「歴史を振り返ると、暴走を止めるのは制度よりも文化です」

この表現は生成AIのCopilotが生み出したもの
彼が(彼女が)どこから引っ張ってきたのか
誰の言い分をまとめたかわからないが
長い文中にさらっと差し込まれたこの表現は印象に残った

暴走は、勇ましい言葉で、断定して、見方によれば力強い
とも感じられるもので(最近こうした表現が多い気がする)
それは現実的には更なる争いを産みそうで恐ろしいものだ

最近読み返している「太平洋戦争と新聞」には、新渡戸稲造が
地元の講演でつい漏らしたこんな話が紹介されていた(1932年2月4日)
「近頃、毎朝起きて新聞を見ると、思わず暗い気持ちになってしまう。
 わが国を亡ぼすものは共産党か軍閥である。
 どちらが恐ろしいかと問われれば、今では軍閥と答えねばなるまい。
 軍閥が極度に軍国主義を発揮するとそれにつれ、共産党はその反動で
 益々勢を出すだろう」
また上海事変についても
「一体、誰が国際連盟を認識不足にしたか。連盟本部は遠く離れている
 のだからそれはあるだろう。しかし、日本として当然、国際連盟に
充分認識せしめる手段を講ずるべきでなかったか。上海事変に関する
当局の声明は三百代言的という外ない」
軍閥が日本を滅亡させ、上海事変の発端も関東軍の陰謀であったことが
戦後判明するが新渡戸は鋭い洞察力でいち早く真実を見抜き、憂国の情から
思わず喋ってしまったのである

自分の最近の不安は、大衆は正しい判断をしうるものだろうか?
という点に集約される
これは先の大戦では確かに軍部が暴走したのは事実だが、日本国民も
その空気に乗って厭戦から好戦の空気を生み出したからだ
その例として松岡洋右が国際連盟から離脱して帰国した際には
国民は大歓迎で彼を迎えたことがあげられる

つまり庶民は暴走は止められなかったということだ
そして現代においても再び威勢のいい言葉が、力強いとの評価で
好意的に取られつつある
その威勢のいい言葉は、国際関係の関するものだが、実は国内向けで
ある特定の人々にウケる表現となっている
(これは実は中国でも同じことをしているので
 どの世界でも国内の問題を曖昧にするために
 敵を作ってガス抜きの表現をするようだ)

威勢のいい言葉や表現は、国際評価が下がりつつあるこの国に対して
ストレスとか自身喪失を感じている人々には好ましく思えるようだ
そして歴史上では、こうした鬱積した感情が大きな争いの遠因となった
ともされている

確かに先の大戦ではメディアの果たした「右に倣え的な」情けない報道が
庶民感情を煽ったのは事実だが、その空気に反対する人々たちも存在した
問題はその人達の声が届かなかったという点だが
それは単に方法論とか手段の問題では無いのではないか

つまりは、自然法的な倫理観とか正義感がもっと多くの人に働けば
(それを文化という言葉に言い換えて)それが
暴走のブレーキとなったのではないかということ

文化とは、反対する意見とも論じあう対話の文化
人を悲しさや喜びを想像する文化、何か美しいものを美しいと感じる文化
そうした漠然としたものの力のことで、それこそが感情的になった暴走に
ブレーキを知らず知らずかける機能を持つ思う

ノーベル賞受賞者は、口を揃えて基礎研究の大事さを説く
それと同じように精神的な行為とか社会活動に関しても
基礎研究のような、文化と言えるような心の鍛錬とか教育が
必要なのではないかと思ったりする

まとまらない話