~キャンパス通リが炎と燃えた

 あれは雨の金曜日 

みんな夢でありました 

みんな夢でありました

 目を閉じれば 悲しい君の笑い顔が 見えます 

~みんな夢でありました・作詞森田 童子~ 

ところで

学生運動が高揚する時代の中で

そのような世相とは背反する歌謡曲が生まれています。

私はこのパンチの効いた曲が生まれた

その背景を、

作詞家のなかにし礼さんご自身が語っている

NHKの番組をたまたま観たことがありました。

その時の番組内容に近い記事がWikiさんの中にありました。

~「ハレルヤ」のフレーズは、なかにしが少年時代に満州からの避難民としてたどり着いた

葫芦島の小高い丘からの景色(引き揚げ船、青い空と海)を見た時の感動を

バビロン捕囚の捕囚民の気持ちになぞらえて表現したものである。

それ以外の歌詞にも故郷満州に対する思慕の念や反戦の思いが込められているが、

表向きは恋の歌に仕上げている~

 

音楽に対する感性が全く違う二人ですが

森田童子をデビューさせたのが

このなかにし礼さんなんですね。

二人は叔父と姪(兄の娘)の関係にありました。

叔父の七光りを嫌った童子のことを思い

謎のフォーク歌手というギミックを

思いついたのも

なかにしさんということになります。

 

私は学生時代に森田童子の曲を聴いていたことがありました。

また、ギター楽譜の本も持っていました。

そのとき

曲の中の一部に

ギターのアレンジャーが石川鷹彦大先生だと判ると

森田童子ってこの業界では

メジャー並みの扱いを受けてない?!

という

素朴な思いを抱いたことがありました。

のちのち

ご親族の中に

大物の作詞家がいらっしゃたことが判ると

少し納得しました。 

 

ただ、お二人ともご存命でないので

事の経緯は

みな、夢の中に...

 

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