中央大学のウェブサイトに1886(明治19)年度第1年級の英吉利法律講義録が36号まで、2号が欠号で34号分がpdf形式で公開されている(注1)。講義録は毎週1回発行され通信教育の受講者に送付された。

  注1: ウェブサイトに「英吉利法律講義録」として公開されている。1年間に40数号が発行されたのであろうが、1号から13号、15号から19号、21号から36号の34号分が公開されている。

 眺めながら、ひとつの疑問が涌いてきた。
 毎週講義があれば、毎号にその講義が再現されるわけで、毎号に同じ科目が掲載されていても不思議ではない。
英吉利法律講義録 1886年度第1年級第1号
  注:図は中央大学ウェブサイトから引用した。

 そこで、英吉利法律学校の設置申請書(1885年)(注2)、学校規則(1887年3月)(注3)、および、1886年度1年級講義録巻末の科目表(注4)で第1年級のカリキュラムなどを確認した。
 1)入学時期  9月 (学校規則)
 2)学期  2学期制 (学校規則)
       第1期:9月11日から2月10日
       第2期:2月11日から7月10日
 3)授業時間  午後3時から8時 (申請書)
 4)休業日  7月11日から9月10日、12月26日から1月6日、
       日曜日および大祭日 (学校規則)
 5)授業日数  260日 (申請書)
 6)科目の開講頻度
  期首ではすべての科目が毎週講義時間1時間 (科目表)。
  期中で「契約法」、「私犯法」について毎週講義時間を
   2時間に変更 (科目表)。
  科目:法学通論、契約法、私犯法、親族法、刑法及治罪法、
     代理法、組合法、動産委托法、論理学。

  注2: 「英吉利法律学校設置」(明治十八年七月)。『中央大学史資料集』第1集に収録されており、中央大学ウェブサイトで公開されている。
注3: 『英吉利法律学校規則 : 明治二十年三月改定』(1887(明治20)年3月)。この規則は中央大学ウェブサイト「開学当初から旧制時代の学則、規則類」で公開されている。なお、『中央大学百年史』通史編上巻の123ページには1886年12月改定の規則を引用しているが、学期制、始業期終業期は1887年3月改定規則と同様である。
注4: 多くの講義録には、その巻末に「教課及受持講師姓名」が掲載され、科目名、毎週の講義時間数、担当講師名が掲載されている。第15号(12月25日発行)までは、すべての科目を週に1時間としている。第16号、第17号には掲載がなく、第18号(1月15日発行)以降第36号(5月21日発行)までは、契約法、私犯法について週に2時間としている。
 なお、山崎利男『英吉利法律学校覚書 : 明治前期のイギリス法教育』(中央大学出版部、2010年11月)に、「契約法は <中略> その授業時間は、他の科目が毎週1時間であったのに対して、法学概論(引用者注:法学通論の誤りであろう)と並んで、毎週2時間が割り当てられ重視された」(p.156)、また、1886年度および1887年度:法学通論週2時間、契約法週3時間、1888年度および1889年度:法学通論、契約法週2時間(p.220)とある。しかし、上記のとおり講義録巻末の「教課及受持講師姓名」にはこのような記述はない。
 ちなみに、「教課及受持講師姓名」は異同が少ないので同じ版組を使った可能性もある。しかし事実は以下のとおりである。第20号(欠号)を除き第18号から第22号は同じ版組。第23号は羅馬法について担当講師名を削除。第24号から第26号までは"仝上"と"同上"が混在。第27号では"仝上"で統一。第28号で版組を変更("仝上"と"同上"が混在。羅馬法に担当講師名表示)。第30号で版組を変更(動産委托法の担当講師の増)。


 以上の情報をもとに講義録を眺め、そして、講義録の各号をつぶさに分析してみた(注5)。別記事「1886年度第1年級『英吉利法律講義録』の各号収録科目」も参照していただきたい。
 結論としては、「授業の実態」はよくわからないということだ。そもそも、講義録は、通信教育の受講者向けに編集されたもので、講義の一言一句を写したものではないだろうし、1号1号の許容できるページ数の制約のなかで収録する科目自体を選択していたのであろし、受講者の便のため複数回の講義をまとめて掲載するなどのこともあったと推測するので、よくわからないのは当然である。

 まとめると次のように考えることができる。
(1) 初回講義の開始時期は異なる。
 実際、第1号には4科目が掲載され、第2号では初めて掲載されたのは4科目である。
(2) 通年科目でない科目がある。
 実際、代理法は1月1日発行の第16号で完結している。代理法は上記で述べたとおり、「設置申請書」(1885年)や講義録巻末の「教課及受持講師姓名」で週1時間の講義としている科目である。
 また、経済学の初掲載は11月20日発行の第10号で、訴訟法は1月22日発行の第19号である。

(3) 受講者の便宜のため、複数回の講義をまとめて掲載した。
 以下で検討するが、講義のなかには回次を表示したものがある。日本刑法は17回までの回次表示を確認できる。そして、11号の講義録にわたって掲載されている。
(4) 講義筆記者の作業が講義録発行に間に合わない。
(5) 休講がある。
 具体的に確認できるわけではないが、常識的に考えてありうることであろう。
(6) 号には最大ページ数があり、これを超える場合は次号以降に掲載した。
 実際、多くの号は80ページ程度である。
(7) 上記の諸要因の複合。

 ともあれ、いくつかの観点からの分析を以下に紹介する。

  注5: 中央大学ウェブサイトで公開されている講義録は34号分であるが、各科目について掲載前号、掲載後号を確認し、本文の続きを確認した。そして、公開号の最終号である第36号までに掲載された科目を割り出した。

英吉利法律講義録 1886年度第1年級第10号 目次
  注:図は中央大学ウェブサイトから引用した。

1 年間の講義回数と講義録への収録
 1886年から1887年に即して授業週数を算出すると、9月11日から翌年の7月9日までで40週になる。上記のとおり期中で配当時間数が変更されている科目があるが、週に1回1時間の科目は、年間に40回の講義が行なわれたと推測する。なお、講義録自体は授業回数とは連動せず前年度の1885年度は8月10日時点で44号まで発行されている(注6)。
 全部で36号分(注7)の講義録に対して、同一科目が掲載された回数(号数)をみると、最大でも「契約法」の20回である。
 号外発行がなく、講義録の発行は45回として、残り9号では最大でも「契約法」は29回である。45号発行されたとして、29回は約64%、3分の2ということになる。

  注6: 『中央大学百年史』通史編上巻(学校法人中央大学、2001年3月)の113ページに引用されている1886年8月10日付『朝野新聞』掲載の生徒募集広告中に「<前略> 既に第四十四号に達したり、当月八月を以て一年級講義録を完結するに付 <後略>」とある。
注7: 上記の注5を参照。



2 科目に注目
 「基本科目」の様子を見てみたい。
 「基本科目」とは、英吉利法律学校が定めたものではないが、私のブログ記事「英吉利法律学校開校時の科目の開講状況 第1回 : 1年級修了証書を中心に」(2021年2月21日掲載)のなかで、各種の史料から考察して、法学通論、契約法、私犯法、親族法、代理法、組合法、刑法、動産委托法の8科目を「基本科目」と名付けたものである。
 講義録掲載回数と講義録掲載開始時期とを具体的にみると、法学通論15回(初回9月中旬)、契約法20回(9月中旬)、私犯法13回(10月下旬)、親族法11回(9月下旬)、代理法10回(9月下旬)、組合法19回(9月下旬)、日本刑法11回(10月初旬)、刑法4回(1月下旬)、動産委托法8回(10月下旬)である。
 刑法を除いて、おおむね、学年はじめに講義が開始されたようである。

 期中に(12月から1月にかけてか?)、週2時間の講義に変更した「契約法」、「私犯法」についてみると、変更後に掲載頻度が高くなったり、掲載ページ数が増えたりはしていない。

 「刑法」については、「日本刑法」(講師:岡山)を補う目的で「刑法」(講師:江木)が1月ころから開始された。このまま2つの講義が継続されたのであろう。


3 収録の号数と平均ページ数
 上記の「基本科目」について、収録の号数と平均ページ数で検証したのが下図である。
収録の号数と平均ページ数
 おおむね、収録号数は10号から15号の範囲に、そして、ページ数は10ページから15ページの間に4科目が収まっている。
 動産委托法は、期中で、異なる講師よって2つの講義が独立に行われた(並行授業)ので、特殊と判断した。また、刑法は、同一講師だが内容が異なる講義が行なわれたので、これも特殊と判断した。


4 学期から見る
 冒頭で確認したように、英吉利法律学校は2学期制を採用し、第1期は9月11日始業/2月10日まで、第2期は2月11日始業/7月10日までとしている。これを手掛かりに、第1期、第2期の授業構成の特徴を見ておきたい。

1)「基本科目」
 すでに引用した1885年の設置申請書では9科目がすべて、週に1時間の講義を行なうものとしてを記載されていた。9科目のうちの8科目はすでに述べたように「基本科目」である。
 基本科目(法学通論、契約法、私犯法、親族法、代理法、組合法、日本刑法、刑法、動産委托法)で特徴的なのは以下のとおりである。
(1) 代理法が10回の掲載(総ページ数135)で講義を完結していること。
(2) 私犯法、動産委托法が他の科目と違い、初掲載が第7号(10月30日発行)でやや遅れた始動である。
 代理法を除いて、前期に集中したり、後期に集中したりといったことはない。

2)基本科目以外の科目
 基本科目以外の科目(参考科目、科外科目)には、偏りなどがみられる。上記で参照した講義録巻末の「教課及受持講師姓名」にはいずれも週に1時間の講義とされる科目である。
 半期で終わっているもの、後期に至って開始されているものがある。
(1) 英国刑法は、第21号(2月5日発行)まで掲載されているが以降掲載がない。
(2) 合衆国領事裁判訴訟法は、第16号(1月1日発行)まで掲載されているが以降掲載がない。第16号講義録には、本号をもって民事訴訟法の部が完結、次は刑事訴訟を扱う旨の記述がある。
(3) 訴訟法は、第19号(1月22日発行)から掲載が始まっている。第22号(2月13日発行)の末尾(15ページ)に、本月25日に富士見軒において本校の新年宴会を開いた旨の記載があるので、1月末から2月はじめに原稿が起こされたのであろう。
(4) 羅馬法沿革史は、第22号(2月13日発行)から掲載が始まっている。科目「羅馬法」との関係について講義録には説明はない。なお、「教課及受持講師姓名」に科目が掲載されていない特異な科目である(注8)。
(5) 羅馬法は、担当講師渡辺の病気/死去に伴って第12号(12月4日発行)をもって中断したと推測する(注9)。そして、担当講師を戸水にかえて第34号(5月7日発行)から掲載が開始されている。戸水は、渡辺の講義によって学生は羅馬法の沿革を聴いているので直ちに本論に入る旨述べている。
(6) 判決例、判決録は、判決例担当の渡辺の病気/死去に伴って、その後を判決録として植村が担当したようだ(注10)。

  注8: 「羅馬法沿革史」は、渋谷慥爾が講師、畔上啓策が編輯を担当した。
山崎利男『英吉利法律学校覚書 : 明治前期のイギリス法教育』(中央大学出版部、2010年11月)の「A表 英吉利法律学校の講義録 1885-89年度」の注3(218ページ)には、1885年度の「渋谷の羅馬法は、86年度にも印刷配布された。畔上編輯、203頁 <以下略>」とある。しかし、A表自体には、1885年度の羅馬法は渋谷講師、小林編輯とあり、食い違いがある。「86年度にも印刷配布された」のではなく、1886年度の講義を「羅馬法沿革史」講義録として発行したのではないかと考える。
なお、1885年度の羅馬法(渋谷講師、小林編輯)は中央大学図書館に所蔵されているようだ。
注9: ウェブ版『タイムトラベル中大125』の「渡辺安積 : 英吉利法律学校幹事」の項参照。
注10: 山崎利男『英吉利法律学校覚書 : 明治前期のイギリス法教育』(中央大学出版部、2010年11月)の「A表 英吉利法律学校の講義録 1885-89年度」の注3(219ページ)。



5 講義の回次を表示している講義録
 講義のなかには、回次を表示した科目が5科目ある。表示された回次が、講義の回次を表してはないと考える。
 以下のとおり回次は内容の区切りである場合が多い。また、動産委托法のように1回の講義で話せる量ではない多さが1回とされているものもある。

1)組合法、日本刑法、差留権の3科目については、1回あたりの講義は、8.6ページから10.5ページである。
(1) 組合法は、講義の回数ではなく、内容による区切りの性格が強い。節や章といった区分を表している。
(2) 日本刑法は、講義の回数ではなく、内容による区切りの性格が強い。しかし、たとえば第7回から第8回の続き具合は内容ではない(注11)。
(3) 差留権は、講義の回数ではなく、内容による区切りの性格が強い。

2)動産委托法は、第2回の講義の途中までであること、第1回が42ページと極端に多いので除外して考える。
 ちなみにテレビやラジオのアナウンサーが話す速さは1分間に300字といわれている。動産委托法の第1回の42ページ(字数で約15,000字)をこの速度で読むとして約50分となる。1時間の講義であるから講師は休みなく話す(原稿を読む)といった光景が浮かぶ。あまり現実的ではない。

3)訴訟法(注12)には回次が示されているが、講義の回数ではなく、内容による区切りの性格が強い。節や章といった区分を表している。??????

  注11: 具体的には、「刑法上の判断力を有し且意思をも有すと雖も外物の刺衝により止を得ず己れの意に反して其行為をなしたる場合」の節で、これを3種類に分け、その第1番目の「法律の脅迫により或る所為を為したる場合」の説明を開始したところで第7回を終わっていることである。第8号のはじめの7行を第7回に収めることで内容での区切りとすることができるがそれをしていない。しかも、この部分は同じ第16号に収録さているのである。
注12: 講義録の冒頭に配当年次が異なるとある。配当年次が異なっていることは正しいが、その記述には明らかに誤りである。原文は「本校の規則に依れば第1年級及第2年級に入るべきものなれども目下裁判事務の改良は官民間の一大急務に迫りたれば <以下略>」であるが、訴訟法はそもそも第2年級、第3年級の配当である。

 <回次を表示した科目の回次ごとページ数>

 
組合法 回次 ページ
1 1-13
2 14-23
3 24-36
4 36-46
5 47-57
6 58-63
7 64-73
8 74-85
9 86-?
10 ?
11 ?
12 110-120
13 121-129
14 130-139
15 140-150
16 151-160
17 161-?
18 ?
19 ?
20 196-207
21 208-219
22 220-?
平均 10.5
日本刑法 回次 ページ
1 1-11
2 12-17
3 18-26
4 27-35
5 36-40
6 41-49
7 50-56
8 57-61
9 62-67
10 68-75
11 75-84
12 85-96
13 97-107
14 108-116
15 117-125
16 126-138
17 139-?
平均 8.6
差留権 回次 ページ
1 1-14
2 15-25
3 26-34
4 35-42
5 43-?
平均 10.5
動産委托法 回次 ページ
1 1-42
2 43-?
平均
訴訟法 回次 ページ
1 1-15
2 16-27
3 28-39
4 40-61
5 62-72
6 73-110
7 111-129
8 130-?
平均 18.4



6 具体的な科目の例
 科目のなかには、講義をもとにして単行書として刊行されたものがある。その単行書との比較で講義録の掲載状況を推測した。

1)法学通論 (山田喜之助(講義) ; 畔上啓策(編輯))
 この科目は、講義録に15回(初回9月18日発行で翌5月21日発行まで)にわたって掲載された。
 国立国会図書館には、序文に英吉利法律学校での講義がもとになったとしている『法学通論』(注13)が所蔵されている。

  注13法学通論 / 山田喜之助著. -- 東京 : 博聞社, 明20[1887年].11. -- 264p ; 20cm.

 構成をみると今回対象としている講義録とほぼ同じである。
 講義録の最後は、「第6編 羅馬財産法」の最初の6ページほど、以降は中央大学に所蔵がなく公開されていない。「第6編 羅馬財産法」は184ページから始まっている。一方、博聞社版『法学通論』の「第7編 羅馬財産法」は181ページから始まっている(講義録を単行書に編集するにあたり、講義楼の第4編、第5編を拡充したため「編」は順送りになっている)。全体は264ページである。
 以上のことから、講義録はほぼ260ページ程度であったと推測できる。

 講義録は、おそらく、残りの講義約80ページを9号程度に分けて掲載したのであろう。法学通論の掲載号の平均ページ数は12.8ページであるので、7号程度で講義は終了しているのかもしれない。

2)契約法 (土方寧(講義) ; 山口正毅(編輯))
 国立国会図書館には、序文や後書はないが、講義録との類似性を認める『英国契約法』が所蔵されている(注14)。山崎利男氏は「土方寧はこの講義録を単行本として刊行した(英国契約法、博聞社、1887年)」としている(注15)。この指摘は、おそらくこの『英国契約法』を指しているのであろう。

  注14英国契約法 / 土方寧著. -- 東京 : 博聞社, 明20[1887年].12. -- 520p ; 20cm.。
類似性を認める理由は以下のとおりである。博聞社『英国契約法』の正誤表に、10ページ7行目の「ノ素」は、「ノ要素」の誤りとある。実際は、「ノ元素」が「ノ要素」の誤りであるのだが、講義録(10ページ4行目)も同様に「ノ元素」としている。また、博聞社『英国契約法』35ページの頭字「Concideration」は、「Consideration」の誤りとあり、講義録(34ページ)も同様に「Concideration」と表記されている。
注15: 山崎利男『英吉利法律学校覚書 : 明治前期のイギリス法教育』(中央大学出版部、2010年11月)の英吉利法律学校での土方の契約法講義に関する叙述の注(注25)(p.173)。

 講義録の最後は、「第一 独身の婦女が婚姻を・・・」(408ページ)で終わっている。『英国契約法』は、同じ部分が414ページに該当する。

 講義録は、おそらく、残りの講義約110ページを9号程度に分けて掲載したのであろう。契約法の掲載号の平均ページ数は20.4ページであるので、6号程度で講義は終了しているのかもしれない。