稲川です。ちょっとゾクッとした出来事があったので、その話をしようと思います。

 あれは私が小学五年生の時、林間学校で八ヶ岳へ行った時のことでした。

 昼間の八ヶ岳は空気も澄んでいて、山の緑がとてもきれいでね、どこにでもある普通の林間学校の施設でした。友達と騒いで、笑って、子どもながらに楽しい時間を過ごしていたんです。

 ところが、一日目の夜になってから、様子が少し変わってきました。

 外は朝から降っていた雨が止まず、夜になってもザーザーと強く降り続いていました。屋根や窓を叩く雨音が、やけに大きく聞こえてきてね。

 消灯後もしばらくは、友達と布団の中で小声で喋っていたんですが、だんだん静かになっていきました。ふと時計を見ると、午前0時を少し回った頃でした。

 その時です。

 理由は分からないんですが、急に胸の奥がザワッとしたんです。誰かにじっと見つめられているような、部屋の中に目に見えない何かがいるような、そんな妙な感覚でした。

 すると突然、

 トントン、トントン。

 右側の壁から、はっきりと壁を叩く音が聞こえてきました。

「隣のC班だろ」

「こんな夜中に何してるんだ」

 そう言って、勇気のある友達が廊下に出て、隣の部屋へ注意しに行きました。向こうも起きていたらしく、「ごめん」と言って、特に変わった様子はありませんでした。

 私たちも一安心して、また布団に戻ったんです。

 ですが、どうにも眠れない。雨音に混じって、建物がミシミシと軋む音がして、気持ちが落ち着かなかったんですね。

 しばらくして、また時計を見ると、もう午前一時半を過ぎていました。

 その時です。

 トントン、トントン。

 今度は、左側の壁から音がしたんです。

「まだ起きてるのかよ……」

 誰かがそう呟いた、その瞬間でした。

 私は、はっと気づいたんです。

 左隣に、部屋なんてない。

 私たちはD班で、その建物の一番端の部屋でした。右隣にはC班がいましたが、左側は外壁で、その先は真っ暗な外なんです。森と雨しかない場所です。

 そう思った瞬間、背中に冷たいものが流れるような感覚がしました。

 部屋の中は急に静まり返り、雨音だけがやけに遠くに聞こえました。

 あの夜、私は怖くて、目を閉じたまま朝が来るのを待ち続けました。

 翌朝、先生にそれとなく聞いてみましたが、「風の音だろう」と言われて、それ以上は取り合ってもらえませんでした。

 ですが、後になって友達から、こんな話を聞いたんです。

 八ヶ岳では、夜中に左目を取りに来る女の霊が出る。

 雷の鳴る真っ暗な夜、鳥の棟の窓に、鎌を持ったおじいさんがぼんやり映ることがある。

 どれも昔から語られている話だそうです。

 あの時、壁を叩いていたのは、一体誰だったんでしょうか。

 本当に風の音だったんでしょうか。

 今でも、雨の夜に八ヶ岳の話を聞くと、あの左側から聞こえたノックの音を思い出してしまうんです。