記事95に続く、『ふてほど』の思い出②です。




2️⃣ 働き方改革以前の学校


小学校で採用された私でしたが、初めての異動先は、中学校でした。



希望したわけではありません。


初任が遠隔地だったため、地元に戻る異動希望を出したところ、

当時の自宅から車で30〜40分程度の距離にある、近隣の町の中学校に“途中下車”となったわけです。




自他共に認める

“提灯学校”🏮  だった H中は、

学力テストの成績が、

県下でもトップクラス


部活動も盛んで、

野球部は、私の在籍中に 

県を制覇した 強豪校でした。



当然のことながら、先生方も熱心にならざるを得ません。


小学校に比べると、職員は男性ばかり。


今のように、男性も子育てや家事をしなくちゃ!なんて空気は、微塵もありませんでした。



小学校とは違う授業、生徒指導に戸惑ったのは、もちろんのこと。

今思うと、よく、この学校に適応したものだと、我ながら感心🤯


若かったからこそ、できたことで、今だったら、とっくに辞めていると思います👋




毎日、部活動の指導が終わり、

19時〜20時頃から学年部会や教科部会、進路指導委員会などが始まるのが、当たり前でした。



異動した初年度、私の属する社会科で研究授業をやることになりました。


授業者は別の先生でしたが、社会科部中心の研修部会が何度も開かれました。


・どんな授業にするか。

・何を目標にするか。

・(当時はまだ目新しかった)パソコン室を活用しなくては。

・少人数のグループ協議を取り入れよう……。

         etc. etc.


最終的には、

ヨーロッパで製造された“プリメーラ”という車を日本が逆輸入している理由を考えることで、

現地生産の利点や輸出入の仕組みなど、自動車産業を深く学ぶような内容だったと思います。



その年の社会科部は、男性のみ5、6人だったでしょうか。


その日も、夕飯も食べずに、延々と話し合いが続きました。



学校を出たのは、夜中の1時を過ぎていました!


(明日の授業、どうしよう…。)


もう、思考停止状態で、車を運転して自宅へ戻りました。



田んぼの中を、ローカル私鉄が通っていました。


(えっ、この時間に電車が通ってる⁈)🚃


回送電車だったのでしょうか。


終電後も、夜中に電車が通ることに驚いたことを覚えています




かつて、大学時代に、

教育実習をさせてもらった国立大学の附属中も、毎晩遅くまで残っているのが当たり前でした。

※附属は、今でも、それほど変わらず、遅いようです。


「附属には、行きたくないよな。」


友達と話しながら、最寄りの駅まで歩きました。


大変でしたが、わずか2週間と、期限付きの実習だったので、乗り切ることができました。



しかし、


(一般の中学校でも、こんなに遅くまで仕事するのか…。)


と、大きなカルチャーショックを受けた、初異動でした。