その前夜 | 俺の命はウルトラ・アイ

その前夜

『その前夜』

その前夜 三

映画 トーキー 86分 白黒

昭和十四年(1939年)十月二十一日封切

製作国 大日本帝国

製作言語 日本語

製作会社 東宝映画京都撮影所

 

製作 武山政信

原作 山中貞雄

脚本 梶原金八

 

美術考証 岩田専太郎

撮影 河原喜久三

録音 道原勇二

装置 河東安英

照明 西川鶴蔵

編集 後藤敏男

音楽 太田忠

演奏 P.C.L管弦楽団

 

出演

 

河原崎長十郎(瀧川仙太郎)

中村翫右衛門(彦太郎)

 

千葉早智子(藤堂芳江)

清川玉枝(おまさ)

 

助高屋助蔵(彦兵衛)

中村鶴蔵(徳兵衛)

橘小三郎(安田東馬)

山崎進蔵(疋田弥一郎)

市川莚司(茂木庄平)

 

市川扇升(松永恭平)

市川進三郎(藤田伍八)

市川笑太郎(幸兵衛)

瀬川菊之丞(山崎烝)

坂東調右衛門(宮部鼎三)

 

嵐芳三郎(枡屋喜右衛門)

山崎島二郎(赤城九市)

市川章次(原田左之助)

坂東みのる(吉田捻麿)

中村公三郎(福山大二郎)

中村進五郎(川喜多三平)

市川岩五郎(隊士)

市川菊之助(隊士)

澤村千代太郎(隊士)

中村楽三郎(隊士中島)

澤村比呂志(番頭)

嵐敏夫(板場)

瀬川洋太郎(子供)

 

高峰秀子(おつう)

山田五十鈴(おさき)

 

監督 萩原遼

 

梶原金八=八尋不二 三村伸太郎

     藤井滋司 滝沢英輔

     稲垣浩  山中貞雄

     鈴木桃作 萩原遼

 

河原崎虎之助=四代目河原崎長十郎

 

三井金次郎=三代目中村梅之助

     →三代目中村翫右衛門

 

山崎進蔵=河野秋武

 

市川延司→加東大介

鑑賞日時場所

平成十四年(2002年)九月二十日

京都文化博物館 映像ホール

 

 幕末の京都三条木屋町。大原屋主人は

京の人々から「まだ働けんのに」と陰口

を叩かれる程商売をさぼっていた。

 

 過去に栄えた大原屋だが、最近では池田

屋に押されている。

 大原屋の息子彦太郎は友友禅の職人で、

家の稼業よりも染物への夢を熱くし新選組

との交流に努めている。

 

  大原屋の上の娘お咲は祇園の置屋に芸者

として奉公し、下の娘おつうは新選組隊士の

松永恭平と想い合っている。

 

 

 大原屋にただ一人逗留している武士瀧川

仙太郎は武士に嫌気がさして絵画に熱中し

ている。

 

 仙太郎は京の街で殴られている長州藩士

を助けた。

 

 女性藤堂芳江が瀧川を訪ねてきた。芳江

の夫は尊皇攘夷の志士で新選組に追われて

いる。

 お咲は瀧川に気があり、芳江に嫉妬して

しまうが、瀧川と藤堂が会った際には、機転

を利かして男達を助ける。

 

 彦太郎は新選組が勤皇の志士達を急襲殺害

する計画を立てていることを瀧川に語る。

 

 瀧川は藤堂を案じる。

 

 元治元年六月五日(1864年7月8日)新選組

は池田屋を襲撃する。

 

 おつうの最愛の人松永は斬り死にする。

 

 事件後瀧川は江戸に行く。

 

 お咲は別れを甘受する。

 

 彦太郎は染物商売に精進する。

 

 ◎幕末 京の人々の日常◎

 

 萩原遼(はぎわら・りょう)は明治四十四

年(1909年)九月三日大阪府に誕生した。本

名は萩原陣蔵である。脚本家として鳴滝組梶

原金八の一人として参加し、監督としても活

躍した。

 昭和五十一年(1976年)四月三日、六十五

歳で死去した。

 

 

 山中貞雄(やまなか・さだお)は映画監督・

脚本家である。

 明治四十二年(1909年)十一月八日京都府

に生まれた。

 昭和十三年(1938年)九月十七日中華民国

河南省開封市において死去した。数え年二十九歳、

満年齢二十八歳であった。

 

 

 四代目河原崎長十郎(よだいめ・かわらざき・

ちょうじゅうろう)の本名は河原崎虎之助であ

る。

 明治三十五年(1902年)十二月十三日に生

まれた。

 昭和五十六年(1981年)九月二十二日に死

去した。七十八歳。

 

 昭和六年(1931年)仲間達と前進座を結成す

る。映画でも大活躍し山中写真で名演を発表する。

日本共産党に入党するが、昭和四十三年(1968年)

前進座を除名される。

 妻は女優山岸しづ江である。息子に河原崎長

一郎・河原崎次郎・河原崎建三がいる。

 

 

 三代目中村翫右衛門(さんだいめ・なかむら・か

んえもん)の本名は三井金次郎である。

 明治三十四年(1901年)二月二日に生まれた。

 昭和五十七(1982年)九月二十一日に死去した。

八十一歳。

 

 父は歌舞伎役者二代目中村翫右衛門である。

明治三十九年(1905年)初舞台、四十四年(1

911年)五代目中村歌右衛門の門弟となり、三

代目中村梅之助の芸名を名乗った。大正九年(1

920年)三代目中村翫右衛門を襲名するが、昭

和四年(1929年)松竹を脱退し師匠から破門

される。

 昭和六年(1931年)友長十郎らと劇団前進

座を結成する。

 四代目中村梅之助は息子、二代目中村梅雀

は孫である。

 

 昭和十四年(1939年)東宝は前年死去した

山中貞雄を追悼して『その前夜』を企画し、山

中が友稲垣浩に語った談話を基に梶原金八がシ

ナリオ化し、ゆかりの名優達が集まり、萩原遼

が演出を担当した。

 

 貞雄は浩と三条木屋町を散策し三条小橋の東

詰にキャメラを立てて池田屋を映したいと希望

を語り、『三条木屋町』の題で幕末の京洛をこ

の一角で描きたいと夢の企画を語ったという。

安い製作費でヒット間違い無しの写真になるで

と意気込みを熱く述べたと言われている。

 

 愛弟子で親友の萩原遼が監督を引き受け、前

進座名優たちに加えて山田五十鈴・高峰秀子の

二大スタアが姉妹役出演を快諾した。

 

 大原屋の家族兄弟姉妹と瀧川仙太郎を中心に

佐幕・勤皇の人々の道を静かにゆったりと尋ね

描いている。

 

 萩原遼監督はじっくりと淡々としたリズム

で物語を語る。

 

 昭和六十二年(1987年)京一会館で『人情

紙風船』を鑑賞し切なさを語りながら悲劇美を

極めた演出を為す山中貞雄の表現にわたくしは

全心全身を挙げて感嘆した。

 翌昭和六十三年(1988年)京都文化博物館で

『丹下左膳話 百萬両の壺』『河内山宗俊』を

鑑賞した。

 

丹下左膳餘話 百萬両の壺

 

河内山宗俊

 

 

 

 明るく優しい左膳の愛嬌にときめいた。

 

 反骨精神に富む河内山宗俊の勇気に心が熱く

なった。

 

 三大傑作の印象が心に迫り熱くなっていた。

 

 初めは萩原遼監督の静かで淡々と進む演出に

面食らって驚いた。

 

 特に中村翫右衛門と河原崎長十郎の静かで

抑えた演技に自分は吃驚した。

 

 金子市之丞・新三のイメージと河内山宗俊・

海野又十郎の印象がわたくしの脳内に強過ぎ

たのかもしれない。

 

 ドラマが進むにつれ、彦太郎/中村翫右衛

門、瀧川仙太郎/河原崎長十郎であることを

自分の心が受け入れた。

 

 翫右衛門・長十郎は抑えた演技において

も輝いていることを学んだ。

 

 高峰秀子は可憐で綺麗だ。

 

 山田五十鈴の色気と人情表現に痺れる。

 

 

 激動の時代においても侍や職人は日々

の暮らしを為し歩んでいかなかればなら

ない

 

 親友を亡くしたが日中戦争という激動

の時代を歩みつつ活動屋の勤めを果たそう

とする梶原金八の心と彦太郎の歩みは照応

しているようにも感じられた。

 

 鈍感なわたくしにとっては時が経つこと

によって心に染みて来る写真である。

 

 萩原遼はいぶし銀の演出を見せた。

 

 ◎ 

 今月は投稿が多くなると思うがお許しを

頂きたい。

 

 おそまきながら『君たちはどう生きるか』

『こんにちは、母さん』を劇場で鑑賞し、それ

ぞれに感銘を受けた。近く『福田村事件』と

共に感想文を発表したい。

 

               文中敬称略

 

                  合掌