長かった1年 | 日々ツブ

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ポンコツ母とマイペースな娘(中学生)の日々の生活ブログです。
2022年2月中学受験終了。

年度の終わりになってもちゃんと登校できなかったことが残念すぎていろいろ書いてしまいましたが、娘がこうなったことには私にも大きな責任があります。


中学受験の際に娘は共学向きだろうと感じていたし私自身も共学に行かせたいと思っていたのに「合格すること」が優先になり持ち偏差値や受験日を優先して第一志望校以外は女子校選択にしていたこと、

通学や始業時間について下調べが不足していたこと…等々。

特に通学は私にとってもプレッシャーです。

自宅最寄りとは違う沿線を使うため、そこまでバスで出る必要があり、朝は本数の少ないバスに乗るために7時前には自宅を出発しなくてはなりません。

一本遅いバスだと遅刻確定になります。

そのくらいの時間に出発する生徒さんもいることはわかっていますが、我が家は親子共々負担になっています。


合格した先にある学校生活を私が熟考できていなかったのです。

情けなく、娘に申し訳なく思っています。

もっと純粋に通いやすい学校だったり、本当に本人が通ってみたいと思う学校だけを受験すればよかったと思いました。


1学期は頑張って通学していました。

遅刻も1度もせず、7限まである授業や夕方遅くまでの部活動に出て疲れて帰宅してもすぐに学校の勉強に取り組んでいました。


でも、毎朝慣れない早朝起床で今まで見たことがないほど不機嫌な態度と緊張した顔で毎日登校していっていました。

学校のことも友達のことも沢山話す子だったのに日に日に話さなくなり、毎日疲れきった顔で帰ってきて、何も言わなくても勉強するようになった代わりに私とほとんどコミュニケーションを取らなくなりました。


はじめて見る娘の表情に時々不安になりました。

新しい環境や慣れない通学で疲れるのは当たり前だし、思春期はこうやって親離れしていくのだろうか…と寂しく思っていました。


でも、そうではありませんでした。

夏休み終盤になって娘の様子がおかしくなり

泣きながら私に「学校に自分の居場所が無い」と話してきました。

それでも、学校に行かないと言い始めるとは思っていませんでした。

保育園の頃から私が仕事に行かなければならないことをわかっていて、辛いことがあっても一度も休むと言ったりぐずったりしたことのない子でした。

小学校も学童も塾もずっと、病欠以外は休まず通ってきました。

だから、今回も新学期が始まれば普通に登校するものだと思っていました。


新学期、学校に行きたくないと言い出してすぐに担任の先生に相談しました。

別室登校等の対応は無く、

「いまは無理せず本人の様子をみて下さい」と言われました。

夫は朝から怒鳴り、私は宥めながらなんとか登校させようとしていましたが、段々とまばら登校を繰り返すようになりました。


学校の話を少しするだけで号泣して取り乱し、「もう辞める。」と繰り返す娘をただ抱き締めて落ち着かせることで精一杯でした。

今は休ませるしかないと思いました。

原因は一つではなかったと思います。

特定の生徒さんから嫌がらせはあったようですが重大なイジメではないようでした。

今まで保育園や学童でいじめられた経験もしています。

でも、それ以上に本人にとってキツい状況であったのは確かです。

友達関係、学習関係、どちらにおいても今まで感じたことのないプレッシャーのなかで過ごしていたようです。

小さい頃から辛いことはなかなか私に話そうとしないタイプで、状況がかなり悪くなってから初めて打ち明けられたこともよくありました。


休んでいた数週間はなるべく普通の生活を心がけました。

娘とスーパーに買い物に行き、一緒に夕飯を作りました。

通信教育を一緒に見ながら勉強して、

昼間は一緒に散歩もしました。

散歩中にたまたま公立中学校の同級生が下校する時間に出くわしたことがありました。

平日昼間に近所にいられるのを見られたら気まずいかな…という私の心配をよそに

「みんなに会えるかも!」と嬉しそうに走っていく娘の姿を見て、私が間違えてしまったのではないだろうか…と思いました。

夏休み中、小学校の同級生から連絡がきて児童館で男子友達(複数人)とボードゲームをしてきたことがありました。

「楽しかった!」と言って帰宅した娘の顔が久しぶりにイキイキとしているのを見て、小学校の時はいつもこういう表情をしていたよねと思いました。


娘は女子が苦手というわけではないのですが小学生の時から同性とあまりベタベタした付き合いはせず、男子といるほうが気楽というタイプでした。

小学校の頃から女子に対しては特に気を遣っていました。

周りをよく観察するタイプでもあるので、中学に入学してからかなり気を張って生活をしていたようです。


学習に関しても、一学期の成績は悪くなく先生からは「問題ないです」と言われていたのですが、本人は周りの子がみんな自分よりずっと出来ていると感じていたようでプレッシャーがどんどん膨れていったようです。


学校を休みたい理由を聞くと

「学校にいると不安になる…」

と言っていました。


学校を休むようになってから不機嫌な顔をしなくなり、私とも以前のようにコミュニケーションをとるようになりました。

学校のことさえ話さなければ穏やかで、元の娘に戻ってきたことは純粋に嬉しかったです。


娘にとってどうすることがいいのか、とても悩みました。

いろいろなところに相談にいきました。

近くの公立中学校にも話も聞きにいきました。

しかし、いますぐ転校を決めることが正しいことなのかわからず決断は出来ませんでした。

とにかく、もし高校受験をしたいとなった時にこのまま欠席が増えるのはマイナスになってしまう。遅刻でも早退でもいいからまずは学校に行こう、と娘に話しました。

娘も了解して登校を再開しました。

登校再開の日は同行したのですが、学校が近づくにつれて不安そうな顔になり私の手をギュッと握って「大丈夫かな…」と聞いてきました。


先生やクラスメイトに温かく迎え入れて頂き、なんとか学校生活を再開することができましたがその後もたびたび不安定になり、帰宅時は普通なのに眠る前や朝に急に泣き出すことがたびたびありました。

定期テスト当日になって急に休むと言い出して慌てたこともありました。


遅刻を繰り返しながらなんとか通学していましたが、こんな状態で通い続けることがいいことなのかわからなく、本人もどこかのタイミングで転校して高校受験をすると言っていました。

少し前までは。


高校受験をして今より通学も楽な共学校に行ったほうが生活面では楽しい学生生活を送れるのではないか…とも思いました。

しかし、実際に私立中から転校して高校受験をするというハードルはかなり高く感じます。

そのハードルを越えるのは本人ですし。


たった1年ですが、公立中と私立中ではかなり異なる学校生活を送ったと思います。

どちらが良いということではなく。

一度動き出した道を大きく方向転換するには強い意志が必要だと感じます…。


夫は

「通いたくないなら辞めて高校受験したらいいだろ!」と言います。

母にも

「ちゃんと毎朝通えないならさっさと転校させなさいよ。」と言われました。


でも、いまの学校を選んで娘に紹介したのは私です。

第二志望と第三志望の女子校に合格したときにどちらに行きたいか本人に聞いたら「どちらでもいい」と言っていました。

中学受験なんてそんなものだよと言われたりしますが、その「どちらでもいい」と思う学校に入学して本人が辛くなったからじゃあ辞めて高校受験したら?というのは親として無責任な気もして。


長い1年間でした。

先日、娘が学校から持ち帰った高校3年生(卒業生)の一言メッセージを読んで

5年後こんなふうに楽しかったと言いながら無事卒業する日がくるのかな…

と複雑な気持ちになりました。