ダメ害酷人劣伝~グッドウィン | VBCテレビブログ放送

ダメ害酷人劣伝~グッドウィン

お久し振りのこのコーナー!愛すべき"ダメ害酷人"選手を語るシリーズの今回は、南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)に'86年に在籍していたダメ害酷人選手を特集!

本名は"ダニー・ケイ・グッドウィン"なるご立派なお名前で、'53年9月2日生まれ。アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイス出身で、右投左打の外野手でした。

メジャーリーグでは、ナンとドラフトで史上唯一、2度の全体1位指名を受けたというドエラい選手で、サザン大学から'71年のMLBドラフトでシカゴ・ホワイトソックスからドラフト全体1位指名を受けたものの入団せず、'75年にはカリフォルニア・エンゼルスから再びMLBドラフト1巡目(全体の1位)指名され、今度は捕手として入団。

スカウトからは『ジョニー・ベンチの再来』と高く評価されていた程の逸材も、MLBでは主に指名打者として通算で252試合に出場し打率.236・13本塁打・81打点と思った程の成績を残せず。捕手としての出場機会は全く無かったという。

ドラフト時の期待に反してレギュラーに定着することが出来ず、'75年から'82年迄エンゼルス、ミネソタ・ツインズ、オークランド・アスレチックスでプレイも'83年以降はMLB昇格の機会はありませんでした。

'85年オフ、当時の南海ホークスは主力打者だった新井宏昌選手を放出し、それに代わる巧打者タイプの左打者としてグッドウィンを獲得!

MLBでは故障しがちのため守備機会が少なく守備を不安視されるも、南海には同じく守備に難があり主に指名打者として起用されていた門田博光選手が居た為、グッドウィンは指名打者として起用出来ずに、当初は守備に目を瞑り左翼手として起用されるも、不慣れな外野守備を続けたため右足を故障。

打率も急降下し、シーズン終盤は殆ど代打としての起用が続き成績も振るわず。83試合に出場し打率.231・8本塁打・26打点というサエない成績で僅か1年でお払い箱となってしまいました。

当初、南海ではグッドウィンに背番号4を用意するも、グッドウィンは拒否した為、背番号は62に。当時の南海では、背番号60の門田、背番号61のデビッド・ホステトラー(登録名はデビッド)と併せて『60番トリオ』と売り出しましたが、グッドウィンの不振もあって、シーズン中に話題になることは少なく、翌年グッドウィンは解雇となり、残留したデビッドも背番号を9に変更し、花の『60番トリオ』は一年限りで解散となったという・・・。

チームも5位から8.0ゲーム差も離れるパ・リーグの沖ノ鳥島もいいところの"離れ小島"状態で、2年続けてドン底最下位に終わってしまいました。


グッド(良い)ウィン(勝ち)という、名前だけは良かったんですけどねぇ~。完全に名前負けした選手でした。






グッドウィンと名前だけは良かったのですが・・・。/(C)TOMY