平和記念公園のアオギリの木の下で被爆証言を続け「アオギリの語り部」と呼ばれた沼田鈴子さん(2011年に87歳で死去)の遺品展が29日、広島市中区のまちづくり市民交流プラザで始まった。戦争を知らない世代に伝えたい思いを記した原稿や手帳、写真など約70点を初公開している。【広瀬晃子】
沼田さんは21歳の時、爆心から約1・3キロの勤務先の旧広島逓信局(現・日本郵便中国支社)で被爆した。片足を失い、婚約者も戦死して絶望したが、被爆しても芽吹く勤務先のアオギリを目にし、生きる希望を取り戻した。
差別や偏見で心の傷を負い、体験を語れなかったが、米国が撮影した被爆地の記録フィルムを買い戻す「10フィート運動」の試写会で、自身が映っていることを知り、証言することを決意する。1973年に平和公園に移植された被爆アオギリを「自身の分身」と呼び、58歳からその下で修学旅行生らに体験を語り、アオギリの種を渡し続けた。