魔の背番号だった~16 | VBCテレビブログ放送

魔の背番号だった~16

此処を御覧頂いているスワローズファンの皆様は"背番号16"というと、どんな連想をされますでしょうか?

左のエース!というイメージ(=石井一久投手/現・埼玉西武)が強いかと・・・。しかし'80年代後半から'90年代前半にかけては"ハシにも棒にも引っ掛からないトンでもないポンコツダメ害国人の指定席"の背番号でした・・・(泣)

キッカケは'88年に入団したテリー・ハ-パー外野手!開幕からたった10試合に出場しただけで右ヒザ痛治療の為帰国し二度と復帰できず!(怒)打棒も僅か打率.143・2本塁打・6打点という寒さ・・・(泣)

翌'89年入団のホアン・アイケルバーガー投手はもっとヒドかった!'88年オフ、ヤクルト球団にアノ伝説のメジャーリーガー・ノーラン・ライアン投手自ら売り込みに!しかしこの年ヤクルトは既に大枚を投じてラリー・パリッシュ内野手を獲得していた為金銭面で折り合いが付かず、結局ライアン側から「この話は無かった事にしてくれ」と言われ交渉決裂!

結局ノーラン・ライアン投手の代わりに'89年春のユマ・キャンプでテスト入団したのがアイケルバーガー!獲得理由は当時の関根潤三監督曰く「アタシの若い頃、同じ名前のアメリカ軍曹が居てね。ピンときてその投手にしてもらった。」そうで・・・(笑)

'89年開幕二戦目の対巨人戦でサヨナラ暴投デビュー!以降出れば打たれで開幕から僅か1ヵ月半で解雇。8試合3敗・防御率7.04というヒドさ(泣)

翌'90年シーズン途中入団のマイク・ロックフォード投手もまたアイケルバーガーに負けじ劣らずのヒドさ!良かったのは試合に投げられた事だけ!9試合3敗・防御率8.61というダメっぷり!ちなみに代理人は当時の野村克也監督のご子息・ダン野村氏(泣)

翌'91年入団のティム・バートサス投手は2メーター超の長身左腕として期待されるも、制球力に難があり当初のストッパー起用構想から先発起用へ。18試合に投げて1完封を含む3勝(5敗)をマークも、防御率は5.61(泣)最後は首脳陣批判をやらかし閉幕前にお払い箱へ・・・。

4年続けて・・・だっただけに、'92年石井一久投手が16番を付ける事になった時もの凄く不安でしたよ・・・。その不安は杞憂に終わりましたが・・・。

しかし加藤幹典投手でまた悪しき伝説が復活か?(泣)





$VBCテレビブログ放送-MLB時代のアイケルバーガー投手

SFジャイアンツ時代のアイケルバーガー!これでも'81~'82年にかけて15勝もマークしたらしいが・・・。