こんにちは、母さん
山田洋次は昭和六年(1931年)九月十三日
大阪府に生まれた。
父親の仕事により、二歳で満洲に渡り昭和二
十二年(1947年)に大連から引き揚げてきた。
東京大学法学部を経て、松竹に入社して、野村
芳太郎監督に師事し、野村作品の脚本家・助監
督を経て監督となった。
昭和三十六年(1961年)十二月十五日、第
一回監督作品『二階の他人』が公開された。
以後日本・亜細亜・世界の映画を引っ張る
存在として活躍している。
令和五年(2023年)九月一に、九十一歳に
して監督九十本目のとなる『こんにちは、母
さん』を発表した。
吉永小百合は昭和二十年(1945年)三月十
三日に東京都に誕生した。出生名も吉永小百合
で結婚後岡田小百合となった。
昭和三十二年(1957年)にラジオドラマ『赤
胴鈴之助』に出演し、三十四年(1959年)に松
竹映画『朝を呼ぶ口笛』で銀幕デビューを果た
した。
同年四月八日公開に日活映画『キューポラの
ある街』(浦山桐郎監督)でヒロイン石黒ジュ
ンを熱演する。
以後日活映画のスタアとして活躍し日本映画・
日本テレビドラマを牽引する存在となる。
日本国憲法第九条戦争放棄守護・脱原発に尽
力している。
『男はつらいよ 柴又慕情』『男はつら
いよ寅次郎恋やつれ』で高見歌子後に鈴木
歌子を演じた。
山田洋次の構想では歌子篇第三作もあったよ
うである。伊豆を尋ねた寅次郎が歌子と再会す
るという設定であったという。手話通訳の仕事
をする歌子から寅次郎は手話を習う。寅次郎は
手話で歌子に気持ちを伝える。
吉永小百合は同じ役を長く演じることにマン
ネリ化を恐れ断った。
平成八年(1996年)八月四日渥美清が亡く
なった。
吉永小百合は歌子篇第三作を断った事を後
悔し「出るべきでした」と語った。
山田洋次監督作品では、平成二十年(2008
年)『母べえ』の野上佳代、二十二年(2010
年)『おとうと』の高野吟子、二十七年(20
15年)『母と暮らせば』の福原伸子を勤めた。
三作品はいずれも主演である。
『母と暮らせば』に落胆したことは上記リンク
先記事において述べた。オリジナルの『父と暮らせ
ば』から性別逆転版に脚色した訳だが、原爆で死んだ
父と生きる娘の交流を、原爆で死んだ息子が死の世界
に母を迎えに来るのは明らかにおかしい。
亡き父が娘の幸を祈る事がオリジナル版の主題で
ある。性別逆転版ならば亡き息子が生きる母の長寿を
願うべきではないか?
ついつい熱くなってしまうが、それだけ『母と暮ら
せば』に期待は大きかったのだ。
『母べえ』『おとうと』は悲しくて暖かい名作であ
った。
『母べえ』『母と暮らせば』に続く「母三部作」
として『こんにちは、母さん』は製作された。
吉永小百合・山田洋次チーム第六作である。
銀幕の美女役に徹してきた吉永小百合は老け役を
しない。
七十代半ばになっても若く美しい女性を勤める。
これが認められる大スタアであった。
男優スタアならば、市川右太衛門・長谷川一夫・
髙倉健も又若く逞しい男を主演で勤めることが許
されていたと言っていいだろう。
映画大スタアに許可されている特権であったの
かもしれない。
ところが、本作において美女大スタア吉永小百合
が遂にお婆ちゃんを勤めた。福江は孫がいる訳だが、
メイクや髪も若さを保つものではなくて渋い婆様の
姿を見せる。
これが素晴らしい。もうちょっと早く吉永小百合の
おばあちゃまを見たかったという思いもこみあげて
くるのだが。
七十八歳にして遂にお婆ちゃん役を演じたことに
感嘆した。
若く美しい女性の役は舞の永野芽郁に委ねられて
いる。
息子昭夫を包み取る母性愛、孫舞の話を聞き愛お
しむ祖母愛を吉永小百合が繊細かつ重厚に示してく
れる。
炊き出しのボランティアでホームレスの人々に寄り
添う福江の優しさを鮮やかに表現した。
寺尾聰は昭和二十二年(1947年)五月十八日、神
奈川県に誕生した。父は俳優宇野重吉こと寺尾信夫で
ある。歌手・俳優として活躍している。山田洋次監督
作品では『同胞』の斉藤高志、『男はつらいよ 寅次
郎夕焼け小焼け』の観光職員ワキタ、『男はつらいよ
寅次郎と殿様』の巡査、『男はつらいよ 寅次郎の
休日』の一男を演じた。
七十五歳で真面目な牧師萩生直文を繊細な芸で探求
した。
大泉洋は昭夫の優しさをしみじみと伝えてくれた。
木部を守る為に粉骨砕身する昭夫に、「こんな上司
や同期が居てくれたらなあ」と痛感する観客は多いの
ではないか?
宮藤官九郎も自分の業績や働き方が認めてもらえず
逆切れしてしまう木部を熱く演じる。
永野芽郁は前述の通り、ビジュアル担当である。
それも本作では吉永小百合からバトンを渡された。
美しさと可愛さは輝いている。
YOU・枝元萌・北山雅康が下町の情感を伝えてく
れる。
他の方も指摘されているように東京大空襲で生き
残った老人イノさんをホームレスにしてしまう日本
社会の冷厳さに山田洋次の悲しみがあるのだろう。
田中泯の凄みに圧倒される。
尾羽打ち枯らす暮らしとなっても「女が居ないの
が問題」と堂々と女好きを公言するイノさんはカッ
コいい。
『学校』における田中邦衛の善良なイノさんを表
とするならば、田中泯のいかつく逞しいイノさんは
裏なのかもしれない。
偶然にも『PERFECT DAYS』においても東京を歩き
回るホームレスを田中泯は勤めることとなる。
山田洋次とヴィム・ヴェンダース。小津安二郎を
崇拝する二人が同じ年に東京のホームレスを表現す
る人として田中泯にオファーした。
寺尾聡の萩生直文先生が渋い。キリスト教の信仰に
生きる萩生も福江を秘かに愛している。
二人の切ない物語に胸が熱くなった。
『母と暮らせば』『キネマの神様』は大詰に主人公
の死が語られ、のめりこめなかった。
人情喜劇に徹して全ての登場人物が生きている本作
に拍手を送りたい。
『男はつらいよ 柴又慕情』『男はつらいよ 寅次
郎恋やつれ』『母べえ』『おとうと』の歴史を受けて
本作は生まれた。
吉永小百合・山田洋次チームの家族物語集大成となる
傑作である。
新たな一歩を山田洋次は踏み出した。
多摩川の描写は『下町の太陽』とも照応しているの
ではないか?
山田洋次がラストで描いた花火に心が熱くなった。
吉永小百合の福江おばあちゃまは美しい。
合掌