3DO REAL 日本発売30周年! | VBCテレビブログ放送

3DO REAL 日本発売30周年!

本日、3月20日は日本でテレビゲーム業界初の32ビットCD-ROMマシン・3DO REAL(FZ-1)が当時の松下電器産業(現・パナソニック)から発売されて丁度30年になります。

モトをたどれば3DOは'90年代当時、米国のソフトウェア最大手だったEA(エレクトロニック・アーツ)の総帥だったトリップ・ホーキンス氏が規格を提唱した『コレ一台で何でも出来るマルチメディアマシン』で、日本では松下をはじめ、三洋電機、東芝、韓国SAMSUNG、GOLD STAR(現・LG電子)、米国AT&T等が規格に賛同。日本のソフトウェアではナムコ(現・バンダイナムコ)が資本参加する等、国内外を巻き込む一大プロジェクトとなりました。

特に、当時の松下ではハリウッド映画企業買収(MCA/現・ユニバーサル・スタジオ)に次ぐ大型案件であり、3DO事業の成功に社運を賭け広告宣伝費に湯水の如く大金を投じ、当地(秋田県)の様な片田舎でも大々的に街灯看板が至る所に掲げられた程で、あとにも先にも当地でゲームハードの街灯看板が設置された唯一の例となっております。

当時のテレビゲーム業界は、ファミコン→スーパーファミコンと"国民的ゲームハード"を立て続けに投じた任天堂のガリバー状態が続いており、パソコン界の巨人だったNEC(PCエンジン)やアーケード界の大御所だったセガ(メガドライブ)が苦戦し続けていた中、『NECやセガと違い国内外に圧倒的な営業力と政治力を持っている松下なら任天堂の牙城を崩せるのでは?』という"楽観論"もあった程でした。

『テレビゲーム業界のVHS(世界標準規格)』を目指して今から30年前の今日、松下から発売された3DO REAL。先に'93年10月から米国でも先行発売されていたものの、日本円にしておよそ8万円超もする高価格で'93年内に米国での累計出荷台数は僅か3万台に留まっておりました。

'94年1月、新商品(日本版3DO REAL)の発表記者会見に森下洋一・松下電器社長(当時)自らが出席。当時の松下で新商品発表の際に社長自らが出席するのは異例で松下の本気度が伺われた反面、発表された価格が79,800円(消費税別)と当時の国民的ゲームハードだったスーパーファミコン(任天堂)の3倍以上もする高価格で、ゲーム関連の販売店や問屋やサードパーティーから苦情が殺到。

事態を重く見た松下は、発表から1ヶ月足らずで価格を54,800円(消費税別)に下げる異例の対応をしたものの、消費者側に『高価すぎるマシン』だという認識を抱かせてしまい、本体発売後も目ぼしいキラータイトルに恵まれなかったこともあり、国内外で3DO事業は大惨敗。任天堂の牙城を崩すどころか、'94年暮れになると同じ32ビットCD-ROMゲーム機で後発のサターン(セガ)、プレイステーション(ソニー)の後塵を拝してしまいました。

巻き返しを図るべく、松下は100億円も投じ'95年10月に米国3DO社から3DOの後継規格であったM2の独占使用権を取得。'96年4月にはソニー・コンピュータエンタテインメントの成功例を踏襲したパナソニック・ワンダーテインメントを設立しM2に関するハード・ソフトの開発を強化も、サターン・プレイステーションのシェア争いが益々白熱化しつつあった状況下で3DOは完全に敗北状態でありこの時点では既にゲーム業界における松下の存在感は皆無でした。

結果、M2に参入するソフトメーカーは現れず(最終的にワープ一社のみでアーケード部門ではコナミとカプコンが参入)、'97年7月にはテレビゲーム機に特化した形でのM2ビジネスの断念を表明。その後、M2は細々とビジネス用途に転換もM2の独占使用権取得の為に投じた100億円の元は取れずに、'00年代前半にはM2関連の各種ビジネスサービスも完全に終結。

松下は'99年に任天堂と包括提携を交わし、'01年にはニンテンドーゲームキューブの互換機・DVD GAMEPLAYER Qを発売も、こちらも殆ど売れず。その後の松下は'10年に"The Jungle"なる携帯型ゲーム機の発表がされたものの、'11年には市場の変化により発売を断念したとのアナウンスがあり、以後、ゲームビジネスからは完全撤退となってしまいました。

同じ家電メーカーで、'80年代までは松下の足元にも及ばなかったソニーがプレイステーションで世界を席巻する大企業となったのとは対照的に、松下→パナソニックはゲームビジネスで大惨敗を喫してしまいました。


たかがテレビゲームとはいえ、世界を揺るがす一大企業にのし上がったソニーと逆に右肩下がりのパナソニック・・・今から30年前の'94年に勃発した32ビットCD-ROMゲーム機の規格争いは、パナソニックとソニーの明暗を分けた分水嶺ともなりました。






広告宣伝費に湯水の如く大金を投じた結果、日本では諸外国より売れたものの、それでも73万台しか売れず。テレビ番組的な演出のソフトが多く、当局の様なコアなテレビ好きからすれば注目の存在でしたが・・・。/(C) Panasonic Corporation