東京は桜が満開だそうですね。
目黒川、きれいだろうな…。
ここ最近の妙高は冬に逆戻りで、
今朝も小雪が舞っていました。
そんな気候が続いているせいか、
子供の頃から一緒に暮らしていたチロ(犬です)のことを思い出す時間が多く、
気持ちが大きく膨らんでしまい、
先日は思わず長文を書いた次第です。
一度に思いが収りきらず、
〔上巻〕として一先ず筆を置いて続きを書く気満々でいたのですが、
でも、この話はもうよしとしようかと、
今、思っております。
チロが亡くなって10年の月日が経ちました。
ほんとうに顔もしぐさも性格も、
飼い主に似ずに?かわいく、穏やかな犬でした(^_^)
亡くなってからすぐに火葬しないで、
一晩だったかな…、
家族で過ごしました。
檀家になっているお寺のお坊さんがいらしてくれて、
お経もあげてくれて、
可愛がっていただいてた近所の人たちもみんな会いに来てくれて。
ほんとうは家の敷地内、
よく一緒に駆け回った庭の木の下に埋葬したかったのですが、
お坊さんに、
「犬と人の逝く世界は違うのです。」と諭され、
お寺の庭の片隅に埋葬させて貰いました。
「これがなんとなくチロに見えたよ…」と、
父が河川敷で漬け物石にもなりそうな大きさの石を拾ってきてくれて、
『チロ』と名前を彫って墓石としたのでした。
ペット供養というのをされているお寺で焼いていただいたのですが、
それがなんだかものすごく辛く苦しかったのを思い出します。
棺桶などは無いことは聞いていたので、
父とダンボールでかわいく作りました。
それにオモチャやお菓子、
よく着ていたベストなど入れてあげたのだけど、
すぐに出されてしまったし、
焼かれるまでそばにも居られない。
骨を拾うこともできない。
使い古しの台の上に置いてくるのです。
朝8時までに置きに行って、
焼かれるのは夕方5時過ぎ。
みんな一緒くたに焼かれるそうです。
丸裸でその台の上に置いて去らなければならないのがほんとうに苦しくて、
家に戻ってもどう過ごしていいかわからず、
母などは何故かひたすらカボチャのカップケーキを何十個も焼き続けていました。
わたしは、
苦しくてずっとチロに手紙を書いていました。
父はまさか犬が死んだからと会社を休めないので仕事に行きました。
それぞれがどうにかやり過ごし、
夕方5時になったとき、
わたしは庭に出て、
書いた手紙やチロの服を焼き、
チロが焼かれるお寺の方角を向いて無事に天に行けるよう、
ただただただ、祈りました。
“チロ…置いてきてごめんね…
ごめんね…
無事に天(そら)に着けたかな…?
友達には会えたかな…?
どうか無事にそらに着けますように…
友達の大ちゃんに会えますように…
大ちゃん、どうかチロをよろしくお願いします…
お願いします…”
泣きながら、手を合わせてひたすらこんなことを思っていて顔をあげたとき、
不思議なことがおこりました。
わたしの立っているところにだけ風がおきて、
ふわっとまぁるく円を描くように胸をくるんと抜けました。
わたしは霊感も無いし、
幽霊も見ませんが、
そのとき、
“あぁ…、よかった!チロ、無事に天(そら)に着いて大ちゃんと会えたね!”
と、
心底ホッとして、
二匹が並んでシッポを振っている姿がはっきりと見えました。
悲しさに頭がおかしくなっていただけかもしれません。
でも理屈じゃなくて、
こうゆうこともあるんだな…と…。
あんまり悲しんでどうしようもないわたしを見かねて、
チロは風になってわたしの胸をくるんと抜けてシッポを振ってくれたのだと、
受けとめました。
もうすぐチロの命日です。
いつかチロのことを書こうと思っていましたが、
10年が経ちました。
今年は笑顔でお墓参りに行ける気がします。
犬に興味のない方には、
なんの感情移入もできずにつまらない話だったかもしれません。
失礼致しました。
胸が膨らみはじめるわたしの思春期の入り口に、
チロは我が家に来て、
共に生きました。
存在に、勝手にたくさん助けられて過ごし、
家族の悲しみも、しあわせも、
チロはぜんぶ吸ってそらに帰りました。
もうこの話はよしとすると言って、
結局書いてしまいましたね。
読んでいただいて、
ありがとうございました。
ー春の雪 おわりー