the Box"。

コンテナの箱から外に飛び出したというタイトルに取っつきやすさを感じ、本を手に取ってみた。

 

日本語の題名にふさわしく、世界の貿易が発展してきた壮大な歴史を俯瞰する内容。

歴史の教科書では有名な「大航海時代」の国際貿易が、現代に比べてどれだけ規模が小さいものであったのかなど、これまで抱いていたイメージが突き崩される。

 

19世紀の半ば頃、ちょうど日本に黒船がやってきた頃、蒸気船が外洋航海を始めた時代に、国境を越えた大規模な経済活動 ―― 最初の「グローバル化」が始まったという。

 

それ以来、コンテナの発明や巨大コンテナ船の建造は、地球上の「物流」に大きな変化をもたらしてきたが、影響はそれだけにはとどまらない。

 

コンテナ輸送の拡大で国際的な運賃が下がれば、一つの企業が製品を生み出すために、世界の各地から安価な部品を調達する、グローバルなサプライチェーンが形成される。

 

ある企業の輸出には、別の国の企業からの輸入品が欠かせない。部品の輸入がストップすると、最終製品の組立工場の操業が停止し、その国の輸出にも波及する。

 

「貿易収支」といった、これまで普通に使われてきた国際収支統計の概念も、グローバル化した世界ではもはや意味を失いつつある。

 

自国の経済の「勝ち負け」を、他国との貿易収支の黒字/赤字という見かけの尺度で判定し、他国からの輸入を制限しようとする保護主義政策は、自国の輸出業者が他国から輸入した部品に頼っているという現実の経済構造を無視している。

 

これまでは、国境を越えたモノやカネの流れの巨大化を「グローバル化」と呼び、なんとなくかわかったような気分になっていたけれど、実際には何を理解できていたのだろう?

 

国際的なサプライチェーンを生かした、モノの効率的な大量生産は、商品の価格を下げ、低所得の国の人々の生活を豊かにする役割も果たした。アフリカにも中国のスマホが普及し、銀行口座を持てなかった人たちがインターネットで送金をできるようになった。

 

一方で、どのような弊害が生み出されてきたのか。経済活動のグローバル化で、生産性の競争に勝てない地域では失業が増加し、また経済が発展した国でも所得の増加は一部の国民に集中し、所得格差が広がった。また、物流の爆発的な拡大で、環境破壊や地球温暖化が加速した、等々・・・

 

 

そのグローバル化の流れも、足元では曲がり角を迎えている。

大量物資の国際輸送の時代はピークを過ぎ、巨大コンテナ船が空きを抱えてしまった背景には、コロナウィルスの蔓延など、様々な要因があるが、クラウドなどITの発達によって、世界の競争がサービス産業や情報産業にシフトしてきていることの影響は大きいだろう。

 

モノの世界での変化だけでなく、国際的な金融の動向やITの発達が、地球規模の貿易や経済をどのように変えてきたのか。またグローバル化の波は今どのように変わりつつあるのか --- 

この本は、そうした世界の情勢を理解するために役立つ一冊だと思う。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

今日もお読みいただき、ありがとうございました。

 

※当ブログ記事には、實悠希さんの写真素材が photo ACを通じて提供されています。

 


人気ブログランキング

新年になったからといって、昨年末に比べて何かが大きく変わるわけではありません。

けれど、今年は去年より良い年になってほしい、悪い年にはならないで欲しいという希望も、この時節に抱く素直な思いです。

どうか、2023年が少しでも良い年となりますように。

 

------------------------------------------

 

今年もまた年齢を重ねるのだということを自覚するのもこの時分。

「年を取ると記憶力が衰え、物忘れが多くなる」とはよく言うけれど、脳科学者の茂木健一郎氏によると、それは「事実に反している」「単なる甘えや言い訳にすぎない」のだそうです。

成人の脳でも、新生しつづける神経幹細胞があり、その人の行動次第では脳を鍛えることはできるんだとか。

但し、いわゆる「脳トレ」ではなく、茂木氏が進める脳の活性化は、次の3つだそうです:

・社会や人とつながる

・常にお金の出入りがある

・ストレスのない生活習慣

ソーシャルな刺激を受けたり、お金の出入りがあったり、何かに熱中すると、脳内でドーパミンが分泌され、脳を活性化していく。

 

ドーパミンは、今までその人ができなかったことができるようになるなど、うれしいことや楽しいことがあると分泌される神経伝達物質で、それによって新しい神経回路が生まれ、脳が成長するというのです。

 

その一方で、脳の老化が、人の性格や人格と深い関わりがある前頭葉に与える影響には注意が必要で、油断は禁物です。

 

「人は、なぜ他人を許せないのか」で、中野信子氏も書いていますが、「キレる老人」たちは、加齢とともに前頭葉のある部分(背外側前頭前野)が委縮して、直情径行になってしまうため。

茂木氏もまた、

前頭葉が萎縮し、思考や判断のコントロールができなくなると、自分がやりたいことを思い通りにできず、その結果、不満や怒り、意欲の低下につながってしまう可能性がある

と言っています。

 

脳が委縮してしまう要因は、加齢だけではありません。

人が何かと戦っていくためには、ストレスホルモンの力を借りて交感神経を刺激して血圧を上げ、体を戦闘態勢にしなければいけませんが、ストレスホルモンが分泌され続けると、結果的に脳神経細胞に酸素や栄養が十分に行き届かなくなり、脳が萎縮するというのです。

 

精神的なストレスの解消に役立つのが、セロトニンという脳内物質で、交感神経と副交感神経のバランスを整え、心身をリラックスさせてくれるのだとか。

セロトニンは太陽の光を受けて合成されるので、散歩は身体だけでなく、心の健康にも良いのだそうです。

 

この他にも、脳について知っておくとよいことが多く書かれているので、おすすめの本ですが、脳科学に関する知識をもう一つご紹介をしておきます:

 

脳がアイドリングしている状態 いわばぼんやりしている時に、思考が整理されたり感情が整ったり 忘れていたことを思い出すことが多いということ。

それを、専門家の人たちは、脳内の「デフォルトモードネットワーク」が活性化していると表現するそうです。

 

そういえば、自分の場合も、トイレで便座に座った時や バスルームで椅子に座って頭を洗っている時に、忘れていた大事なことを思い出したり、いいアイデアが思い浮かぶことがよくあります。

「トイレとバスルームには神様がいる」と日頃感じているのですが、それを科学的に説明してもらえた気分になりました(笑)。

 

茂木氏の著書から、前向きになれるメッセージを引用します:

・過去にこだわるものは、未来を失う

(ウィンストン・チャーチルの言葉)

 

・残りの人生で、今日が一番若い

 

今年も、心と体の健康に気を配りながら、また新たなことに挑戦していきたいと思います。

 

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

  

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

今日もお読みいただき、ありがとうございました。

 

※当ブログ記事には、なのなのなさんのイラスト素材が illust ACを通じて提供されています。

 


人気ブログランキング