この件について、この様な意見を述べられていた方がいました。

「集団ストーカー被害の分断であり、集団ストーカー認知や解決を遠ざける。」

難癖ありきで無ければ、この様にちゃんと言ってもらえるのは有難い事です。この意見と同じような考えの方も恐らく多く居ると思います。

この考えは、確かに集団ストーカーを分類し細分化し被害の個別化ようと言う試みではあります。
しかし、ここで顔認証被害と道路族被害の事を考えて見ましょう。




・他者の視点
集団ストーカー被害者から見ると顔認証被害も道路族被害も、集団ストーカー加害に於いても行われる法にも抵触する違法違憲行為です。

しかしここで視点を変えて、顔認証のみ被害者や道路族のみの被害者の視点で見てみると、顔認証のみの被害では、ナンバープレートや近隣の騒音、職場でのモビング等に合いませんし、自覚的なテク被害も無い筈です。

彼らは、自分にとってそう言う被害が無いから集団ストーカーに直面しているとは思えません。




・区分のもたらした物。
かつて顔認証被害や道路族と言う区分が無かったときには、彼らは何やらよく分からないが嫌がらせを受けている、としか言いようが無かったのです。(当然集団ストーカーではありませんし、彼ら自身にとっては)

それが、顔認証被害や道路族被害と言うハッキリとした区分が生まれる事によってある程度、メディア等に取り上げられたりする様になったのです。

確かにこれでは集団ストーカーが取り上られた事にはなりません。かといって、集団ストーカーと無関係な訳では有りません。

個別的に顔認証被害や道路族被害が世間により認知される、と言う事は集団ストーカーの一部が認知や解決に向かっている、と言う事なのです。
これが大事なのですがお分かりになりますか?

勿論理想は集団ストーカー自体が認知され、一気に解決に向う事ですが、それが今すぐ可能だと思っていますか?
2021年現在は少しは兆しも見えますが一気に認知解決とはまだ絶対に言えませんし、2018~2019位までは部分的にすら着地点が見えない状況でした。




・目的を間違えていませんか?
皆さんの目的や願いは何でしょうか?

①集団ストーカーと叫んで、世間が集団ストーカーという言葉を聞いたり知ったりすることですか?
②それとも、集団ストーカーに於いて行われるそれぞれの行為が行われなくなったり取り締まられたりする事ですか?

この2つはイコールでは有りません。①が②の結果をもたらす事は言うまでも有りませんが、集団ストーカーと言う言葉が流行らなくてもやり方によっては被害に対処させるようにする事は可能なのです。

勿論①も大切ですが、現状では殆ど被害者は①しか考えられない人しか居ない、と言っても過言では無い状況です。なので、分類化する事は集団ストーカーの解決にとって悪い事、としか考えられないのです。

これはどちらも必要ですが、取分け考える人の少ない②を理解する事が大切だと個人的には考えています。




・大切な区分
そして上記のブログで提案した区分は集団ストーカーの中でも最も大きく重要な区分かも知れません。

潜在的な集団ストーカー(反社会型ストーカー)と言う被害を受けている人は、恐らく未だにそれと似た被害を受けている人を知らないと思います。区分が無いので分からないのです。当然集団ストーカーとは思っていません。
(最近潜在的な集団ストーカー被害者と思われる著名な方に、その言葉を使った方も居ますが、その人が集スト発言する少し前に、僕がその方の講演会に行き、その後ブログのコメントで数回に渡り集スト被害の話をしていました)

話は戻りまして、前述の方は例外ですが、普通本人が違うと言っている所を、「いや、あなたは集団ストーカーにあっている」と言ってもそれを受け入れられる人はそんなに居ません。

道路族や顔認証被害もそうですし、テクを受けていないと言う集団ストーカー被害者に「いや、集ストもテクだ」と強要する事も全て同じ事です。どれも人間関係を壊す以上の成果は上げられないでしょう。



・結論
なので「反社会型ストーカー」と言う区分を制定する事により、「あ、自分はこれかも知れない」と思う該当者達が増え、団結し、声を挙げ始めるならば、それは部分的に集団ストーカーに対しての声を挙げている事と同じになる事だと思いませんか?