
この自然治癒もある意味、病気かもしれない。腐敗して土に帰るはずだった「思い出」は、風化という化粧によって美化復元され、変形アドレナリンによって生成されたバグで脳内がハッキングされていく。まあ、おかげで別れた彼女と再会できてしまったのは、私には相当興奮した事件だったのは確かである。だが、その反動でもっと深くお互いが傷ついてしまった。やはり、当時に何かの理由で別れた人だ。結果は何度トライしても同じ部分でエラーになった証明を再び立証しただけである。ある意味、笑える話かもしれない。
最近、ネットで話題のフェイスブック(Facebook)といえば、「FB疲れ」なる言葉がある。FB離れを解消すべく「ひどいね」ボタンとか出たらしい。好評価ばかりでなく、記事に書く生々しい生活の話をもっと痛々しくさせて、SNS地獄をエンジョイさせようという趣旨か。そう、私が開始してしばらくしたある日、こんな気分になったのだ。フェイスブックでネット上にプライベートを書き綴るのは考えものだろうと。最初は自然に起こった出来事を淡々と書いていくんだが、内容にどんどんアレンジ心が湧いてくるのだ。他人に良い評価を受けたいために。元記事から色を付けた記事を書いている自分に気づいた。いいね!がたくさん取れる記事を書かなきゃと感じてきたわけだ。おかげで、下書きのために毎日の睡眠時間が極端に減った。
Facebookの更新作業で感じたこと
1:記事をアゲアゲにしないと気が済まなくなっていく。
2:自分以外の人のプライベートまで深く濃く明かしてしまう。
3:他人はそこまで知りたいと思っていない。自分もそう思う。
4:見る時間、記事作成に大切な時間を潰している。
5:ネタに尽き、食べ物の記事ばかりに。
まるで、何かの中毒症状だ。あらためてきちんと言うが、決してフェイスブックが悪いわけではない。自分が単に使い方が下手なユーザーだっただけだ。気づけば、いつも頭の中はSNSの先にいる人たちの心配や労いが興味の対象ではなく、フェイスブック自体の更新に生きがいを感じていた自分がいた。恐ろしい話である。リアルな自分の生活の大切な時間を削ってまで、その更新に必死になっていた。ある日、そんな自分の行動が、実生活では不要であると結論を出した。私は、一度ハマるとなかなか抜け出せず、度を越してしまう人間である。よって、さっぱりフェイスブックの更新をしないことにした。これが「FB疲れ」になった理由だ。
ただ、企業が自社の宣伝や広告のためにフェイスブックを続けていくことは全く問題なと思っている。便利なツールであるし、インスタグラムと併用しても効果は相当高いと思う。宣伝しなきゃいけない立場の会社や個人は、もっと続けていくべきであると感じている。ただ、なんでも書いてしまう状況に陥れば、プライベートが丸裸にしてしまう自虐的な行為にもなるため、自身をコントロールできれば薬にもなるが、ソフトウェアに翻弄されれば毒にもなる。自分の後期更新の大半が食べ物の写真と「うまい」というコメントのオンパレードだったことを書いておく。そして、あなたが楽しいと書いた記事は、あなたの家族には誰にも知られたくない話かもしれない。結果的に「誰得」になるのだろうか?
Facebookのほか、ブログ以外の一切の個人のSNSをやめた今では、平穏な生活が再び戻ったことは言うまでもない。できるだけ本を読む習慣に改善しており、ゆとりと幸福感を得ている。
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