バスから見える親子連れは、まさに卒業式に向かう姿です。
今日は、市内小学校の卒業式の日。
朝、昼共に、学校の近くを走った時、袴やスーツで着飾った子供たちと、正装した保護者の姿がありました。
昨年の今頃、私も6年生の担任として、最後の卒業生を送り出しました。
卒業式ではお馴染みの『呼びかけ』。
式のプログラムでは、「別れの言葉」とか「卒業の言葉」などと言われます。
入学してからの6年間の思い出を共に振り返りながら、小学校生活の集大成として、台詞や合唱を発表する演出が定着しています。
しかしながら、6年生の担任は、卒業生と6年間を共に過ごしてもいないし、すべてを知っているわけではありません。
なので、卒業式実行委員会の子たちにどんな出来事があったか出し合ってもらったり、
子供たちに思い出のアンケートを取ったり(これも今どきはタブレットを使って)して、
できるだけ子供たちの思いを汲んだ「呼びかけ」にしようと務めました。
一方で、時間の制約、子供たちの数に応じたせりふの数と長さ、適切な言葉遣い、等々の条件を考えると、どうしても教師主導で作成せざるを得ません。
小学校生活最後を飾る厳粛な儀式的行事なので、難しいことは承知の上で、子供たちの主体的な活動を少しでも入れられたらなぁ、と、これまでも常々思ってきました。
昨年度の6年生は、とてもよいクラスでした。
自分が受け持った中でも、指折りの、恐らく一番素晴らしい子供たちだったと思います。
また、5クラスある学年全体も、それぞれに問題は抱えつつも、明るく前向きで、まとまりがありました。
(あの子たちなら、任せられるかも·····。)
「呼びかけ」の台詞の一部を、子供たちに委ねられるのではないかと思いました。
台詞の一部を子供たちで話し合って決めてもらう。
クラスの代表として、台詞を言う人は誰が相応しいかも、話し合いで決める。
決まった内容は、卒業式当日まで先生たちへは秘密にしておく。
(本番当日の、サプライズ!)
学年の先生方に提案すると、他の4人の担任は賛成してくれました。
子供たちには、各クラスで実行委員を通して提案され、担任が説明を補足する形で、こちらも全クラスで受け入れられました。
台詞は各クラス3文のみ。
各クラス代表2人が1文ずつの2文 + クラス全員が声をそろえて1文 = 合計3文 としました。
短いようですが、学年全体では15文を子供たちに任せることになります。
先生たちがチェック、手直しできないので、下手をすれば卒業式全体が台無しになる恐れもあり、かなりの冒険でした。
卒業式の数日前。
クラスごと、担任がいない教室で学級会が開かれました。
その後、卒業式練習は学年全体で何度も行いましたが、このクラスのオリジナル台詞のところだけは、一度のリハーサルもなしです。
オリジナルの部分は、練習用に決められた〝偽〟の台詞で進められました。
つまり、ぶっつけ本番!
卒倒してしまう子も出る、あの静寂と緊張感に包まれた舞台です。
内心、うまくやれるのだろうかと、心配で仕方ありませんでした。
一方で、どんな言葉を考え、どんな声を聞かせてくれるのか、期待する楽しみもありました。
卒業式、本番。
ひとり一人に卒業証書が手渡され、最後のプログラム、「呼びかけ」です。
緊張感の中、子供たちは自分の台詞を堂々と話し、立派です。
いよいよ、クラスで決めたオリジナルの台詞。
どのクラスも、それぞれの思いを込めた台詞を考え、大きな声を体育館に響かせてくれました。
担任の先生への感謝、クラスのよかったところなど、
ホッと場が和らぐ、大人とは違った感性の言葉で語ってくれました。
(あの子たち、やっぱりやってくれたな。)
思わず笑顔になりながら、涙が止まらなかったことは、言うまでもありません。
信頼するということ。
信頼できるということ。
ふざけたことをやるかも、場に相応しくない言葉になるかも、クラスの声がそろわないかも·····といった心配がある子たちなら、とても任せられません。
(大丈夫! あの子たちなら、きっとやってくれる。)
そう思えたからこそできた、最後にして最高の、感動の演出でした。
1年間かけて築き上げられた、子供たちと各担任との信頼関係。
それが確かめられた気がしています。
あの子たちも、もうすぐ、中学2年生の春を迎えます🌸