無職期間、朝の散歩が日課になりましたハイハイ


最後の勤務校では、1階の職員室から、増築した別棟3階にある教室まで、1日に階段を何往復したことか…。休み時間には、子供たちとドッチボールやケイドロに汗を流し、無理に努力しなくても運動不足とは無縁でした。

退職して、そこから解放されると、今度は主体的な運動が必要になるわけです。


毎朝、家の近くの海岸へ出て、堤防沿いを40〜50分歩きます。

朝日を浴びながら、海と空の青さを目にし、松林から聞こえる鳥の鳴き声を聞き、今日の富士山の姿に一喜一憂しながら、幸せな時間を感じたものです。


平日、自由に動くことは、教員時代の憧れでした。

昼間しか開いていない銀行、郵便局、市役所、年金事務所、法務局…等々に行くこと。

土日は混雑する理髪店、ショッピングモールに行くこと。

年老いた両親を車に乗せて、病院に送ること。親戚の家に連れて行くこと。買い物に連れて行くこと。懐かしい店のランチに連れて行くこと。一泊二日の小旅行に連れて行くこと。


いろんなことができました。

今までとは違った、平日の街の空気を知りました。

(ちなみに、理髪店や銀行など、平日でも混んでいることに驚きました。)



それでも……何かズル休みをしているような罪悪感を感じ、何となく落ち着かないのです。


教員は、芸能人みたいなところがあります。どこにいても、(あっ、先生だ!)と見られているかもしれない意識があります。横断歩道を渡ります。店員さんにクレームを叫びません。恥ずかしい行動はしません(少なくとも、校区内では…)。そんな意識が身に付いているのかもしれません。


そして、所属意識と自己有用感。

これまで学校組織に縛られ、教員であることに苦しさを感じつつも、組織に守られ、教員という仕事に、達成感、成長、自らの存在価値を感じさせてもらっていたのですね。


私の場合は、5月から新しい組織の一員としてがんばるべく、次の道が決まっていました。

もしそれがなかったら、焦りや虚しさ、無気力感に襲われ、もっと複雑な無職期間になっていたかもしれません。


仕事がある、働けるって、幸せなことです。そのためには、健康であることです。

がんばり過ぎずに、がんばって働く。そのバランスが大切なんだろうなと思います。