中日助っ人史上1,2位を争うダメ害酷人選手を特集!
本来の登録名はデーブ・ニルソンでしたが、中日ドラゴンズでの登録名はオーストラリア特有のイヌにちなんで"ディンゴ"でした。
モトをたどれば'87年にミルウォーキー・ブルワーズと契約し'92年5月18日にメジャーデビュー。
'99年にはアノ野茂英雄投手とバッテリーを組んだという!同年は更にMLBオールスターゲームに出場!更にオーストラリア代表選手としてIBAFインターコンチネンタルカップに出場し、4番打者としてMVPを獲得した程!
'00年にシドニーオリンピック出場を条件として中日ドラゴンズに入団しました。(この時に球団に紹介して一緒に入団したのがダン・カールソン投手。こちらもタダのポンコツ!)。
多くの試合を左翼手として出場しましたが、要はシドニーオリンピックの為に怪我しない様に体に負担の掛からない様にと外野守備に専念していたとか!キタねーなぁオイ!
しかし慣れない外野守備と日本投手の変化球攻めに対応できず、極度の打撃不振とシドニーオリンピックの為8月にとっとと退団!。
捕手での出場は僅か1試合のみ、本塁打も横浜スタジアムのライトスタンド場外に放った1本のみに終わりました。しかし後にオーストラリア代表選手としてシドニー五輪に出場し、千葉ロッテ・黒木知宏投手からちゃっかり本塁打を放ち日本のプロ野球ファンからヒンシュクを買う事に・・・。
その後、ボストン・レッドソックスへの入団が決まっていたものの故障のため契約を保留。'03年に契約を交わしたものの、実際にプレーすることはなく一旦は引退を表明。その後、アトランタ・ブレーブスにマイナー契約で入団した後、またもやアテネ五輪にオーストラリア代表選手として出場。またしても対日本戦(予選)でちゃっかり活躍し日本のプロ野球ファンからヒンシュクを買う事に(泣)'06ワールド・ベースボール・クラシックのオーストラリア代表にも選ばれたとか。日豪間の対立は捕鯨問題だけじゃなかったんですね(泣)
結局中日では僅か18試合出場で打率.180・1本塁打・8打点と殆どオリンピックの為だけの調整入団でしたね(怒)
現在は母国・オーストラリアの野球チーム・ブリスベンバンディッツの監督を務めているとか。母国愛だけは凄いんですね。
オーストラリアのイヌ(笑)は中日の助っ人史上1,2位を争うダメ害酷人選手でしたね!(泣)
ドラファン的には思い出したくないであろうダメ害酷人!しっかし中日も当時よく入団させたものでした。