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忠臣蔵 実録忠臣蔵 天の巻 地の巻 人の巻 尾上松之助主演版二本を併せて考える

『忠臣蔵』

活動大写真 無声 六十九分 白黒

明治四十五年(1912年)二月十五日封切

 

制作 横田商会 

 

撮影 牧野省三

 

出演


 

尾上松之助(大石良雄・浅野長矩・清水一角)

 

片岡市太郎(大石主税・脇坂淡路守)

片岡市之正(吉良義央)

嵐橘楽(片岡高房・立花左近)

大谷友三郎(浮橋太夫)

 

監督 牧野省三

 

 

鑑賞日時

平成十四年(2002年)十二月七日

京都文化博物館


 

  日本活動大写真・映画史上における

不世出の大スター尾上松之助が、明治

時代に主演した『忠臣蔵』の一本である。

 

 「目玉の松ちゃん」の愛称で親しまれた

松之助の人気は、凄いものだったようだ。

主演映画一千本という大記録は、今後も

更新されることはないのではなかろうか?


 

 明治四十五年の『忠臣蔵』の撮影監督

は、「日本映画の父」と呼ばれた巨匠、牧

野省三である。

 

 元禄十四年(一七〇一)年三月十四日、

江戸城内において浅野内匠頭長矩は、吉
良上野介義央へ刃傷に及んで、徳川五代

将軍綱吉から、即日切腹を命じられて自刃

し、翌十五年十二月十四日、長矩の家老

であった大石内蔵助良雄は、主君の鬱憤

を晴らす為、赤穂四十六名の浪士の浪士

を引き連れ、十五日未明、吉良義央を襲

い、刺殺した。

 この「元禄赤穂事件」は、人形浄瑠璃『

仮名手本忠臣蔵』に劇化され、活動大写

真の時代には、『忠臣蔵』の物語として、数

多く映画化された。

 

 『忠臣蔵』は、日本人に愛されている物語

である。

 

 この明治四十五年の映画版は、過去のフ

ィルムの再編と新撮部分を編集したもので

あるが、日本映画史において初めて「忠臣

蔵」の全場通しを成し遂げた、画期的な作

品なのである。

 

 撮影技術は、照明も用いず、太陽光で

撮った場面も多い。舞台劇をそのまま映

している場面もある。

 今日の観点から見れば、「映画黎明期

の撮影」の特徴を現しているもと言えるだ

ろう。

 

 だが、こうした先人達のご苦労があった

からこそ、発展の道も開かれたのだと思

う。

 

 

 

 大スター尾上松之助は、名場面で浅野

内匠頭・大石内蔵助・清水一角と、それぞ

れの主役を演じている。


 

 浅野長矩の切腹の場面は、無念のこころ

が切なく表現されている。

 

 大石内蔵助の堂々たる貫禄・存在感も、

重い。

 

 清水一角には、散る花の悲劇があった。

 

 書割の絵を背景にした、女性間者の奮戦

も印象的な場面だ。


 

 現代の価値観や演出観から見れば、違和

感を持たれる方もおらるとは思うが、当時の

制作状況を窺う上で、まことに貴重な写真で

ある。

 

 明治時代の活動写真は、まだまだ、舞台

のドラマをフィルムに撮る、ということの延長

であったことが察せられる。

 

 そうした制限もあるのだが、殺陣・アクショ

ンの活発さは、印象的だ。


 

 松之助の内蔵助には、忠義の心が熱く燃

えていた。

 

 

『実録忠臣蔵 天の巻 地の 人の巻』

(『忠臣蔵』)

 映画 無声 白黒 二十巻

 現存版19分

 製作国   日本

 大正十五年(1926年)四月一日公開

 製作  日活大将軍

 

 製作総指揮 池永浩久

         中村鶴三

 

  助監督  清瀬英次郎

 撮影    松村清太郎

 撮影進行 小林弥六

 装置    安井幸次郎

        角井嘉一郎

        岡村梅吉

 衣裳    水谷義夫

 照明    森田宇三郎

 


 

出演

尾上松之助(大石内蔵之助

 

山本嘉一(吉良上野介義央)

 

河部五郎(村上喜剣・小林平八郎)

市川市丸(大石主税)

尾上卯多五郎(堀部弥兵衛・秋元但馬守)

片岡市堂(近松勘六)

尾上桃華(早水藤左衛門)

谷崎十郎(磯貝十郎左衛門)

嵐亀三郎(間喜兵衛)

大谷鬼笑(堀部安兵衛)

中村紅果(赤垣源蔵)

新妻四郎(不破数右衛門)

実川延一郎(寺坂吉右衛門)

尾上多見太郎(武林唯七)

片岡松燕(神崎与五郎)

実川延一郎(寺坂吉右衛門)

小泉嘉介(大野下僕銀助)

南光明(稲場丹後守)

三桝豊(建部監物)

高木永二(多門傳八郎)

中村吉次(大石下僕)

川田弘道(猿橋左内)

渡辺邦雄(糟屋平馬)

中村英雄(大石大三郎)

児島三郎(脇坂淡路守 和久半太夫)

中村仙之助(柳沢出羽守・清水一角)

坂東巴左衛門(大野九郎兵衛)

尾上華丈(大野群右衛門)

沢村春子(侍女おかの)

桜木梅子(瑶泉院)

市川春衛(大石の母)

酒井米子(苅藻太夫)

中村栄子(大石の妻・お石)

 

桂武夫(浅野長矩)

 

監督 池田富保

 

 ☆☆☆
中村鶴三= 尾上松之助

 

桂武夫=桂武男

 ☆☆☆
 平成十四年(2002年)十二月七日

 平成十八年(2006年)一月七日

 京都文化博物館にて鑑賞

 ☆☆☆

 

 関連記事

 『忠臣蔵 一九二六年尾上松之助主演版』

 http://ameblo.jp/ameblojp-blog777/entry-10412750750.html

 

 尾上松之助(おのえ・まつのすけ)は明治八

年(1875年)九月十二日に誕生し、大正十五年

(1926年)九月十一日に数え年五十一歳で死

去した。

 

 本名を中村鶴三と申し上げる。日本映画無声

時代の大スターで生涯千本以上の映画に主演

したと言われている目玉の松っちゃん。

 

 その松っちゃんが、大石内蔵助(本作の表記

は大石内蔵之助)に扮した『忠臣蔵』では、明治

四十五年(1912年)製作横田商会・監督牧野省

三・69分版と本作『実録忠臣蔵 天の巻」「地の

巻」19分版が現存している。

 

 明治四十五年版はドラマの流れが見れるが、

当時の撮影は舞台の書割をそのまま映した場

面もあった。ドラマとしての盛り上がりもあり、

松之助が浅野内匠頭・大石内蔵之助・清水一角

の三役を勤めており、その人気の凄まじさが窺

える。

 

 日活は戦後アクションの名画を多数製作する

ことで有名になるが、戦前は旧劇・時代劇を多数

発表していた映画会社であった。

 その日活が予算二十万円を用い、出演俳優五

万人の起用を以て製作した超大作の『忠臣蔵』で

ある。

 

 松之助自身も中村鶴三の本名で製作総指揮を

担当している。

 

 監督は日本のグリフィスと称された池田富保が

担当した。池田は明治二十五年(1892年)五月

十五日に誕生し昭和四十三年(1968年)九月二

十四に死去した。

 

 本作現存部分は「赤穂場内の評定」「祇園一力

茶屋における大石の放蕩」「村上喜剣の諌止」

「大石と妻子の別れ」「吉良の就寝」を記録する

ものだが、19分とはいえ、見応えがある。

 

 尾上松之助の大石内蔵之助に当時日本を代表

する大スタアとしての風格が光る。日本活動大

写真の座頭であることを示し重厚な存在感を見

せている。

 忠臣蔵映画

(画像上段右写真

 大石内蔵之助 尾上松之助

 大石主税 市川市丸

 画像出典 『赤穂城断絶』パンフレット)

 

 牧野省三が制作者・監督として「日本映画の

父」ならば、尾上松之助は「日本映画俳優の

父」と言えるだろう。

 

 ほんのわずかなシーンだが、山本嘉一の吉

良が眠る姿が映る。就寝姿にまで憎たらしさが

映る。

 

 可愛い大石大三郎が、父内蔵之助にお辞儀

をして挨拶し別れるシーンがある。内蔵之助も

淋しさを痛感する。

 

 大三郎役者は中村英雄である。後に『忠次旅

日記』「信州血笑篇」「御用篇」で勘太郎少年

を勤める方である。

 現存版は19分の短さであり、あっという間に

終わってしまうのだが、主演松之助の堂々たる

大石の深さを管見することが成り立つという事

実においても貴重な作品である。


 

 英雄崇拝・忠義讃嘆の作品である。危険で乱

暴な物言いかもしれないが日本人・日本定住外

国人は『忠臣蔵』を愛する民族である。

 堪えに堪えて、大切な人の無念を晴らすという

物語に、心を打たれるものがあるのだ。勿論外

国人にもわかってもらえる題材である。

 現実生活でテロ・暴力はいけないが、忍耐の

果てに課題を完遂するという事柄において、『忠

臣蔵』は、私達に貴い教えを語ってくれている。

 

 尾上松之助は本作の完成から五か月後の大正

十五年(1926年)九月十一日、満年齢五十歳の

若さで死去した。日本無声映画の歴史で大衆の

娯楽に貢献された功績は計り知れない。

 

 一生一千本主演の記録は、世界的にも例が

無いのではないか?日本全芸能・芸道の歴史

で最大のスタアの一人であることは間違いな

い。

 

 こうした松之助の威光は死後も強く日活に影

響を与えた。

 若き伊藤大輔が『忠次旅日記』の企画を出

したら、日活首脳に「重役さん(松之助氏)が

英雄・侠客として忠治を勤められたのに、無頼

漢忠次とは何事だ!」と怒られた話は有名であ

る。

 

 伊藤は『甲州殺陣篇』を作ることで『忠次旅

日記』シリーズの演出を許可して貰えたようで

ある。

 『信州血笑篇』『御用篇』で苦悩する侠客忠

次が仲間の遺児勘太郎を愛し堅気の少年にしたい

と苦闘する物語を語り、大河内傳次郎・中村英雄

の名演を得て観客の胸を熱くした。

 

 中村英雄は、尾上松之助・大河内傳次郎二大ス

タアに愛される少年を演じた。

                    

 

 伊藤大輔・大河内傳次郎が、松之助時代の旧劇

の英雄崇拝譚から時代劇の苦悩探求を打ち出した

ことは事実であろう。

 しかし、松之助シャシンが観客に力を与えてくれ

ていることも、本作19分の映像が示してくれている。

 

 平成十七年(2009年)十二月十六日・平成

二十八年(2016年)九月十一日・令和四年(

2022年)九月十一日、三度の尾上松之助主演

『実録忠臣蔵 天の巻 地の巻 人の巻』感想

を記した。

 

 本日平成二十一年(2009年)十二月十五日の

明治四十五年版『忠臣蔵』感想と併せて再編する

のは無謀かもしれないが、尾上松之助という希代

の大スタアの存在感によって忠臣蔵活動大写真が

支えられていたという歴史を管見したかったか

らだ。

 

 繰り返しになるが、明治四十五年牧野省三監督

版は物語の流れは分かる。

 

 浅野長矩・大石良雄・清水一角と大役は松之助

が勤める。

 

 明治の観客がいかに目玉の松っちゃんに会いた

かったが分かる。

 

 『尾上松之助葬儀』の記録映像は、昭和六十三

年(1988年)十月一日京都文化博物館映像ホール

開館記念に『渋川伴五郎』と共に上映され、松之

助の養子中村房吉が解説した事は過去記事におい

て述べた。

 

 衣笠貞之助が弔辞を述べている。

 

 「阪妻。阪東妻三郎です」と中村房吉が述べた

時場内にどよめきが起こった。

 

 最近の研究によるとこの記録映像に、参列し焼

香する伊藤大輔がいると言われている。

 

 松竹で脚本を書き、帝国キネマ演芸芦屋撮影所

で監督として活躍し日活に来た伊藤大輔は「重役

さん」と呼ばれた尾上松之助に会うことは叶わな

かったという。

 

 忠治英雄像を銀幕に樹立した尾上松之助の功績

を思いつつ、新たな苦悩する青年忠次像を描きた

いと望む課題が青年大輔にあった。

 

 尾上松之助は日本活動大写真の歴史に輝く巨星

である。

  

               文中一部敬称略

 

                   合掌