とんでもない事件が起きました。



現役の教師が、自分の学校の子供を盗撮。


それをSNSのグループで、教師同士が共有していたといいます。



唖然としてしまいました。



これまで、

教師の不祥事が大々的に報道される度に、


(本人ならば、文句はないのだが)

教員委員会や、学校の管理職が糾弾され、


(誰に対して何を謝っているのかわからないけど)

謝罪会見で頭を下げる姿に、


違和感を覚えて来ました。




いくら教師とは言え、


全員が“善”であろうはずがなく、

全員が“聖人”であるわけがありません。



教師も人間。


一人として、完璧な人間などいません。


教師集団の中にも、いろんな人がいて当然です。



教育委員会にしても、

採用試験のわずかな面談で、

人間性の全てを把握できるはずがありません。



学校の管理職にしたって、

職員を自分で採用しているわけではありません。


上から“駒”をあてがわれる立場ですから、

“ハズレ”をつかまされた被害者でもあります。



“再発防止に努める”

と、よく言いますが、


歪んだ性癖やサイコパス的要素を隠し持った教員を探し出す、

画期的な方法でも見つからない限り、


まともな教員たちを、

不祥事根絶研修等で絞り上げたところで、


ほとんど意味はないと思います。



つまり、


(教員の不祥事は、あってはならないものだが、根絶するのは無理だろう…)


と、思って来たのが、私の本音です。



しかし…



今回の事件が、これまでになく、

許し難く、怒りを覚えるのは、


自分の学校の子供たち、

つまり、

教え子を、喰い物にしていた

ということです。



学校は、互いの 信頼関係 があって成り立っています。



先生と子供。

先生と保護者。


子供たち同士。

校内の教員同士。



信じているからこそ、任せられるのです。


信じられるからこそ、同じ空間に、長い時間、

一緒にいることができるのです。



何をされるかわからないような人間に、

大切な子供を預ける親はいません。



今回の事件は、

その信頼を、完全に裏切りました。



全国、何百万人の教員の中に、

歪んだ性癖を持った教員は、


残念ながら、

0(ゼロ)とは言えないでしょう。



それでも……



例えば、

〝ある教員が、商業施設内で成人女性を盗撮をした〟

というニュースが流れた場合、


その教員に教わっていた子供たちも、保護者も、

当然、ショックは大きいはずです。



でも、その教員が、

公私の区別を(建前上であっても)つけていて、


学校内では、子供たちを大切に扱う

“よい先生” (建前上であっても)

だったとしたら、

子供たち、保護者に、実被害はありません。




でも、


(うちの子が、先生に盗撮されていたかもしれない。)


(うちの子の画像が、性的な目的で、先生の手によって、ネット上に出回っていたかもしれない。)


と考えたら、不安で仕方がないでしょう。



バスの運転士で言えば、

自分が運転するバスを、

自らハイジャックするような話です。



信じていた人に裏切られた失望感は、大きい。


何を信じてよいのか、わからなくなります。



そんな失望感、

大人(特に“先生”)への不信感を

子供たちに抱かせ、


一生のトラウマにさえなり得るとしたら、


彼らの犯した罪は、

許し難く重いものです。




プロ教師としての自覚。


子供たちを守り、育てていく者としての責任。



例え、歪んだ性癖を持っていたとしても、


“教え子には、手を出さない!”


教師としての最低限の不文律は、


絶対に、守らなくてはいけないものです。