法治国家と自由の本質について考える




項目は多いですが長いブログではありません。





法治国家の現状


多くの人々は「法治国家」が最上のシステムだと考えているらしく、SNS上では政治活動をする者や司法書士や弁護士の様な者でも“日本は法治国家だから”としたり顔で言い合っています。


確かに、日本は法治国家として知られています。


しかし実は、中国や北朝鮮も法治国家です。


これらの国々と日本が同じレベルのシステムで運営されていると考えると、少し驚くかもしれません。




・参考サイト

https://konosuke-matsushita.com/proposals/nation/houchikokka.php

 

・上記サイトのスクショ



※実はこのお件については調べる度に結果が違います。

しかし色々と調べ考えてみると法治国家より上の概念を知らないサイト等はどうしても法治国家が最上としたい気持ちが出て


「日本は上の国、中国とは違う」

    →日本は法治国家である

    →中国は法治国家ではない

    →中国は歪な法治国家だ


 等と書いているようです。


紹介した上記サイトの様に法治国家は最上概念ではない、と知っている場合はしっかりその様に書いているようです。





欧米諸国のシステム


一方で、欧米諸国はより高度なシステムで運営されていると言われていますが欧米諸国の情勢を鑑みるにそのシステムも上手に機能しているとは言い難い状況です。


欧米のシステムは、法治国家と呼ばれている概念の不備を改善したものであるように見えます。上下関係の概念が変えられただけかもしれませんが、それでも納得できる部分があります。


そのシステムには別の呼び名がありますがそれは各自で調べてみて下さい。言葉の上では法治国家の方がより良い概念の様に感じられるのが、少し不思議に思います。





自由の定義とその本質


ここで、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの言葉を引用します。


「自由でないのに自由であると考えている人間ほど、奴隷になっている。」


自由という言葉は様々に解釈できますが、ゲーテは「自由とは法律で許された事を為し得る権利である」と定義しました。


この定義は、法律を作る側にとって都合の良いものです。なぜならば、


法律は彼らの計画に応じて作られたり廃棄されたりするからです。 


→ これが法治国家の正体です。






シオン議定書の視点


シオン議定書にも同様の考えが見られます。支配階級は自分たちの利益に合わせて法律を制定し、それを「正しいこと」として被支配者に押し付けます。これに反する者は法律違反者として罰せられるのです。



法律家の沈黙


このようなシステムについて、法律家からの意見があまり聞こえてこないのはなぜでしょうか。都合が悪いからでしょうか。それとも、他に理由があるのでしょうか。これについて考えることは、私たちにとって重要な課題です。



結論


自由とは何か、法治国家とは何かを再考する必要があるのかもしれません。私たちが本当に自由であるためには、法律の本質とその運用について深く考えることが求められます。




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