あるじ | 俺の命はウルトラ・アイ

あるじ

『あるじ』

Du skal  ære din Hustru

映画 無声 107分 白黒

1925年10月5日 デンマーク封切

大正十五年(1926年)十二月三日 日本封切

製作国 デンマーク

製作言語 デンマーク語

製作会社 パレージウム社


脚本 カール・テオドア・ドライヤー

   スヴェン・リンドム
原作 スヴェン・リンドム『暴君の失墜』

美術 カール・テオドア・ドライヤー


出演 

ヨハンネス・マイヤー(ヴィクトル・フランサン)

アストリズ・ホルム(イダ)

カーリン・ネレモーセ(カーン)

マチルデ・ニールセン(マッス)

クララ・シェンフェルズ(イダの母)

 

監督 カール・テオドア・ドライヤー

 

 

鑑賞日時場所

令和六年(2024年)五月十八日

Cinema KOBE Cinema2

 ヴィクトル・フランサンと妻イダには娘カ

ーンと息子と乳幼児の三人の子供がいる。

 夫ヴィクトルは妻イダを冷厳に様々な事柄

で注意し叱責している。娘カーンと息子は父

の母への厳しすぎる要求に心を痛めている。

仕事を探して奔走しているとはいえ、夫ヴィ

クトルの厳しい叱責は家庭で家事に頑張る妻

イダを苦しめた。

 

 

 アパートの家出はストーブでお湯を沸か

している。カーンは弟のお風呂を作ってあ

げる娘だ。

 

 イダは夫ヴィクトルの冷厳な虐めに耐えら

れなくなり、体調を崩し実家の母の元に一時帰

宅し寝込む。

 

 ヴィクトルの乳母であった老婆マッスが家政

婦としてフランサン家のアパートにやってきた。

 

 炊事・洗濯・清掃・赤ん坊の世話と言う

イダが為してきた課題の全てをやるように

マッスはヴィクトルに命じた。妻には暴君

だったヨハンネスだが、幼い頃の自身を知

っているマッスには逆らえない。

 

 娘カーンと息子は父の前では明言しない

もののママに会いたい。

 

 マッスに厳しく叱られ家事に取り組むう

ちにヴィクトルはイダが家事に頑張り、自身

や子供達を支えてくれたかを学ぶ。

 

 「おしめを変えてあげなさい」とマッスは

赤ん坊の世話をヴィクトルに命じる。泣く赤

ん坊をあやしながら妻イダの見事な教育を夫

ヴィクトルは思い出す。

 

 母の実家で療養するイダは医師から安静に

するように諭される。

 

 ヴィクトルがイダのもとに謝罪に来た。

 

 ◎イダの母性 学ぶヴィクトル◎

 

 カール・テオドア・ドライヤー Carl Theodor

Dreyer は1889年2月3日デンマークコペンハーゲン

に誕生した。

 

 スウェーデン在住のデンマーク人であった父は

地主であった。スウェ―デン人の母ヨセフィーナ・

ニルソンは父の家の女中であった。私生児として

生まれたカールは植字工ドライヤー家の養子とな

った。

 

 母ヨセフィーナは別の男性の子供を身籠ったが

結婚を拒絶され、硫黄を接種して中絶する道を選

んで、硫黄の過剰摂取で亡くなったという。

 

 

 ジャーナリスト・演劇評論家・気球飛行研究者

として活動したカールは、映画会社ノーディスク・

フィルムに勤務し映画技術を学ぶ。

 

 1918年監督第一作『裁判長』製作に取り組み、

1919年に完成させた。

 1925年、37歳で監督作品『あるじ』を発表し

た。

 ドライヤーはアパートを借りてヴィクトル・イ

ダ夫妻のドラマを撮ろうとしたが、照明機材等の

関係で無理だった。パレージウム社のスタジオに

アパートと同じ建物を建てガスや水道も通じるよ

うにして撮影を行ったという。

 

 写真を見ると本物のアパートに見える。ドラ

イヤーの完璧主義に驚嘆する。

 

 1968年3月20日カール・テオドア・ドライヤー

はコペンハーゲンの病院において79歳で死去した。

 

 『ミカエル』の老画家の悲しみ、『裁かるゝジ

ャンヌ』のジャンヌの捨身の信仰、『怒りの日』の

アンヌの激情。

 

 甚深で重厚な物語というイメージをドライヤー

フィルムに学んだ。

 

 ところが『あるじ』はホームドラマ・ホームコメ

ディである、暴君として威張り散らし妻を虐めて嫌

味をネチネチ語っていた夫が去られて初めて彼女の

大切さを痛感する。

 

 スヴェン・リンドムの原作戯曲『暴君の失墜』は

『汝妻を敬うべし』に改題されたという。改題のこ

ころがドライヤーフィルム版に確かめられているこ

とは充分に窺える。

 

 ヨハンネス・マイヤーが暴君ヴィクトルの傲慢と

改心後の反省を深い芸で探求する。

 

 アストリズム・ホルムがイダの悲しみと暖かさを

繊細に魅せてくれる。

 

 カーリン・ネレモーセは1905年8月3日コペンハ

ーゲンに誕生した。人生の大先輩に対して失礼な言

い方だが、カーン(カレン)役は可愛さが咲いてい

る。

 誕生日プレゼントのおもちゃの移動のシーンは

ドライヤーの家庭劇演出の巧さが光るが、カーリン

の美貌も輝いていた。

 1993年8月5日、カーリン・ネレモーセは88歳

誕生日2日後に亡くなった。

 

 マチルダ・ニールセンが乳母マッスで重厚な存

在感を見せた。

 

 プロフェッショナルの映画スタッフに対して「職

人芸」という言い方は賛辞になっているんだろうか?

 

 批評用語や感想言葉で疑問を感じる事が多いの

だ。

 

 プロは巧くて当然ということが求められる。

 

 

 その観点から言うと、ドライヤーは巧さの中の

巧さを顕示している。家庭愛ドラマの名人だ。

 

 過去記事に『ミカエル』においてチャールズ・

チャップリン人形が映るシーンからドライヤーが

チャーリーを意識していたことを書いた。

 

 『あるじ』の家庭愛は『キッド』を想起させて

くれるものがある。

 

 後の日本の山田洋次映画にも通じる家庭劇の

暖かさを感じた。

 

  情が溢れる写真だが、カール監督にとっては

「イダを敬うべし」というヴィクトルの目覚め

は、ヨセフィーナ母上への想いを投影したもの

だったのであろうか?

 

 男は女の優しさの支えが無ければ何もできな

い。この事を微笑みのドラマで伝えている。

 

 

 カール・テオドア・ドライヤーフィルムで知

らなかった姿が学べた。

 

 ヴィクトルがイダに詫びて改めて愛を感じる

クライマックスに胸が熱くなった。

 

 

 ラストのハート型の時計の振り子のショットに

息を呑んだ。

 

 ◎

 

 

 『奇跡』のヒロインインガを演じたビルギッテ・

フェーダー・シューピールは、32年後の1987年

に『バベットの晩餐会』においてマーチーネ(後

半期)を演じる。

バベットの晩餐会

 

 ガブリエル・アクセル監督がカール・テオドア・

ドライヤーを敬っていたことは確かと思われる。

 

                   合掌