【ボーイング 787-8 ドリームライナー(JA801A)】 | 西洋料理店「山猫軒」 ☆RESTAURANT WILDCAT HOUSE☆

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【ボーイング 787-8 ドリームライナー(JA801A)】
…全日空通常塗装(全日空商事 1/500)

初飛行:2009年12月15日
乗員:2名...

座席数:290~ 330席
最大速度:マッハ0.85
航続距離:14,200 - 15,200km

ボーイング B787 ドリームライナーは、ボーイング社が開発した、次世代中型ジェット旅客機である。
ボーイング社の中型機、大型機の新型代替機となる。

B787は、中型旅客機としては、非常に燃費効率が高い。航続距離も桁外れに長いのが特徴だ。今までは大型機でないと行けなかった遠隔地にも、B787シリーズを使うことにより直行が可能になった。この事により、需要のあまり多くない航空路線の新設が、可能になるとされている。

ボーイング社は、B777(1995年に就航開始)に次ぐ機種の開発を検討していた。そして、将来必要な旅客機は、音速に近い速度(遷音速)で巡航できる、高速機であると考えていた。
2001年はじめから「ソニック・クルーザー」の名称で新型機の研究・開発を開始した。巡航速度マッハ0.95以上、乗客数300名程度を想定していた。
しかし、2001年9月のアメリカ同時多発テロ事件後に、航空業界は業績が悪化した。利用客の減少、燃料費の大幅高騰が打撃となっていた。航空各社は、運航経費を抑えたいと考えるようになった。
ボーイング社は、2003年、この状況変化を受けて、遷音速旅客機「ソニック・クルーザー」開発計画を中止した。
そこで、速度よりも効率性を重視した、
2発エンジンの中型旅客機の開発にとりかかる事となった。
ボーイングは、自社単独開発を断念。世界各国の70社の製造メーカーで、部品の開発と生産供給をする国際共同事業に転換した。設計・開発・生産コストを 大幅に節約する手法である。欧州、中国、韓国、日本などの企業が参加に同意した。

2004年に、ボーイングの副社長が来日。全日空が50機発注したことによって開発が本格スタートした。全日空は、「ローンチカスタマー」(開発後援企業)として、ボーイングの開発計画をサポートした。
その後、日本航空も45機を発注したほか、デルタ航空やコンチネンタル航空など多くの大手航空会社が、B787を発注した。

開発当初のスケジュールでは、2007年7月に初号機ロールアウト(完成披露)の予定であった。

2007年7月8日に試作モッグアップ(実物大模型)の披露式典が行われた。この時点での受注数はボーイング社としては史上最高の世界47社677機となった。ただし、この式典で公開されたモッグアップは外観だけで、キャビン内部の公開はされなかった。
機体部材・部品の7割近くを他社に外部発注したために、品質が劣るものもあった。それらを改善していくために予想以上に時間がかかっていた。ボーイング内労組のストライキなどもあり、初号機完成時期は迷走した。

当初の予定では、初飛行は2007年9月末だった。量産機引渡しは2008年5月としていた。しかし、2007年10月11日にスケジュールの遅れが発表された。初飛行は2008年第1四半期末に遅れる見通しだった。
その後も、紆余曲折があり、試作1号機の納入は、2009年に遅れる事となった。
部品調達費のコスト軽減により委託メーカー先でトラブルが起こり、混乱したのであった。

納入予定だった全日空は、北京オリンピック時就航計画を断念した。

2009年12月12日、B787試作機の初飛行がようやく行われた。
世界の製造メーカーの最新技術を結集したハイテク機がようやく空を舞った。

コクピットは、グラスコクピット化された。
アナログ計器類は廃止され、液晶モニターとなった。
計器類は、液晶表示モニターに変更された。大量の情報を容易に表示できる。
タブ変更で複数画面に切り替えられる。
離着陸や水平飛行時の 重要情報は、操縦席前の透明ガラス板に投影される。パイロットは、目線を前方に向けたままで、情報の確認を行える。これをヘッドアップディスプレイ(HUD)という。
従来、戦闘機や武装ヘリコプターに採用された最新技術である。

機体の50%以上が、複合素材「炭素繊維複合材(CFRP)」で出来ている。充分な強度と、大幅な軽量化が実現された。複合素材の提供は、東レなどの日本メーカーが担当した。
主翼端は、カーブするウィングレット形状になっている。燃費効率の大幅な向上を実現した。
客室窓は大きく拡張され、通路側の乗客も外の景色を眺める事ができる。
さらに、窓には、電子カーテンが採用された。窓ガラス自体が変色して、外光を遮蔽する。客室内照明は、LED化され、細かい調色が可能になった。

エンジンはロールス・ロイス plc製Trent1000と、ゼネラル・エレクトリックのGEnxが用意された。これらの新型エンジンも国際共同開発となった。
巡航速度はマッハ0.85となり、マッハ0.80のB767、マッハ0.83程度のエアバス社A330、A340より長距離路線での所要時間が短縮された。

航続距離は基本型の787-8で、驚異的な8,500海里(15,700km)を達成した。
ロサンゼルスからロンドン、あるいはニューヨークから東京路線をカバーするのに十分である。東京からヨハネスブルグへのノンストップ飛行すら可能であった。
B767と比較すると、燃費は20%以上向上した。

日本のメーカーが、部品を多数供給しており、 その比率は、合計で35%と過去最大となった。

2011年7月3日、日本の空港設備との適合性検証(SROV)を行うこととなった。シアトルからB787-8型機試作2号機(全日本空輸塗装機体)が羽田空港へ飛来した。その後も、日本各地の主要空港などで試験を行った。

2011年9月28日、ついに、全日空が、B787ドリームライナー量産機を受領した。
10月26日には、全日空は、成田~香港間のチャーター便を飛行させた。
これは、B787型として世界初の商業運航であった。
11月1日、全日空の羽田~岡山・広島線で国内定期路線の営業を開始した。

翌年の3月25日、日本航空にも、B787が納品された。

しかし、B787は、運用開始直後から事故トラブルに見舞われた。
補助動力ユニットと、非常時のバックアップ電源に、日本のGSユアサ社製リチウムイオン電池を使用していた。これが原因不明で出火事故を起こした。
他にも、燃料漏れ、潤滑油漏れも報告されている。
これら、初期稼働不良の改修が行われつつある。