七月京都文化博物館 『雪之丞変化(総集篇)』(昭和十年)『祇園祭』上映  | 俺の命はウルトラ・アイ

七月京都文化博物館 『雪之丞変化(総集篇)』(昭和十年)『祇園祭』上映 

 

 

 

 

 

 昭和四十年(1965年)六月二十八日放送

NHK『この人この道』では大佛次郎・伊藤

大輔・滝沢一が鼎談を為した。

 

 大佛次郎(おさらぎ・じろう)

 本名 野尻清彦

 画像右端の男性。

 

 中央は映画監督伊藤大輔、左は映画評

論家・脚本家滝沢一。

 

 大佛次郎は明治三十年(1897年)十月

九日に生まれた。

 昭和四十八年(1973年)四月三十日死去。

七十五歳。

 

 小説家・童話作家・舞台演出家・脚本家・

戯曲作家・翻訳家。

 

 別名義

 由比 浜人 阪下 五郎 安里 礼次郎

 流山 龍太郎 八木 春泥 白馬亭 去来

 須田 紋太郎 浪子 燕青 元野 黙阿弥
 瓢亭 白馬 清本 北洲 田村 宏

 三並 喜太郎 吉岡 大策 赤松 繁俊

 高橋 益吉 浄明寺 三郎 赤城 和夫

 

 

 東京帝国大学在学中の大正十年(1921年)

二月に女優吾妻光(本名原田酉子)と結婚す

る。

 時代小説の大御所であり、新歌舞伎脚本も

多数執筆し舞台上演の歴史において自作の演出

も為している。 

 

 

 伊藤大輔は明治三十一年(1898年)十月十三

日愛媛県に誕生した。

 昭和五十六年(1981年)七月十九日、京都

市内の西陣病院において八十二歳で死去した。

 演劇志望青年であった大輔は無声映画時代に

脚本家としてデビューし数多くのサイレント映

画のシナリオを書き、後に監督となった。

 

 次郎と大輔は一年四日違いの生年月日である。

 

 

 『鞍馬天狗』(『鞍馬天狗 黄金地獄』)

 

おぼろ駕籠

 『おぼろ駕籠』

 

『反逆児』

 

 この三本は原作大佛次郎、監督伊藤大輔の

活動大写真として現存している。

 

 大佛次郎原作戯曲『築山殿始末』を映像化

するに当たって、東映の要請を受けた大輔は

主人公を徳川家康から徳川信康に改変するこ

との許可を大佛から得た。初めは『血の柱』の

題で映像化が勧められた。

 シナリオハンティングでは信康所縁の地を

「原作者大佛次郎先生」と「主演中村錦之助

氏」の二人と共に尋ねた喜びを大輔は記して

いる。完成版映画は『反逆児』と名付けられ

た。

 前述の三本以外にも沢山の原作大佛次郎、

監督伊藤大輔の映画が製作公開されたが、現

存しているものは少ない。

 原作大佛次郎、演出伊藤大輔、主演中村錦之

助のチームにより舞台版『反逆児』も上演され

た。

 はんぎゃくじ

1971 10 伊藤

 滝沢一(たきざわ・おさむ)は大正三年

(1911年)十一月十日に誕生した。映画評論

家・ジャーナリスト・脚本家として活躍した。

 平成五年(1993年)七月十一日、七十八歳

で死去した。

 

 この放送で大佛次郎が「映画は伊藤大輔

によって市民権を得た」と発言したと滝沢

一は『伊藤大輔シナリオ集』の解説において

記している。

 

 伊藤大輔研究の巨星であった滝沢一は

加藤泰編集『時代劇映画の詩と真実』を

激励し、前記『伊藤大輔シナリオ集』に

おいても活躍した。

 

 『映画の青春』では伊藤大輔インタビ

ューを為している。

 

 

 岩波書店刊『講座 日本映画』全八巻は

日本映画の歴史を教えてくれる研究書であ

る。

 日本映画史研究書の白眉であり、日本活

動大写真誕生・無声映画時代から発刊当時の

現代である昭和六十年代迄の歴史を学べる。

 

 今村昌平・佐藤忠男・新藤兼人・鶴見俊輔

・山田洋次と映画界の巨匠・重鎮が編集委員

を勤めている。

 

 第二巻『無声映画の完成』(昭和六十一年

一月十日発行)には伊藤大輔の無声時代劇映

画についての論考が掲載されている。

 

 滝沢一稿『時代劇とは何か 『忠次旅日記』

を中心として』は、伊藤大輔監督作品『忠次

旅日記』について探求した論文の中でも特に

貴重な記録である。

 

 『時代劇とは何か』は伊藤大輔・大河内

傳次郎のサイレント活動期をリアルタイム

で鑑賞した滝沢一が青春を確かめた記録で

もあり、映画史の貴重な証言でもあった。

 

 伊藤映画研究所において、大輔が独立

プロダクション活動で苦労した事が確か

められ、困窮の生活は劇作における忠次

の苦悩に反映したことを想像している。

 

 水道代・ガス代・電気代が払えず止め

られ、山に入って木の実を拾って食べてい

たという。

 

 

 滝沢一が書いた『時代劇とは何か 『忠

次旅日記』を中心として』発表当時の昭

和六十一年において、『忠次旅日記』三部

作のフィルムは『甲州殺陣篇』の約一分

のフィルムしか残っていなかった。

 

 『ちゃんばらグラフティー 斬る』に

『忠治旅日記』の『甲州殺陣篇』におけ

る大河内傳次郎のアクション場面しか残

っていないと判断されていた筈である。

 

 

 

 『甲州殺陣篇』は山中で忠次が役人に

追われる所から始まるという。

 

 助けてくれた三吉とその姉の家で彼ら

の持山であった水晶山が八幡屋に奪われ

た事を聞き、忠次が八幡屋を糾弾する。

 

 『信州血笑篇』では仲間の遺児勘太郎

を友人の壁安左衛門に託そうとした忠次

は、乾分衆が安左衛門の宅に強盗に入っ

たことを知り愕然とする。

 

 安左衛門の恩情は、勘太郎を預かって

もらうことは承諾してくれた。

 

 『御用篇』では越後長岡の造り酒屋沢

井屋に番頭として忠次は住み込むが、主

人喜兵衛の娘お粂に愛される。正体がや

くざである忠次はお嬢様の想いに答えら

れない。お粂は嫉妬から忠次の刀を持っ

て逃げて父喜兵衛に斬られる。

 忠次は国定村を目指し、中風の苦しみ

を堪えながら村に辿り着き愛妾お品に匿

われるが、後に捕手に囲まれ縛に付く。

 

 

 

 関東大震災、普通選挙法施行、治安維

持法公布、金融恐慌、ジュネーブ軍縮会

議、三・一五、四・一五の共産党弾圧、張

作霖爆殺事件、山本宣治暗殺事件、満州

事変、上海事変、満州国建設宣言、五・一

五事件。

 

 滝沢一は本作が公開された時代の前後

の歴史的大事件を確かめる。

 

   伊藤大輔は、この激動の時代を映画

   と共に身をもって生きた。そこに彼

   の感性が捕らえた映像のリズムが、

   劇中人物の肉体リズムとなって生動

   した。(131頁)

 

 大日本帝国は亜細亜侵略の戦争に向かっ

て暴走する。その危機の時期に伊藤大輔

は映像の動きを鋭く捉え、フィルムに人

間忠次の苦悩煩悶を熱く探求し、大河内

傳次郎は熱演で大輔演出に応えた。

 

 無声映画『忠次旅日記』は凄まじい熱

気で観客の胸に迫ってくる。

 

  平成三年(1991年)『忠治旅日記』

の『信州血笑篇』『御用篇』の111分版

が広島で発見され、佐伯知紀の尽力によ

って復元された。

 

 平成十五年(2003年)十月三十一日

京都文化博物館において、『忠次旅日記』

111分版を自分は鑑賞した。平成二十四年

(二〇一二年)十月七日京都文化博物館

で二度目の鑑賞、令和四年(2022年)十

月二十八日十六時シネ・ヌ―ヴォG‐9席で

三度目の鑑賞、令和五年(2023年)二月

十九日広島市映像文化ライブラリーで四度

目の鑑賞を為した。

 

 滝沢一の『時代劇とは何か 『忠次旅日

記』を中心として』の精確な記録を想起

し、滝沢の熱意に改めて驚嘆した。

 

 『忠次旅日記』111分版のブルーレイ

が発売されている現在においては理解して

頂くのは難しいかもしれないが、1986年

当時幻のフィルムであった事を申し上げ

たい。滝沢一論文は少年読者のわたくし

めをときめかせた。

 

 次郎・大輔・一出演の『この人この道』

の音源だけでも残っているならば公開して

欲しい。

 

 令和六年七月京都文化博物館において『雪

之丞変化』(昭和十年 脚本伊藤大輔)、

『祇園祭』(昭和四十三年 企画伊藤大輔)

が上映される。

200707021127

雪之丞変化 昭和十年 伊藤大輔脚本 衣笠貞之助監督 作品

祇園祭 山内鉄也監督

『雪之丞変化』

 7月9日(火)  13:30 18:30

7月12日(金) 13:30 18:30 

 

 『祇園祭』

 

7月16日(火)

 13:30〜17:00〜

7月17日(水)

 13:30〜17:00〜

7月24日(水)

 13:30〜17:00〜

 

 お知らせを書いた身だが、私自身七月の文

博二作品鑑賞のスケジュールは厳しい。申し訳

ない。

 

 ブログでは七月大輔讃嘆を熱く語りたいと

考えている。

 

             文中一部敬称略

 

 

                  合掌