西洋料理店「山猫軒」 ☆RESTAURANT WILDCAT HOUSE☆ -2ページ目

西洋料理店「山猫軒」 ☆RESTAURANT WILDCAT HOUSE☆

双極性障害(躁うつ病)患者本人です。





【ロッキード L-1011 トライスター】…全日空モヒカンブルー塗装
  (全日空商事 1/500)

初飛行:1970年 11月16日
乗員:3名 ...
座席数:253席
最大速度:約954km/h(マッハ0.78)
航続距離:9,075Km
エンジン:ロールス・ロイス RB.211-22 × 3基

ロッキード社が社運をかけて生み出した、 ワイドボディ構造のジェット旅客機である。

1960年代、ロッキード社は、民間機生産部門で、ジェット旅客機時代の波に乗り遅れていた。
ライバルのボーイング社に大きく負けていた。
ロッキードは、これを挽回しようと、
新たな民間旅客機の開発を開始した。
それが、L-1011 トライスターである。

客室は横幅の広いワイドボディ構造となっている。
ゆったりと広い客室は、2本の通路で区切られていた。
機体の大きさ以上の客席数を設ける事ができた。
客室の下の階は、荷物室の他、ギャレー(厨房)となっていた。
客室とギャレーは、エレベーターで結ばれている。
CAは、エレベーターで、大量の機内食を一度に運ぶ事ができた。

RB.211-22 ジェットエンジンは、L-1011用に新たに開発されたもの。
特に静粛性の優れていた。
主翼の他、垂直尾翼の付け根部分にもエンジンを装備している。

操縦系統には、最先端の先進技術を大胆に取り入れた。
アポロ宇宙船用の電子回路技術を転用していた。
離陸から着陸までを完全自動操縦で行う事も可能となった。
また、着陸時のパイロットの操縦を補佐する、
ダイレクト・リフト・コントロール装置も装備した。
L-1011トライスターは、40年以上も時代を先取りした
新技術の塊りで設計されていた。
しかし、先行する他社。すなわち、ボーイング社のB727ジャンボ機や、
マクドネル・ダグラス社のDC-10などと、 使用用途が重なる機体だった。
エンジンの提供を依頼していた、ロールスロイス社が経営破たんし、
エンジンの供給に大きな遅れが生じた。

また、ダグラス社のDC-10に比べて、
航続距離が短いのも致命的だった。
結局、販売総数は、200機程度と低迷した。
トライスター社は、大打撃を受け、 民間機製造からは撤退していった。

日本では、1974年から、全日空が導入した。
グアム便、香港便などの国際定期便で活躍した。
全日空のスタートしたばかりの国際路線の主力機として支えた。

しかし、全日空のL-1011の機種選定を巡り、大規模な収賄事件が発覚した。有名な「ロッキード事件」である。
前総理大臣の 田中角栄が、首相在任時、トライスター社や丸紅商事から、総額5億円以上の賄賂を受け取っていた事。さらに、全日空に対して、次期旅客機をL-1011に決定するように斡旋した事が発覚したのだ。
1976年7月27日、田中角栄前総理は、東京地検特捜部に逮捕された。
ロッキード事件は、関係者の怪死もあり、日本中を揺るがす大事件となった。自民党内の派閥闘争にまで発展した。
この事が、L-1011 トライスターへの悪いイメージを広めた。
また、CAの間で、夜間飛行時に階下のギャレー内に幽霊が出るとの噂が多発した。

大量の乗客を運べる、ボーイングB747の登場すると、L-1011は 押され、日本では、1995年に全機が退役した。










【Il-76(イリューシン76)】ロシア非常事態省カラー。
(helpe wings 1/500)


初飛行:1971年3月25日
乗員: 7名。...

最高速度:850km/h...
航続距離:5,400km/h

ソビエト連邦のイリューシン設計局が開発した軍用輸送機。
最大積載量40tの物資を空輸可能。シベリアや南極などの極寒地での運用を意識して設計された。
ブレーキや足回りが強化されており、短く未整備の滑走路での離着陸が可能。
機首コクピット下のガラス部分は、航空士席になっている。
ソビエト崩壊後のロシアでも主力軍用輸送機として運用され続けて来た。
軍用機としては、空中早期警戒機や、空中給油機型が社会主義国や発展途上国向けに輸出された。

民間貨物輸送機としても多数が就航している。
特に、中国、北朝鮮、キューバなど社会主義国へ多くの民間輸送機型機が輸出された。
Il-76の大半の機体のエンジンが西欧諸国の騒音規制に適合していない。
南極基地などへの輸送。さらに、国連による救援物資輸送の主力を担っている。








【マクドネル・ダグラス DC-10-40】…日本航空鶴丸塗装
  (JAL永遠の翼シリーズ JALUX herpa Wings 1/500)
初飛行:1970年 7月29日
乗員:3名
座席数:265 ~380席 ...

最大速度:約982km/h
航続距離:12,055Km
エンジン:GE製 CF6-50A ターボファンエンジン×3基

ワイドボディ機とは、客室が大きく、客席の間に2本の通路を持つ旅客機の事をいう。一度に大量の乗客を運べる利点があった。

DC-10は、マクドネル・ダグラス社が設計した、ワイドボディの3発式ジェット旅客機である。 アメリカン航空の要請により、開発がスタートした。
垂直尾翼内を貫通している第2エンジンが特徴だ。
先に、ロッキード社のL-1011トライスターの開発が発表され、
それを意識した仕様となった。
ワイドボディの3発ジェットエンジン旅客機。
大きさも、L-1011とほぼ同じである。
先進的なL-1011トライスターとは対照的に、操縦系などは従来の技術だけで設計されている。 その為、短期間で開発に成功した。
L-1011よりも早く、初飛行に成功した。
ダグラス社のDC-10と、ロッキード社のL-1011は、航空会社各社に熾烈な ダンピング合戦を繰り広げた。
結果、販売数は、446機とダグラス社のDC-10の勝利に終わった。
しかし、ダグラス社は、この値引き競争の余波で 経営が悪化してしまった。
1995年、ダグラス社は、ボーイング社に吸収合併された。
また、製造コストを下げる為に、 貨物室ドアの設計ミスが放置された。これを原因とする、墜落事故を何度も 起こした。

日本においては、日本航空が、1976年から運用を開始した。
ヨーロッパ線や北米向け路線、東南アジア路線の他など国際線を主に就航させた。
また、ダグラスDC-8に替わり、日本政府のチャーター機としても使われた。







【Tu-154B2(NATO軍コードネーム ケアレス)】
(Phoenix  1/400 高麗航空塗装)
初飛行:1968年10月4日
乗員:3名~4名
座席数:158-167席 ......

最高速度:975km/h
航続距離:5280km

旧ソビエトを代表する航空機メーカー ツポレフ設計局が生産した、3発エンジンの中型ジェット旅客機である。
Tu-134(初飛行:1963年7月29日)の発展形として設計された。
特に海外市場への輸出を念頭に設計された。
機体尾部及び、T字垂直尾翼根元に3基のクズネツォーフNK-8系ジェットエンジンを装備している。
この方式を尾部集中装備方式といい、アメリカのボーイング727など西側各国のメーカーのデザインを踏襲している。一方で、ジェットエンジンの推力は、西側の中型ジェット旅客機を上回るハイパワーのものが搭載された。
これは、整備の遅れたソビエトの地方空港での運営を念頭に置いたものである。短距離での離着陸が可能だった。
旧式化しているが、アビオニクス(電子機器)や、エンジンを換装する事で、旧東側諸国や発展途上国で、現在も多くの機体が運用中である。
最新のM型は、エンジンをより騒音の少ないソロヴィヨーフ D-30に交換している。
しかし、それ以外の機体は、西側の騒音基準をクリアしていない。
騒音問題から西側先進国の空港に着陸を断られる場合がある。
かつて、東側諸国の航空会社は、半ば強制的に購入を義務つけられていた。
生産機数は、935機。ツポレフ設計局で最も売れた旅客機といえる。
中国空軍は、軍用機に改造。空軍34師電子情報収集機として配備している。現在、尖閣周辺の、日本の防空識別圏に、空軍34師電子情報収集機による領空侵犯が絶えない。

高麗航空は、北朝鮮の事実上の国営航空会社。東側社会主義国が資本主義国に転換した為、現在では、中国北京向けなど数か国にしか就航していない。
機材も12機程度(旅客機・輸送機)と小さな航空会社である。
かつて、日本の名古屋空港にも、年2回程度はチャーター便を乗り入れていた。
主に、北朝鮮からの松茸貨物の輸送。在日朝鮮人の北朝鮮渡航などに利用された。
しかし、現在は、保有機体のエンジンの騒音基準が、日本の規定に合わない為に乗り入れていない。
EU域内に乗り入れ禁止になっている他、中国へも安全基準違反から便数を大幅に減らされている。








【コンコルド】…エールフランス航空塗装
  (herpa wings 1/500)

初飛行:1969年3月2日
乗員:3名...

乗客数:100名
最大速度:マッハ 2.04(約2,160km/h)
航続距離:7,229 km

イギリスとフランスが共同開発した、
超音速旅客機(SST: supersonic transport)である。

従来のジェット旅客機は、機体構造と推進エンジンに問題があった。
音速の壁を突破する機体の開発は不可能とされていた。
この為、亜音速(マッハ1.0以下)でしか飛行できなかったのである。

これに対して、イギリス、フランス共同開発のコンコルドは、最高時速マッハ2.0を記録した超音速旅客機である。

1950年代後半より、アメリカ、ソビエト、フランス、イギリスが超音速旅客機実用化に向けて、熾烈な開発競争を行っていた。
1962年、フランスとイギリス政府は、両国共同開発で合意した。
フランスのシュド・アビアシオン社、イギリスのBAC社などが協力して開発を行う事となった。
こうして、SSTコンコルドの開発がスタートした。
7年後、試作機がロールアウトし、1969年3月1日に初飛行に成功した。
コンコルドは、高度5万5千フィート以上の超航空を、マッハ2.0の超音速で飛行したのである。

エンジンは、アフターバーナー付きロールス・ロイス オリンパス593 Mk610ターボジェットエンジン。
さらに、可変空気取り入れ口制御システムを採用している。
操縦系統は、コンピュータが飛行を制御するシステムを採用した。
すなわち、電気信号で、 油圧操縦系統を操作する、フライバイワイヤ方式を実用化している。

離発着時のコクピット下方視界の遮りを防ぐ為に、機種部分が上下に可変する。その姿は、巨鳥の嘴のように見えた。

欧州の科学技術の粋を集めた、夢の超音速旅客機だった。

コンコルドは、国際的路線に就航した唯一の超音速旅客機となった。
しかし、燃費の悪さ、騒音、離着陸時の衝撃波などが 問題とされた。
また、高コストから、搭乗チケットも高額となった。
それでも、最大100人の乗客しか搭乗できない為に、運行利益は少なかった。
試作機を含めて、僅か20機の製造で生産は打ち切られた。

先進国の航空会社各社が導入を検討したが、
結局、導入したのは、エール・フランス航空と、ブリティッシュ・エアウェイズの2社だけだった。
コンコルドは、1976年1月21日から定期的な運航を開始した。

イギリス王室の海外渡航などでも使用されたが、
同時多発テロ後の世界経済悪化。
また、燃料代の高騰なども痛手となった。
コンコルドは、運用面での経済性の悪さから徐々に退役した。
そして、2003年10月24日、 全機が商業運用を停止した。

2000年7月25日、エールフランス航空のコンコルドが、パリのシャルル・ド・ゴール空港を離陸時に炎上墜落した。犠牲者114人の大惨事となった。これも商業運航停止の一因とされた。

日本でも、1970年頃、日本航空が、コンコルドの導入を検討したが、 飛行時の騒音や衝撃波が問題とされて中止になった。

ソビエト連邦も、超音速機Tu-144を開発した。しかし、その外見は、コンコルドそっくりだった。こちらも経済性が極端に低く、数機が輸送機として採用されたものの短期間で退役した。
アメリカは、途中で、超音速旅客機開発を中止している。