オセロ フレデリック・ルメートル ピエール・ブラッスール  La vie belle | 俺の命はウルトラ・アイ

オセロ フレデリック・ルメートル ピエール・ブラッスール  La vie belle

 

 映画『天井棧敷の人々』Les enfants du Paradis

において劇中劇でウィリアム・シェイクスピア

の戯曲『オセロ』Othelloが上演される。

 

 オセロ役を俳優フレデリック・ルメートルが

勤める。

 

 ピエール・ブラッスールがフレデリック・ル

メートル役を勤め劇中劇『オセロ』においてオ

セロを生きる。

 

 

 

 『天井棧敷の人々』

 (てんじょうさじきのひとびと)

 

 Les enfants du Paradis
 (レザンファン デュ パラディ)
 

 

 Le Boulevard du Crime

 (ル ブルヴァール デュ クリム)

 「第一部   犯罪大通り」

 

 L'Homme Blanc

 

 (ロンム ブラン)

 「第二部   白い男」

 

 映画 195分 トーキー 白黒

 

 

 フランス公開    1945年3月9日

 

 日本公開      昭和二十七年(1952年)二月二十日

 

 製作国       フランス

 製作         フレッド・ブラン

 脚本         ジャック・プレヴェール

 音楽         モーリス・ティリエ

             ジョゼフ・コズマ

 撮影         ロジェ・ユペール

 美術         アレクサンドル・トローネル

 

 出演  

 

       

 アルレッティ(ギャランスことクレール 無言劇の女神)

 

 ジャン=ルイ・バロー(バチスト・ドビュロー 無言劇のピエロ)

 

 ピエール・ブラッスール(フレデリック・ルメートル

                無言劇のアルルカン

                劇中劇『アドレの宿屋』のロベール・マルケール

                劇中劇『オセロー』のオセロー)

 

 ピエール・ルノワール(古着屋ジェリコ)

 

 マリア・カザレス(ナタリー)

 

 

 ファビアン・ロリス(アヴリル)

 エチエンヌ・ドゥグルー(アンセルム・ドゥビュロー)

 リヴェール・カデ(ブルジョアの中年男)

 ジャーヌ・マルカン(マダム・エルミーヌ)

 ジャン=ピエール・デルモン(バチスト坊や)

 ジャン・ラニエ(劇中劇『オセロー』のイアーゴー)

 アルベール・レミー(スカルピア・バリニ)

 マルセル・メルロー(巡査)

 ポール・フランクール(警視)

 ガストン・モドー(絹糸)

 

 ルイ・サルー(エドゥアルド・モントレー伯爵)

 

 マルセル・エラン(ピエール・フランソワ・ラスネール)

 

 監督 マルセル・カルネ
 

 ☆鑑賞日時・場所

 昭和五十九年(1984年)四月二十日・二十二日

 祇園会館後のよしもと祇園花月

 

 平成十三年(2001年)四月二十八日

 シアター1200(京都劇場)後の京都劇場

 

 平成二十二年(2010年)七月十九日

 TOHOシネマズ二条

 

 令和二年(2020年)十一月八日

 京都シネマ 4K修復版2K上映

 ☆

 

 

 昭和五十九年(1984年)四月二十日。

祇園会館においてマルセル・カルネ監督

『天井棧敷の人々』を鑑賞した。

 

 上映時間195分に全身全心が緊張し胸の

底から熱いものを感じた。絶対の美に感嘆

し感動を覚え心身全体で感激した。

 

 

 演出・脚本・音楽・撮影・衣装・美術・

演技の全てが美しい。

 

  感激は心身全体に溢れて二日後の四月

二十二日に再び祗園会館に行き、新たな感

動を覚えた。

 

 映画芸術は人間に生命への覚醒を呼び

起こす。

 

 天井桟敷の人々  Les enfants du Paradis 鑑賞三十一年

 

 

 犯罪大通りにおいて芸人美女ギャランスとパント

マイム俳優バチストとシェイクスピア劇を志す役者

フレデリック・ルメートルは三角関係にあった。

 ギャランスは強盗嫌疑から自身を助けたモントレー

伯爵と結婚する。

 

 フレデリック・ルメートルは主演作品『アドレの

宿屋』の稽古で眼帯をして、三人の作者と対立する。

 激怒した作者三人は激怒しフレデリックに決闘を申

し込む。

 

 フレデリックが楽屋に戻ると一人の男が簪に触れ

ていた。昔の恋人ギャランスの髪からそっと抜き取

った簪であった。

 

   「触るな。私にとって思い出の品なんだ」

 

 怒られた男は「俺にとっても思い出の品ならどう

なる?」と問い返す。

  フレデリックが名を問うと、男は「名もなき

輩さ。用件に入ろう。俺は金がいる」と借金を申

し込む。

 決闘を控えているフレデリックは富くじで当た

った金を渡し、役者という職業は毎晩同じ時刻に

観客の心をときめかす事を確かめ、このことが冥

利に尽きると強調する。

 男の名前はピエール・フランソワ・ラスネール

で借金を拒否されたら、抜いた刃を鞘に納めるつ

もりはなかったと述べ、潜ませた子分アヴリルを

紹介する。

 やくざのアヴリルは「フレデリックさんのファ

ンなので殺したくなかったんです」と安心感を語

り、ユーモアを喜ぶフレデリックは三人の食事を

提案する。

 

   ラスネール「決闘って相手は誰だ?」

 

   フレデリック「馬鹿な相手さ」

 

   ラスネール「馬鹿は殺すのが一番だ」

 

 酩って千鳥足で決闘場に来たフレデリックは、

作者達の銃弾を受けて右腕を負傷するものの、放

った弾丸で作者を絶命させる。

 一命を取り留めた彼はバチストの『古着屋』を

見に行く。完売でチケットが買えない。切符係が

お忍で見に来る貴婦人のお客様に頼んでお座りに

なっているボックス席の隅をお借りしましょうと

提案する。

 ベールを付けた伯爵夫人は快諾する。

 

    「ギャランス」

 

 フレデリックは貴婦人を見てその名を呼んだ。

 

   「フレデリック様!」

 

   「恋する二人にパリは狭しさ」

 

 フレデリック様という仰々しい言い方を問うと

ギャランスは伯爵家に嫁いだのでこういう会話に

なりますと答える。

 

   「デズデモーナよ。不実な女よ。ある日

    突然姿を消して再会したら、『フレデリ

    ック様』か!」

 

   「変わってないわね」

 

 舞台ではバチストのピエロが舞踏会会場に行き、

恋する伯爵夫人を探すが警官に捕まれ放り出され

る。父アンセルムが演じる古着屋から礼服を買お

うとするもピエロは金がなくて、古着屋に服を取

られる。怒ったピエロは古着屋を刺殺する。

 

 ギャランスはバチストが殺人の芝居で見せる凄

みに悲しみを覚える。フレデリックはバチストの

入魂の芸に圧倒される。

 

 

   「まだ彼の事を?」

 

   「旅立ってからあの人のことを思わない日は

    一日も無かったわ」

 

 フレデリックの胸に炎が燃える。

 

   「嫉妬だろうか?不愉快だ」

 

 ギャランスはすぐに治まるでしょうと語った。

 

   「そう簡単に治まるか。これぞ天の助けだ。

    この嫉妬こそ役に立つ。君らのおかげで

    遂にオセロを演じることが出来る!」

 

 今も恋している昔の恋人ギャランスはずっと

バチストを愛している。

 フレデリックは胸の中に沸々と起こり燃え上

がった感情がオセロ役を演じる根拠になると確

信する。

 

 ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『オセロ』

は中年の黒人将軍オセロが主人公である。若く

美しい白人の女性デズデモーナに艱難辛苦の昔

話を語った。デズデモーナはオセロの苦労多き

過去に感動する。オセロは彼女と愛を確かめ合

い結婚する。

 旗手イアーゴーは、美男副官キャシオーと奥

様が不倫を為しているのではと疑問を囁き、オ

セロは嫉妬を起こし妄想を抱き無実のデズデモ

ーナを絞殺する。

 

 フレデリックはオセロの嫉妬する感情を確かめ

 バチストにも礼を言いたいと考え、ギャランス

に伝言を聞き、「すぐに発ちますが挨拶に来てく

れたら嬉しい」というメッセージを聞く。

 

 

 バチストとフレデリックは再会を喜ぶ。

 

 ナタリーは今バチストの妻になり、二人には坊

やバチストがいる。

 

 フレデリックは今ギャランスは来ていて「挨拶

に来てくれたら嬉しい」と望んでいるとバチスト

に伝えた。

 

 『古着屋』の芝居中にバチストは演技が出来な

くなり楽屋に帰る。

 

 伯爵夫人役のナタリーは夫の心の異変に胸

を痛める。

 

 ギャランスが伯爵邸に戻るとピエール・フラン

ソワ・ラスネールが来ていた。ラスネールはギャ

ランスに「君が誰と暮らしているかは知っている」

と述べ「俺の天使は豪華な檻に飼われている」と

見る。

 

   「昔は良かったわ。幸福な日々。甘い生活。」

 

   「気をつけろよ。振り返ると過去は狂犬のよ

    うに噛みつくぞ」

 

 ギャランスの昔と変わらぬ優美さにラスネールの心

は乱れる。

 

   「せめて君が金に汚され身も心も腐り果て堕落

    していてくれたならば、俺は心乱さず社交界

    を憎むこともなかっただろう!」

 

 帰り際の階段でラスネールは帰宅したモントレー伯

爵とすれ違い対立する。

 

 バチストは相談相手の中年女性マダム・エルミーヌ

の下宿で彼女に悩みを打ち明ける。「恋なんて簡単よ」

と語ったギャランスに抱くこともなく部屋から去った自

分の決断が幼いものだったと恥じ入り苦悩する。

 エルミーヌは食事をとるようにと語り宥めて部屋から

出る。秘かに知らされていたナタリーが一階に来ていた。

 エルミーヌはバチストをそっとしておくことが大事ね

と語りナタリーも同意する。

 

 

 『オセロ』の舞台が開幕する。

 

 オセロ役のフレデリックは全身を黒く塗ってムーア人

の肌を見せ、妻を愛するあまり不貞の疑惑を真に受けて

しまい、旗手イアーゴーの役者に気持ちを語る。

 

  「俺は悔しいのだ」

 

 オセロの台詞を、ボックス席の伯爵夫妻の妻ギャラ

ンスを見つめながら熱く語る。

 伯爵は「シェイクスピア等くだらん」と冷笑する。

ボックス席に花束が届けられる。「デズデモーナよ、

ありがとう。オセロより」のメッセージを読み、伯爵

はオセロ役者の妻への想いを察し決闘の覚悟を決め

る。

 

 舞台ではフレデリックのオセローがデズデモーナ

役者の女優に「死の床だ」と絞殺を宣言する。

 デズデモーナ役者がせめて半時間待っての台詞を

語り、フレデリックのオセロが「もう遅い」と叫び

絞殺の場を熱演する。

 

 

 伯爵は「名優に挨拶したいのです」と楽屋に向か

い、ギャランスは「それなら貴方とお別れします」

と告げる。夫殺意をどう冷やそうと迷うギャラン

スは沢山の観客の中からバチストの姿を発見した。

二人はベランダに向かう。

 

 伯爵とフレデリックは対面する。シェイクスピア

を侮辱する言葉を伯爵は語り、演技に燃えているフ

レデリックを冷やかしからかう。

 

 

  

 

 ベランダではギャランスとバチストが抱きしめ合う。

 

 

 ピエール・フランソワラスネールは、カーテンを引く。

ギャランスとバチストのキスの光景はベランダの人々に

見られる。

 

 伯爵は愕然とする。フレデリックとの決闘を主張し

フレデリックも承諾する。

 

 ギャランスとバチストは一夜の時間を大切にして思い

出の場所グラン・ルレーで結ばれる。

 

 

 

 ☆三者の照応☆

 

 

 フレデリックはウィリアム・シェイクスピアの戯曲を

『オセロ』を熟読しオセロ役に命を賭ける。

 

 

 第一部で『オセロ』におけるオセロのデズデモーナ

への殺意の台詞をベッドで朗読するシーンがある。

 

 この後ギャランスと結ばれる。

 

  

 

 ピエール・ブラッスールのフレデリックが生きるオ

セロは熱い。

 

 「俺は口惜しいのだ」の台詞のブラッスールのアッ

プは鬼気迫るものがある。

 ウィリアム・シェイクスピアの戯曲の『オセロ』の

映像版では、短い場面ではあるものの、ピエール・ブ

ラッスールのオセロに決定版を見た。

 黒い肌のメイクで伯爵に喧嘩を売られ冷静に嫉妬を

解説するロビー会話のシーンも、フレデリックであっ

てオセロでもある。

 シェイクスピア劇は読み聞き見る人間の命を燃やす。

 

 フレデリック・ルメートルはバチストで恋の道で敗

れ嫉妬でオセロ役の核心を掴む。

 

 

 

 

 アルレッティは1898年5月15日に誕生した。1992

年7月24日に94歳で死去した。

 

 ジャン=ルイ・バローは1910年9月8日に誕生した。

1994年1月22日に83歳で死去した。

 

 ピエール・ブラッスールは1905年12月22日誕生

した。1972年8月14日に66歳で死去した。

 

 ピエール・ルノワールは1885年3月21日に誕生

した。1952年3月11日に66歳で死去した。

 

 マリア・カザレスは1922年11月21日に誕生し

た。74歳誕生日翌日の1996年11月22日に死去し

た。

 

 ルイ・サルーは1902年4月23日に誕生した。1

948年10月12日に46歳で死去した。

 

 マルセル・エランは1897年10月8日に誕生した。

1953年6月11日に55歳で死去した。

 

 

 マルセル・カルネ監督は1906年8月18日に誕生
した。1996年10月31日、90歳で死去した。
 
 
 ヴィシー政権のフランスにおいて製作された作
品である。ナチスドイツに占領されている時代に
おいてフランス映画芸術の底力を見せようという
スタッフの心意気を感じる。
 
 
 
 
 
 『天井棧敷の人々』において、ジャック・プレ
ヴェールが書いた台詞と脚本は完璧な美しさを魅
せている。
 
 アルレッテイ、ジャン=ルイ・バロー、ピエール・
ブラッスール、ピエール・ルノワール、マリア・カ
ザレス、ルイ・サルー、マルセル・エランは銀幕に
輝いている。
 
 マルセル・カルネが語り見せた演出は絶対の美を
示している。
 

 

 ピエール・ブラッスールのフレデリック・ルメー

トルはオセロ役の魂を私に教えてくれた。

 ☆

 ピエール・フランソワ・ラスネールが大詰で

アヴリルに語る台詞“La vie belle.“(人生は美

しいぞ)が観客の心に迫ってくる。

 

 

 ☆

 2020年10月31日発表記事・2021年9月5

日発表記事・2022年8月18日発表・2023年

4月20日発表記事を基にして加筆し、ウィリ

アム・シェイクスピアのテーマで投稿している。

 ☆

 

 

 ピエール・ブラッスールはフレデリック・ル

メートルを演じ、フレデリックは劇中劇でオセ

ロを演じた。

 

 オセロがフレデリック・ルメートルになり、

フレデリック・ルメートルと共にピエール・ブ

ラッスールになった。

 

 三者の呼応は嫉妬に身を燃えるオセロの生き

方をフィルムに焼き付けた。

 

 ◎

 『天井棧敷の人々』祇園会館鑑賞から今日で

四十年である。

 

 四十年の歩みを振り返ると遅々とした学びに

恥じ入る。

 感動・感激した者がいるからといって活動大

写真を「感動作」「感激作」と決めつける偏見

があったとしたら断固抗議する。

 

 マルセル・カルネやジャック・プレヴェール

に対しては勿論の事、活動大写真に対して無礼

である。甲という者が感動・感激したとしても、

乙という者にとっては激怒する愚作であったか

もしれない。丙という者は居眠りして寝てしま

ったかもしれない。讃えている者達の感じ方に

しても一人一人個々格別である。

 

 『天井棧敷の人々』は1946年ヴェネツィア

国際映画祭特別賞を受賞した。映画史上のベスト

作品として数々の顕彰を受けている。映画雑誌

の史上ベストとして選ばれている。

 

 そうした顕彰があったとしても、それらは他者

の評価である。

 

 わたくしの讃嘆は、わたくしが映画館でフィルム

を見聞し学んだことから語る讃嘆である。

 

 映画批評家・映画評論家・学者・研究者・記者・

作家・アーティスト等の讃嘆を否定している訳で

はない。

 

 しかし、映画賞やベストテン等は得票によって

決まっていることが多い。

 

 批評家・評論家・研究者が絶賛しているからと

いって自分が共鳴するかどうかは別問題だ。たま

たま批評家・評論家・研究者が讃えた作品を、わた

くしが讃えたとしても、讃嘆の言葉・文字はそれ

ぞれに別である。観客も批評家も評論家もそれぞ

れの縁で映画館に入ってフィルムを見聞し映画館

から退場し見聞した事を確かめる。

 

 讃嘆している言葉・文字は鑑賞者一人一人が

出会った縁によって語り書いている。

 

 映画賞や映画雑誌ベストワン等の顕彰があったと

しても一切迎合しない。

 

『天井棧敷の人々』が数々の映画賞を受け、映画雑

誌史上ベストワンに選ばれている。これこそ『天井

棧敷の人々』ファンの一人一人が注意すべき事柄で

ある。他者の意見を鵜呑みにしない。他者には他者

の出会いがある。他者の意見を全否定する訳でもな

い。

 

 自分自身が映画館で映写されたフィルムから何を

学ぶかである。

 

 そもそも『天井棧敷の人々』を最上最高の価値観

で祀り上げる事自体違うんじゃないの?「上部や高

位にあるものを讃え、下部や低位にあるものを否定

する」という上是下非・高是低非のランキング固執

から解放するものが『天井棧敷の人々』から学び

得たものではないのか?

 

 

 勿論藝術対娯楽の二元観念固執等吹き飛ばしてく

れる。

  何でもかんでも思い込みと先入観で「芸術か、娯

楽か」の二元化観念の内部に押し込めることはくだ

らない。

 

 自分の快楽を基準にした娯楽観念に固執し自己愛

に浸りきり、劣等感剥き出しにして芸術を誹謗する

愚は、発言者自身の軽薄さと不勉強を露呈している。

 

 「そう簡単に『芸術か』『娯楽か』のレッテルは

貼れんで」という事を、わたくしはマルセル・カル

ネ演出とジャック・プレヴェールシナリオから学ん

だ。

  

 「藝術」という単語を乱用することによって、分

かったことにする営みとも全く違う。

 

 インターネットにおいて、「宗教」「藝術」と

いった事柄を全く勉強しないまま、単語乱用によっ

て知ったかぶりを露呈するという醜態が蔓延って

いる。

 

 全く学んでいない者が「藝術」という単語を

憶測と錯覚で乱用して述べ書いても、それは「藝

術」を述べ書いていることにはならないのだ。学

んでいないことは語ってはいけない。書くこと等

論外どころか厳禁だ。

 

 舐める前に美術館へ行って古典美術を見たり、

コンサート会場でオーケストラを聴けばよいの

に。

 

 一枚の絵画や一体の彫刻が生まれるまでにどれ程

の熱意が燃えていることか。一曲の音を奏でる為に

ミュージシャン達がどれほど真剣に魂を込めて演奏

に挑んでいるか?芸術を愚弄する前に見に行き聴き

に行けば良い。

 

 「藝術とは?」「娯楽とは?」という問題は『広

辞苑』十冊分くらいの論文を書いても謎は尽きない

だろう。簡単に分かったことにはならない筈だ。

 

 「宗教」と言えば宗派や法人と錯覚している誤謬

を多く見る。

 釈尊が目覚めた仏教、イエス・キリストが学んだ

事柄に帰るという学びが肝要なのだ。

 

 劣等感の逆恨みによる芸術への中傷誹謗を多く

見るようになったが、それだけ日本在住地球人に

学力皆無の者が増加していることの露呈でもある。

 些細どころか一頁も文学作品を読まない者が「文

藝」と言う言葉を乱用していることは不遜である。

 

 

 読んでいない者は文学作品について発言したらい

けない。何故この原則が分からないのかね?

 

 家庭教育でも甘やかされまくったんだろうね。こう

いう者に限って自己愛の「好き」を乱発している。自分

の「好き」に恋している。自己愛を抑えられない。忍耐

力がない。自分の「好き」という自己愛に恋してる

ので他人もその筈だと錯覚する。「好き」という言

葉を他人が語らなければヒステリーを起こす。

 

 繊細な感性を持つ女性は本能的に「好き」を上手く

表現する術を持っている。男性は鈍感な生物だから

恋する人に対する告白意外では「好き」という心を

語るべきではない。

 

 「好き嫌い」露呈しか分からない男性は他の存在

が語る顕彰表現を見聞すれば逆上しうろたえる。読書し

ない人間の思考は分かりやすいわ。

 

 映画を映画館で鑑賞せず、映画テレビ放映のみ視

聴して、映画について語っていると、こうした悪癖

を繰り返す。

 映画館内客席映画鑑賞と映画テレビ放送視聴は

全く違う。前者は観客であり、後者は視聴者であ

る。テレビ放送された映画を視聴しても映画鑑賞

にはならない。

 演劇公演記録映像を見聞しても、演劇を鑑賞した

ことにはならない。演劇上演劇場客席で演劇を見聞

して初めて鑑賞の事実が成り立つ。

 

 いのうえひでのりは『港町純情オセロ』と題した

文字並べを上演した。ウィリアム・シェイクスピア

が書いた『オセロ』を「原作」にしているそうであ

る。

 「シェイクスピアは台詞に問題がある。翻案し

てあげることが親切」という暴言をいのうえひで

のりは喚いた。「問題がある」のは君だよ、いの

うえひでのりくん。自分の不勉強と皆無読書力を

基準にして観客も同レベルの学力と錯覚している。

 どれだけ売れている劇団か知らんが、私は今後一

切劇団新感線の公演は見聞しない。勿論『ゲキ☆

シネ』も一切見ないし聞かない。

 

 ウィリアム・シェイクスピアの戯曲を破壊改悪

したいのならば、公共の劇場を用いず、いのうえ

ひでのりの家でやればよい。

 いのうえひでのりのウィリアム・シェイクスピア

戯曲破壊の狂態の為に時間を割けない。

 

 ウィリアム・シェイクスピア戯曲を歪曲・破壊し

た狂態が演劇として認められたり、賞を受けたり勲

章を貰ったりしている。こうした醜態は日本自虐

そのものだ。

 「読み替え」と称する不勉強な者の錯覚は、シェ

イクスピア戯曲上演を名乗っているだけの贋物であ

る。

 

 日本の演劇関係者よ。

 

 ウィリアム・シェイクスピア劇破壊は止めなさい。

 

 詐欺は犯罪だぞ。諸君が戯曲を読めないのならば

勝手に歪曲した狂態を「原作ウィリアム・シェイク

スピア」として上演するな。歪曲・改竄しかできな

いのならば、上演しないことが筋だ。

 

 現代日本の自称演出家たちは、自分にウィリアム

・シェイクスピア戯曲を読む学力がないから、「観

客にはわからないだろう」と思い込み、歪曲改竄した

文字並べを現代最先端演劇と勘違いして上演する。

 

 フレデリック・ルメートルがオセロを演じる。この

劇中劇から『オセロ』を学ぶ智恵も現代日本の自称演
出家たちにはない。百点満点のテストで白紙答案提出

すらできず、用紙を破く連中である。戯曲の内容が全

く分からなければ堂々と白紙で出せば良いんだよ。

 白紙提出とは「上演しない」ということだよ。学力

皆無の存在は、越権行為をしてはいけない。

 

 ピエール・ブラッスールが勤めるフレデリック・ル

メートルがフィルムの中においてオセロの嫉妬を生き

る。

 劇中劇は短い時間でもあっても戯曲『オセロー』の

生命を燃やしている。

 

 『天井棧敷の人々』は確かに藝術なのかもしれな

い。しかし、「藝術」をも超えて生命を生きている

事実を忘れてはいけない。

 

 現代日本の言語乱用やウィリアム・シェイクスピ

ア戯曲破壊の惨状を指摘した。

 

 だが、わたくしが何よりも嘆いているのは、『天

井棧敷の人々』に出会いながらも、出会った美を文

字にも言葉にも表せない自身の貧しき学力である。

 

 無限の生命を生きている『天井棧敷の人々』は、

有限の生命を生きるわたくしに、今日も甘美な感

覚を呼び起こしてくれている。

 

 

 

 鑑賞四十年。時が経つのは早い。

 

 1984年4月20日祇園会館。

 

 16年生きてきてようやく命を生きている事への

感謝をこの日学んだのかもしれない。暴力や流血

をも包んで無限の甘美さをフィルムに映し出して

いる。

 

 

 

 フィルムの甘美に出会ったわたくしの心が甘美

である筈がない。自己の汚さと鈍感さを痛感して

いる。

 

 ヴィシー政権のフランスにおいて、芸術愛に

生きる人間の命の輝きをマルセル・カルネは映し

出している。

 アドルフ・ヒトラーの暴政・圧迫に押さえつ

けられても屈しない抵抗精神はフィルムに燃えて

いる。

  

 甘美生命の活動大写真である。来年2025年3

月9日はフランス公開80年である。全世界でリバ

イバル上映をして欲しい。

 

 永遠の命を生きる映画『天井棧敷の人々』の甘

美さから学んだ事柄を言葉・文字にすることに自

己の生涯を捧げたい。

 

 あとどれだけ自分の命があるのか分からない。

 

 五十六歳になるとこういう事柄も頭によぎって

くる。

 

 老齢になれるかどうかもわからないが、初老の

現在においては、晩年と呼ぶべき時期になったら

“La vie belle.“と確かめられる心境になりたいもの

と秘かに望んでいる。

 

                      合掌