場所は後志の南西部、国道5号線を進むと長万部町蕨岱(わらびたい)に向かう途中です。

ここは戦前からある集落で戦後開拓ではありませんが過疎化が進み、昭和30年代には 100人以上の生徒がいたのが閉校時は 1人まで減ったという後志管内の ”黒松内町立豊幌小学校”です。 

この写真の当時は ”豊幌中学校” も併設されておりました。

 

1967年の写真です

 

 

次は渡島管内の長万部町立蕨岱(わらびたい)小学校

蕨岱地区はJR北海道函館本線の ”蕨岱駅” がありました。

蕨岱駅は昭和30年当時、貨物の扱いをしており、近くの ”知来” ”六線” 地区の山から切り出した ”根曲がり竹” をこの駅から積み込んでいたことを覚えています。 

この当時は木造の大きな駅で、鉄道ファンは近くの線路わきからSLとともに撮影できる名所だったと のちにSLファンの人から聞いたことがあります。

1986~1987年に、貨車を再利用した小さな駅になり、その駅も2017年に廃駅となり、今に至っています。

駅前には真っ赤な鳥居の ”蕨岱神社” があり、すぐ近くには寒川商店という雑貨店もありました。  神社は今でもありますが、雑貨店は営業していません。

 

小学校は明治37年開校、平成13年3月31日閉校です。

地域で管理している方のお話では、貴重な木造建築なので解体せず地域で管理しているそうです。

 

撮影は2017年6月

 

次は胆振管内豊浦町の昆布岳裾野の小学校です

新富あたりは豊浦町なのに、流れる川は尻別川に注ぐなど、しりべしのほうが近く感じられるふしぎなところです。

 

豊浦町の昆布岳の裾野は有数の酪農地域です。

なのでこれを「開拓の跡」などといえば農業者のかたから叱られますね。

ただその豊浦町も他の町村と同様、昭和30年頃から減り続き、戦後ベビーブームの頃は人口が1万人を越えていたものの、現在は4千人すこし というところです。
 

写真は1977年5月のものです

 

「ここはどこでしょう?」

どこでしょう  って自分で撮った写真なのに忘れました。

時期は1977年(昭和52年)5月です。

それは確かなのに、肝心の場所を忘れています。

残雪の山々がきれいなところでした。

豊浦から蘭越町昆布に向かう道道の途中なので、”新富小学校” か ”上泉小学校” だったと思います。

今ではどちらも閉校・廃校になっています。