欽ちゃんのドンとやってみよう!
フジ系にて'75年4月から'80年3月迄毎週土曜19:30~90分間の長時間放送されていたバラエティー番組!(途中中断有り)
長らくフジは土曜午後8時台はTBS系「8時だョ!全員集合」に打ち負けていたのですが、この「欽ドン!」で幾らか「全員集合」の視聴率を削る事に成功しました。
モトをたどればニッポン放送にて放送されたラジオ番組「欽ちゃんのドンといってみよう!」が元ネタ。リスナーからのハガキを元にした展開はテレビになっても引き継がれました。
当初、初期の正式タイトルは「萩本欽一ショー・欽ちゃんのドンとやってみよう!」だったという・・・。
この番組は欽ちゃんにとっては初めて初の企画・主演番組であることもあり、欽ちゃんも相当の気合を込めて制作されたとか。アシスタントとして当時新人の香坂みゆきさんが出演している事も後に話題に・・・。
'77年4月~8月と'78年4月~8月と'79年4月~8月迄は、欽ちゃんの企画構想期間として同番組は一旦中断。これは欽ちゃんが「ナイター中継の真裏では絶対に番組をやらない」という考えが有ったからだとか。そのせいか欽ちゃん番組ってナイター中継と被らない21時台が多いのはその為なんですね!
綿密に計算されたコント中心の真裏の「全員集合」と異なり、「欽ドン!」はテレビ放送になってからも視聴者からのハガキ投稿を中心に、欽ちゃんが得意とするアドリブを主体にした番組構成となっていました。
NGでも面白がって放送してしまう手法は、三宅恵介ディレクターをはじめ「欽ドン!」を担当したスタッフや作家陣が多数参加し後のフジ土8枠を彩る「オレたちひょうきん族」や現在放送中の「めちゃ×2イケてるッ!」への礎となったという。
「欽ドン!」番組中、欽ちゃんが股旅姿で観光地などに現れ、一般人を模造刀で斬るふりをして一般人が「ウワッー!」などと叫んで倒れるという場面が度々登場する手法は後に、「ひょうきん族」の"タケちゃんマン"コーナー冒頭の、一般人が空を指さして「あっ、タケちゃんマンだ!」と叫ぶ場面に受け継がれているとか。
また初期の「欽ドン!」では当時お笑い番組出演の経験の少なかった内山田洋とクールファイブやコワモテ俳優の志賀勝さん(!)らを大胆起用!特に前川清さんとは"コント54号"を結成し迷コンビぶりを発揮していました!
欽ちゃんというと"素人いじりの天才"とも言われていますが、「欽ドン!」でも遺憾なく発揮!一般のド素人だった気仙沼ちゃんや西山浩司さんが大々的に人気を博しました。
第1回放送後、スタッフの電話によって17.1%という初回にしてはいきなりの高視聴率の結果を知った欽ちゃんは、受話器を握り締め涙したとか。
番組で採用されたハガキには、面白かった順にバカウケ/ややウケ/ドッチラケのランク付けをされていたのも懐かしい・・・。なかでも「バカウケ」は当時の流行語にもなり、当時同局系で放送されていた人気アニメ「タイムボカンシリーズ・ヤッターマン」にも「ドッチラケ」なるセリフが使われた程!これは芸人の隠語を一般向けに使用したものと言われ、後の「欽ドン!」の代名詞「良い・普通・悪い」へとつながったと見る者もいるとか。
しかし真裏の「全員集合」で志村けんさんが♪東村山音頭 等で人気が大ブレイクしだすと次第に視聴率は下降気味に。遂に'80年3月をもって番組は終了となり、フジは'81年5月に「オレたちひょうきん族」がスタートする迄土曜午後8時台は極度の視聴率不振に(泣)
スカパー!系ではかつて開局当初のフジテレビTWO(当時はフジテレビ721)でリピート放映も、著作権の問題からかかなり飛び飛びの放送で全話放送されず(泣)出来れば全話放送して欲しかった・・・(泣)
最近は一般視聴者を幅広く巻き込んだ心温まるお笑い番組も少ない気が・・・。
民放局では早15年もレギュラー番組の無い欽ちゃん。欽ちゃんの温かい笑いは乾いた今の時代こそ必要かとは思うのですが・・・。
欽ちゃんと迷コンビぶりを発揮していた前川清さん以外にもクールファイブの面々もコントに挑戦!特に頭の薄い(失礼・・・)の宮本さんはしょっちゅう欽ちゃんにイジられていた気が・・・(笑)
貫禄あるチンピラ役の多かった志賀勝さんも欽ちゃんにかかれば途端にお笑いキャラに・・・(笑)しかしよく番組出演を快諾したものです。
長らくフジは土曜午後8時台はTBS系「8時だョ!全員集合」に打ち負けていたのですが、この「欽ドン!」で幾らか「全員集合」の視聴率を削る事に成功しました。
モトをたどればニッポン放送にて放送されたラジオ番組「欽ちゃんのドンといってみよう!」が元ネタ。リスナーからのハガキを元にした展開はテレビになっても引き継がれました。
当初、初期の正式タイトルは「萩本欽一ショー・欽ちゃんのドンとやってみよう!」だったという・・・。
この番組は欽ちゃんにとっては初めて初の企画・主演番組であることもあり、欽ちゃんも相当の気合を込めて制作されたとか。アシスタントとして当時新人の香坂みゆきさんが出演している事も後に話題に・・・。
'77年4月~8月と'78年4月~8月と'79年4月~8月迄は、欽ちゃんの企画構想期間として同番組は一旦中断。これは欽ちゃんが「ナイター中継の真裏では絶対に番組をやらない」という考えが有ったからだとか。そのせいか欽ちゃん番組ってナイター中継と被らない21時台が多いのはその為なんですね!
綿密に計算されたコント中心の真裏の「全員集合」と異なり、「欽ドン!」はテレビ放送になってからも視聴者からのハガキ投稿を中心に、欽ちゃんが得意とするアドリブを主体にした番組構成となっていました。
NGでも面白がって放送してしまう手法は、三宅恵介ディレクターをはじめ「欽ドン!」を担当したスタッフや作家陣が多数参加し後のフジ土8枠を彩る「オレたちひょうきん族」や現在放送中の「めちゃ×2イケてるッ!」への礎となったという。
「欽ドン!」番組中、欽ちゃんが股旅姿で観光地などに現れ、一般人を模造刀で斬るふりをして一般人が「ウワッー!」などと叫んで倒れるという場面が度々登場する手法は後に、「ひょうきん族」の"タケちゃんマン"コーナー冒頭の、一般人が空を指さして「あっ、タケちゃんマンだ!」と叫ぶ場面に受け継がれているとか。
また初期の「欽ドン!」では当時お笑い番組出演の経験の少なかった内山田洋とクールファイブやコワモテ俳優の志賀勝さん(!)らを大胆起用!特に前川清さんとは"コント54号"を結成し迷コンビぶりを発揮していました!
欽ちゃんというと"素人いじりの天才"とも言われていますが、「欽ドン!」でも遺憾なく発揮!一般のド素人だった気仙沼ちゃんや西山浩司さんが大々的に人気を博しました。
第1回放送後、スタッフの電話によって17.1%という初回にしてはいきなりの高視聴率の結果を知った欽ちゃんは、受話器を握り締め涙したとか。
番組で採用されたハガキには、面白かった順にバカウケ/ややウケ/ドッチラケのランク付けをされていたのも懐かしい・・・。なかでも「バカウケ」は当時の流行語にもなり、当時同局系で放送されていた人気アニメ「タイムボカンシリーズ・ヤッターマン」にも「ドッチラケ」なるセリフが使われた程!これは芸人の隠語を一般向けに使用したものと言われ、後の「欽ドン!」の代名詞「良い・普通・悪い」へとつながったと見る者もいるとか。
しかし真裏の「全員集合」で志村けんさんが♪東村山音頭 等で人気が大ブレイクしだすと次第に視聴率は下降気味に。遂に'80年3月をもって番組は終了となり、フジは'81年5月に「オレたちひょうきん族」がスタートする迄土曜午後8時台は極度の視聴率不振に(泣)
スカパー!系ではかつて開局当初のフジテレビTWO(当時はフジテレビ721)でリピート放映も、著作権の問題からかかなり飛び飛びの放送で全話放送されず(泣)出来れば全話放送して欲しかった・・・(泣)
最近は一般視聴者を幅広く巻き込んだ心温まるお笑い番組も少ない気が・・・。
民放局では早15年もレギュラー番組の無い欽ちゃん。欽ちゃんの温かい笑いは乾いた今の時代こそ必要かとは思うのですが・・・。
欽ちゃんと迷コンビぶりを発揮していた前川清さん以外にもクールファイブの面々もコントに挑戦!特に頭の薄い(失礼・・・)の宮本さんはしょっちゅう欽ちゃんにイジられていた気が・・・(笑)
貫禄あるチンピラ役の多かった志賀勝さんも欽ちゃんにかかれば途端にお笑いキャラに・・・(笑)しかしよく番組出演を快諾したものです。


