2013年公開(日本での公開:2016年)の韓国映画『弁護人』(原題:송강호)は、1980年代の韓国の全斗煥独裁政権下での人権蹂躙公安事件をテーマに、その弁護を行なった人物を主人公に描いた作品だ。ソン・ウソク弁護士:송강호(ソン・ガンホ)、監督:양우석(ヤン・ウソク)。
 日本公式サイトによれば、韓国歴代観客動員数第8位で1,100万人以上の人が観たそうだ。
韓国映画『弁護人』
画像は公式サイトから引用した。

 当時の略年表は以下のとおりだ。

  1979年12月 全斗煥クーデター
1980年5月 光州民主化運動
同年8月  全斗煥大統領に就任
1987年1月 朴鍾哲拷問致死事件
同年6月  民主正義党の盧泰愚代表委員が「民主化宣言」(大統領直接選挙制を導入する憲法改正の受け入れなど)を発表
1988年2月 第13代大統領に盧泰愚就任

 現代韓国史、独裁政権から民主国への脱皮の時期を扱った硬派映画。だが、単に硬派というわけではなく、娯楽性も含み、ひとりの人間の成長の物語でもあり、ある種楽しい映画である。

 ソン・ウソクは商業高等学校出身で大学卒業の学歴はなく、苦労して法曹資格を得て最初は判事に就く。その後しばらくして弁護士となり、法改正で不動産登記にも弁護士が関われるようになったことから、登記事務を専門に稼いで行く。ほかの弁護士もこの領域に手を付けるようになると、今度は税金専門の弁護士として活動する。こうして貧しかった過去からそこそこ裕福な弁護士へとソン・ウソクは出世を遂げ、マンションを即金で購入する。一方で、貧しかったころ無銭飲食をしてそのことがずっと心の負担となっているソン・ウソク。昼食はその店で摂るソン・ウソクに、付き合わされる事務所の同僚は辟易している。ここまでを全編約2時間の映画で、30分を使っている。

 その店の主から、息子パク・ジヌが何日も行方不明で、裁判通知が届いた、何とかしてほしいと懇願され弁護を引き受ける。公安警察によるでっちあげ「国家保安法」違反事件である。

 ここからが硬派映画の中心部分だが、物語の紹介はここまでとする。

 法曹資格を得て、稼いで出世するという人生観であった普通の人ソン・ウソクが、法領域の異なる公安事件に挑む。当時、公安事件では事案そのものを争うのではなく、量刑を争う、つまり、無実かどうかではなく、有罪を前提に量刑を軽くするのが弁護士の役割で、そのことは同僚弁護士から強く主張される。
 しかし、一介の税金専門弁護士は法律を学び、証人を探し出し、無実を証明しようとする。

 印象に残る台詞がある。
 高校の同窓会の2次会(いつもの店)で、ソン・ウソクが、デモを行く大学生について、デモをして世の中が変わるか(変わらない)、学生は勉強しろなどと民主化を求める学生を非難する場面で、酒の勢いもあって同窓生とけんかになり、店主の息子パク・ジヌにもデモなどに行くなと説教する。

 パク・ジヌ デモをさせた人は どんな罰を受けますか?
 ソン・ウソク デモをして世の中が変わるなら俺が12回は変えている
       そんなもんじゃない
       どんなに卵を投げつけても岩は割れない
 パク・ジヌ 岩は硬くても死んだもの 卵は生きている
       卵は鳥になり 岩を超えていく
 裁判の過程で、「卵は鳥になり 岩を超えていく」は、弱気になったパク・ジヌを励ますソン・ウソクの台詞だ。


 裁判が終わった後、数年が経過したのであろうか、1987年、追悼デモの先頭に立つソン・ウソクが映る。名は出していないが遺影が映る。その遺影は、朴鍾哲(パク・ジョンチョル)氏で、彼が国家によって虐殺された1987年の「朴鍾哲拷問致死事件」であることがわかる。

 ソン・ウソクは「集会示威に関する法律」違反で起訴され裁判となる。初公判の席で、主任弁護士が弁護を申出た弁護士のリストを裁判長に差出し、出席状況を確認するため読み上げるよう促し、裁判長がリストを読み上げる。釜山の弁護士142人のうち99人が弁護人に名を連ねた。「公安事件裁判は有罪無罪を争うのではなく量刑を争うのだ」と言った弁護士も4人目に読み上げられる。裁判長の読み上げに呼応して、傍聴席の弁護士が次々と起立するシーンで映画は終わる。


 この映画を含めて、つくづくうらやましいと思うのは、自国の暗い歴史を描いて、記録だけのものでなく、映像として音声として残して行こうとする社会のエネルギーが背景にあることだ。
 以前にこのブログで紹介した『映画「ヒトラーの忘れもの」(LAND OF MINE)』(2015年/デンマーク、ドイツ)もそのひとつだ。