小2の息子は
自分の名前も宿題もテストも
字を駄々くさに書く
一年生のときからそうだった
気になっては隣で声をかけながら
やり直しを促し
丁寧に字を書くよう伝えた
丁寧に書こうとすれば
ちゃんと書けるのだ
今日も今日とて駄々くさに字を書く息子へ
「丁寧な字を書くことは、読む人(相手)への思いやりなんだよ」と伝えた
例えば、担任の先生がクラスみんなのテストや宿題の◯つけをするとして
息子の字が駄々くさで読みにくい場合
丁寧に答えを書いている子より多くの時間を答えの解読に時間をかけることになるんだよって
それって相手(先生)にとって優しいこと?
先生が3人◯つけ出来るところ
2人分しか見れなかったりするかもしれないよ?
あくまでも想像の話だけれど
この想像力も相手への思いやりだし
優しさだと私は思う
息子がどう感じたか
何を思ったかは分からない
自分が書く字が
自分だけ読むものならば
どう書いてもいいと思う
そこに自分が何のひっかかりもないのならば
問題はない
しかし、明らかに自分だけが読むわけじゃない
ものに関しては、少し視野を広げて考えられるといいんじゃないか、と息子を見て思ったんだ
自分も、日常で想像力働かせられているかな?
息子に言いながら自分のことも省みるタイミングのような気がした