姉には、親しい友達が何人かおりました。
生前、姉から、
「私は社交的じゃない。あんた(弟の私)の方が、よっぽど社交性がある。」
と言われたことがありました。
意外だったので、覚えています。
私は、小さい頃から、社交性がありません。
謙遜ではなく。
姉の方が、よっぽど……と思っていたし、実際そうだと思います。
あまり似ているところが見つからない兄弟でしたが、
広く浅く、多くの人と付き合うこと。
大勢の中に進んで入り、交われること。
が、苦手だという点では、似ていたのかもしれません。
そして、恐らく、そこにコンプレックスを感じていた点も。
姉には、多くはないのかもしれませんが、とても親しくしていた友達がいました。
その人たちは、姉の三回忌にあたり、お墓参りをしてくれたり、弟の私にメールをくれたりしました。
そのうちの1人、Mさんは、姉の高校時代からの親友です。
高齢のお母さんの認知症が進み、介護のために、都会の住まいと、我が家と同じ市にある実家を行き来していると伺っています。
Mさんは、命日の前に、ご主人とお二人でお墓参りをしてくださり、
我が家にも寄って、私の両親と話して行かれたそうです。
お礼がてら、Mさんにメールを送りました。
未だ悲しみが癒えず、姉の話になると涙する両親。
“ひとりっ子”になって、それを見ている自分のやるせない思い。
そんな愚痴を含めたメールに、
Mさんは長い返事を送ってくれました。
ご両親もお身体は年齢には勝てないご様子ですが、頭はしっかりしていらっしゃるようですね。
本来喜ばしいことですが、ある意味その分お気の毒にも思います。忘れることができないのですからね。
冗談のようですが、私の母はいつぞや『Mは生きているんだっけ?』と言ってくれましたよ。
一方自分の親がまだ存命だと思っている日もあります。いったい今の母はどんな世界に生きているのでしょうね。
でもそんな様子をみていると、高齢者にとっては忘れることは必ずしも不幸ばかりとも言えない
ような気がします。
忘れてしまうということ。
覚えていられないということ。
アラカンの自分もすでに、この不幸な事態に、ため息をつく毎日。
でも、
忘れることは、必ずしも不幸ではない…
Mさんからのメールを読んで、ちょっと目から鱗でした👀
すでに我が両親は、
ついさっき聞いたことも、言ったことも、
忘れてしまいます。
本人たちも、情けないと言いながら、生きています。
私も、口には出しませんが、情けないと思ってしまいます。
やがては、さらに認知症が進むことでしょう。
その時、
(でも、つらいこと、嫌なことも忘れられるから、幸せかもな…。)
忘れること ≠ 悪いこと
と思えたなら。
介護をする私も、
少しだけ、気が楽になれるかもしれません。