【コンコルド】…エールフランス航空塗装
(herpa wings 1/500)
初飛行:1969年3月2日
乗員:3名...
乗客数:100名
最大速度:マッハ 2.04(約2,160km/h)
航続距離:7,229 km
イギリスとフランスが共同開発した、
超音速旅客機(SST: supersonic transport)である。
従来のジェット旅客機は、機体構造と推進エンジンに問題があった。
音速の壁を突破する機体の開発は不可能とされていた。
この為、亜音速(マッハ1.0以下)でしか飛行できなかったのである。
これに対して、イギリス、フランス共同開発のコンコルドは、最高時速マッハ2.0を記録した超音速旅客機である。
1950年代後半より、アメリカ、ソビエト、フランス、イギリスが超音速旅客機実用化に向けて、熾烈な開発競争を行っていた。
1962年、フランスとイギリス政府は、両国共同開発で合意した。
フランスのシュド・アビアシオン社、イギリスのBAC社などが協力して開発を行う事となった。
こうして、SSTコンコルドの開発がスタートした。
7年後、試作機がロールアウトし、1969年3月1日に初飛行に成功した。
コンコルドは、高度5万5千フィート以上の超航空を、マッハ2.0の超音速で飛行したのである。
エンジンは、アフターバーナー付きロールス・ロイス オリンパス593 Mk610ターボジェットエンジン。
さらに、可変空気取り入れ口制御システムを採用している。
操縦系統は、コンピュータが飛行を制御するシステムを採用した。
すなわち、電気信号で、 油圧操縦系統を操作する、フライバイワイヤ方式を実用化している。
離発着時のコクピット下方視界の遮りを防ぐ為に、機種部分が上下に可変する。その姿は、巨鳥の嘴のように見えた。
欧州の科学技術の粋を集めた、夢の超音速旅客機だった。
コンコルドは、国際的路線に就航した唯一の超音速旅客機となった。
しかし、燃費の悪さ、騒音、離着陸時の衝撃波などが 問題とされた。
また、高コストから、搭乗チケットも高額となった。
それでも、最大100人の乗客しか搭乗できない為に、運行利益は少なかった。
試作機を含めて、僅か20機の製造で生産は打ち切られた。
先進国の航空会社各社が導入を検討したが、
結局、導入したのは、エール・フランス航空と、ブリティッシュ・エアウェイズの2社だけだった。
コンコルドは、1976年1月21日から定期的な運航を開始した。
イギリス王室の海外渡航などでも使用されたが、
同時多発テロ後の世界経済悪化。
また、燃料代の高騰なども痛手となった。
コンコルドは、運用面での経済性の悪さから徐々に退役した。
そして、2003年10月24日、 全機が商業運用を停止した。
2000年7月25日、エールフランス航空のコンコルドが、パリのシャルル・ド・ゴール空港を離陸時に炎上墜落した。犠牲者114人の大惨事となった。これも商業運航停止の一因とされた。
日本でも、1970年頃、日本航空が、コンコルドの導入を検討したが、 飛行時の騒音や衝撃波が問題とされて中止になった。
ソビエト連邦も、超音速機Tu-144を開発した。しかし、その外見は、コンコルドそっくりだった。こちらも経済性が極端に低く、数機が輸送機として採用されたものの短期間で退役した。
アメリカは、途中で、超音速旅客機開発を中止している。