旅行記 85 神の島 | 日本人よ、蜂起せよ!

日本人よ、蜂起せよ!

神社、オモロイこと、この二本柱が基本です。
最近は新しくお城が追加されました。
他は幹に生えた枝みたいな感じです。

愛国者ですが極右ではありません。

精神世界やらお祈りやら賭け事とか興味の無い関連から「良いね」されても、そちらの部屋は訪れませんから。

今週の出来事です。
ちょうど前のブログは木曜日に更新しましたが、その足で京都へ行ってきました。
2月3日といえば節分!
節分の始まりは追儺式!
追儺式発祥の地、京都大学!
の側にある吉田神社へ行ってきました。

元々は追儺は平安貴族に不満がある一般の民の目を逸らすために乞食などに獣の皮を被らせて都を走らせました。
一般の民は獣の皮をかぶって走る者に石を投げたりしていたのです。
当然、石が当たって死人も出たそうですが、獣の皮を被っていますから罪悪感も少なかったようです。
これが節分の始まりです。
この何でも有りの訳の分からない大元宮…
千木も手前は内削ぎ、向こうは外削ぎ…
鰹木も丸と四角…
意味不明です。

しかし節分で売っている豆、
これだけは追従を許さない美味しさ!
これを買いに行ったらと言っても良いです。
しかも籤がありまして
1等当選は車🚙です。
私は過去にお酒が当たりました。
酒、飲まないっつうのっ!
ちなみに今年も当たりました!
げっとの食料品…(TωT)
「げっと」とは関西弁のビリのことです。
わざわざげっとの食料品とやらをもらいに往復4000円くらい出して貰いに行く気はしませんでしたとさ…

豆を買って久しぶりに単独でお城へ向かいます。
途中に神社がありました!



お城ですが中尾城というお城でした。
これはヤバいっ!
道を踏み外したり、枯れ葉🍂で滑ったら「振出しへ戻る」って言うヤツです!

と思っていたら更にヤバいモノが!
この山はリアルにヤバいモノのオンパレードです!
急に動くんか〜いっ!🤣🤣🤣

此処は切通しです。

そしてわかりづらいかもしれませんが
石を積まれた曲輪です。


おそらく武家屋敷か兵を置く場所だと思われます。
というのは此処の石垣から水が勢いよく流れ出しているのです。

武家屋敷、兵を駐屯させるには絶好の場所です。
これより上には水の流れだす場所はありません。
此処から流れ出た水が白川となるのです。

ここで先週のブログで志賀島に伝わる「君が代」によく似た歌について質問がありましたので、少し長くなりますが触れたいと思います。

志賀島には古代より山誉め祭りというのが年2回、今は春と秋にあります。

そのときに歌われる神楽歌を長くなりますが書きますと…

君が代(だい)は 千代に八千代に さざれいしの
いわおとなりてこけのむすまで 

あれはや あれこそは 我君のみふねかや うつろうがせ身骸に命 千歳という

花こそ咲いたる 沖の御津の汐早にはえたらむ釣尾にくわざらむ 鯛は沖のむれんだいほや

志賀の浜 長きを見れば 幾代経らなむ香椎路に向いたるあの吹上の浜 千代に八千代にまで

今宵夜半につき給う 御船こそ たが御船ありけるよ あれはや あれこそは 阿曇の君のめし給う 御船になりけるよ

いるかよ いるか 汐早のいるか 磯良が崎に 鯛釣るおきな
 
上記が山褒め祭りの神楽歌です。
一番はほとんど「君が代」です。
全体を見ると
いつからの地名かはわかりませんが福岡には「千代」と呼ばれる地区があり、
金印が「委奴國」とすれば「伊都國」の王の古墳とされる平原遺跡の近くに「細石神社」があります。
更に糸島の先端には若宮神社がありまして、祭神が「苔牟須売神・コケムスメ」です。
これは志賀島から千代へ、更に平原遺跡の辺りを経て最後に糸島の先端へたどり着く道を歌ったとも考えられます。

単なる道順を歌ったのか、
それとも「千代」「細石」などの地名は関係無いと考えた場合、
古代にこの辺りを支配していた安曇氏を称え、その栄華と豊かな國が永遠に続くのを願った歌とも考えられます。
魅力のある島ですよね!
志賀島!

ここでもう一つ、あまり知られていない事を。
皆さんは日本人ですよね?
日本人として誇りを持っていますか?
持っている!と答えられた方にお聞きしたいのが「君が代」をきちんと全て歌えるか?
私の予想では世界中の人間に聞いても10000人も歌える人はいないと思います。
たぶん、これを読んだほとんどの人が「君が代は小学校で覚えるし、歌える!」と言うと思います。
が…それは1番だけ。
「君が代」は3番まであります。
2番は源頼政の読んだ歌

君が代は
千尋(ちひろ)の底の
さざれ石の
鵜のゐる磯と
あらはるるまで

3番は藤原俊成が大嘗祭で読んだ歌

君が代は
千代ともささじ
天の戸や
いづる月日の
かぎりなければ

そして驚くことに明治時代は4番もありました!
4番は大江匡房の歌で新古今和歌集に収録されている歌です。

君が代は
久しかるべし
わたらひや
いすゞの川の
流たえせで

まぁ、種明かしをしますと現代は「君が代」は3番まであるのが定説ですが、
国歌として法律で制定されているのは1番のみ、ということです。
ですので質問とところは「国歌」と言う言葉を入れなかったのです。

ついでに国旗にも簡単に触れますと昔は日の丸はど真ん中からズレていましたが、
1999年の「国旗及び国歌に関する法律」で上下左右対称に決まりました。
旗の比率は縦が2、横が3
日の丸は縦の5分の3です。
戦前の人は今でも旗の比率を縦7、横10
日の丸は竿側に100分の1ずれると覚えておられる方が圧倒的に多いです。
なんで100分の1竿側にズレる?
これは私の考えですが
明治になりまして、日本は諸外国に追いつけ、追い越せとなり、外国貿易も盛んになります。
外国貿易の一環で外国へ向かうときに国際的に商船法というのがあります。
今でもそうですが船は旗で全てを語ります。
もちろん国籍も…
たぶん…たぶんですよ!
日の丸はこの時点では上下左右対称だったと思うんです。
しかし旗を船に掲げるときに薄い布でしたら破れますよね?
今の旗は竿側の両角は合皮で強くして歯止めリングで穴を強化して紐を通すようになっていますが、ときは明治…
おそらく…おそらくですよ!
紐を薄い旗に縫っても風を受けて旗が立つと紐に引っ張られて旗が破れると思うんですよ。
そこで旗が破れないように紐を縫う部分を折り返して二重か三重にしたのでは?
するとそれだけ日の丸が左右ズレて竿側にに近くなりますよね?
それがそのまま日の丸は100分の1、竿側にズレるという原因になったのでは…


なんせ日本国は歴史が長い分、
面倒くさいことが多いです。
国旗・日の丸
国章・十六八重菊花紋〜天皇家の家紋で良えやん!
紋章・五七桐家紋〜国会議員、政府関係者の印で良えやん!
難しいことが多すぎます…

9日夜に近所の山で山火事がありました。
20年くらい前になるのかなぁ、本当に家の近くで山🔥がありまして、鎮火するのに自衛隊とか出動しても3日くらい燃えていました。
今回は同じ系列の山で違う場所…
朝、ワクワクしながら起きましたら鎮火していました…
いや、それは良いことなんだんですけど…
頭の中がお子ちゃまなもんで…(TωT)
と言うことで今、始発に乗って空港に向かっていますが、先ほどまで
朝が早かった、と言うことだけで何時何分発か知らずに向かっていました…
この先は数ヶ月先の旅行記で…


先週のブログで福岡より帰途に着いた一週間後…
私はなんでかわかりませんけど…
また福岡県にいました。
アホですよね…

おっ、あの格好良い高速艇は!
zoom in!
もうちょっとアップにしてみましょう。
格好良いでしょう?
その名もQueen beetle

今はどうなっているのかわかりませんが、
正式に出港するまでの間は着岸されて
中を見学できていたようです。

途中でも水中翼船とすれ違います。
私も水中翼船に乗ったことは何回がありますが、ほとんど揺れません。

そして島につきました。
レンタサイクルで走ります。
皆さん、知っていますか?
島って簡単に説明しますと、山の先っちょが海から出ているようなものなんですよ。

いくら電動サイクルといえどもしんどいものはしんどい❗️🚲
この国の一ノ宮です。
正直に言いましょう。
実はこの神社に来る手前が緩やかなカーブの急な下り坂の道路でして「キャッホー」って降っていたら物凄いスピードになってしまい、遠心力で弾き飛ばされるようになり、慌ててブレーキを握るも、ハンドルを操作するも操作不能!
停めていた車にぶつかって停まりました。

その後、どうなったか?
  🚗 ε=ε=ε=(⊃≧ω≦)⊃   

という出来事がありました。

さて、階段を上がります。
どうですか?
めっちゃ雰囲気のある階段ではありませんか!
横から迫り来る自然に囲まれた神社の階段。
素晴らし過ぎます❗️

そして参拝しまして次の神社へ行こうとしたら…
この石積み!
これは通にしかわからないでしょう。
ひょっとして天道信仰と関係があるのでしょうか?
私、めっちゃテンションがあがりましたよ!
まさか、この島で…
このような石積みを見つけるとは!

元寇の自徳庵が書かれたと伝わる穴です。

此処は分かりにくいところにありました。
まぁ、侵略者なんかこのような穴で一生暮らせば良いんですよ。
西太后の「便所女」見たいにしてやっても良いくらいです。

この島、小さい島なのに神社が100以上あり、小さな祠とか入れると300を超すと言われているくらい神社があります。
なかなか立派な鳥居なので寄ってみました。
これって…下り宮になるのかなぁ…
電動レンタサイクルとはいえ、けっこう疲れてここまで登って来ているのに…
この階段を降りるのかぁ?

降りてからも少しだけ歩きます。
参道から降りて行く神社ですから下り宮なのかなぁ…
とりあえずやっと着きました。
めっちゃ広い境内でしたが、車の駐車場へ自転車で降りると、また坂道を上がらないと行けなくなるので自転車は鳥居横に置いて、歩いて階段を降りるのが正解だと思います。

やっと見えてきました鳥居です。

おぉ、なかなか趣きのある鳥居ではありませんか!
早速入ってみましょう。
緑多く、流石に水も澄んでおります。
ありがたく参拝させていただき、
はぁはぁいいながら階段を登って再出発します。

なんせ島ですからアップダウンが激しいんよ。
ふらふらしながら坂道を登りきった!
っと思ったら☟このようなものが
古代史好きの私、当然、寄り道します!
しかしそこに待ち受けていたものは!
ジャングルでした!
とても中に入れたものではありません!
がっかりな退散しまして次へ向かいます。

あっ、神社発見。
大して大きくなさそうだし、スルーしようと思ったのですが何かが私を凄い引きつけたんですよ。
小さいけど…
寄りたい…
するとなんと!
日本全国にある月読神社の元社だったのです!
私はてっきり京都の松尾大社の近くにある月読神社か伊勢の神宮の内宮月読神社、もしくは同じく伊勢の外宮の月夜見神社が発祥の地だと思っていました。
この島に月読神社の元社があったなんて!
寄って良かった〜っ!ゲラゲラ
ほとほと疲れていますが階段を登ります。
正殿の裏に祀られていました。
御幣が立てられています。
宮司さんに聞きますと地神様ということでした。
ややこしいことに、階段を登った正面のお社ではなく、右手側の少し小高いところにある小さな社が月読神社でした。
ありがたく参拝させていただきました。
冒険はまだまだ続きます。