何故「母なる神よ」と祈らないのか?? | 出雲神学

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風呂具屋の親父のブログ第二弾です。

$入浴物語 (New York Story)「ナザレのイエス」~神学者でもあった、前教皇ベネディクト16世ヨゼフ・ラツィンガーの書かれた本です。ホントは在位中に読んでおこうとおもったのですが、突然の辞任でそれも叶わず・・・でも書物のとしてのこの本の価値には変わりはありません。

この本の中に、何故 神を父と呼び母と呼ばないのかについて。2~3ページほど書かれています。


元パパは、神理解の中に「母性的愛」が入りこむように見えたとしても、神が母と呼ばれた事は(称号として呼ばれたことは)旧/新約聖書の中に一度もないと断定されています。
その理由としては
いつの世もそして、どこにである女性神(豊作や子宝の神?)と区別するためでもありますが、これは偶像崇拝や多神教との決別でもあります。

で もうひとつが汎神論的考えを拒絶するため

母胎→子(人間は母胎からの流出であり、自然から出てきたもの・・・)

そこには、神と人間が創造主と被造物の関係である表現に欠けてしまうというのですね、
神を父と呼ぶことによって、この関係を維持ながらも、キリストを通して人間は「神の子」となることが出来るというのです。

母の日に何もしていないことに気づきながら、ちょこっとだけ書いてみました。

「ナザレのイエス」この本も残念ながらあまり出回っていないようです。


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